濃い女、いずれにせよ | floatingsoulさんのブログ

濃い女、いずれにせよ

吐きそうだ。


落とし前をつけなくてはいけない。

私は順調に好調に生きている。

それが一番の実験だからだし、

それが一番マシな生き方だからという私なりの哲学があるからだ。


だからといって吐き気は止まらない。


本当に自分に気付くということは、

香取慎吾が実はすごく好きだ、と気づくことかもしれない。


それは結婚もそうかもしれない。



とにかく、井上荒野という作家を知ってしまったことは、私の糧になるだろう。


絶望や倦怠や、悲しみや恋といった、私の心を捉えて離さないものは、まあ彼女に任せておけば万々歳だろう。


私に残されたものは空白の演技。

それさえも?



なんだか身体が変なのだ。

身体だけ60代になったような気がする。


変な匂いがする。


いつもの汗の匂いだということは分かっているのだが、

身体は「これは老いた匂いなのだ」と囁きかける。私を説き伏せようとする。


気味の悪い。



女は、熟した40代の頃に、最もセックスをしなければならないのだろう。

繁殖のためでなく、自分自身の全てのために。


きっと子宮が濁ってしまうのかもしれない。
何かが停滞する。


そうでない人もいる。


毛穴や口から吐き出すことの出来る。


ただ、身体の中心に溜めてしまう人は、きっと子宮から解放しなければならないのだ。


そう思わずにはいられない人が、職場にいる。

甲高い喘ぎ声のようにキンキンと歌い、僕には力がないだの、でも夢はあるだの、ありがとうだのと歌うボーイズグループばかりを聴く人。

どんな会話も酔っぱらいのくだのようにせずにはいられない人。


彼女の声は美しい。
スモーカーだからきっと喉が強いのだ。

彼女は気が利く。
気を利かせているのはあなたが私にそう強いるからよという態度で、振る舞う。
そういうタイプのいい人なのだ。



ただ、彼女の聴く音楽が彼女の人生に対する鬱憤や焦燥を示しているように感じられてならない。



最初は滑稽だった。
次に、腹が立った。
今はそれほど気にならなくなったが、彼女のことを考えると「女の悲しい性」などという演歌のような文句が浮かぶ。それで、私は発散しなくては、と戒める。


何をどう生きてきたのか知らないが、

何か隠鬱としたものを感じる。



そんな彼女は私より明るい人だと捉えられているからなおおもしろい。