思いもよらず、息子に一発仕掛けてやったという愉快な気分に私はなった。例えは古いが、梶井基次郎が丸善に仕込んだレモンの爆弾みたいな感じである。

17歳最後の日に起業した息子は、一日中ネットで何かを調べたり、起業家に会いに行って話を聞いたりするうちに、顔つきが変わって行った。ときおり遠い目をして、野原に散歩に行っては戻ってきた。起業したならこうすべきだ、ああすべきだ、どうするつもりなの。様々な人の言葉を吸収するうちに、自分が自分でなくなっていくような思いにとらわれるという。そんなときは野原に行ってしばらく深呼吸をする。深呼吸をして前のめりになった自分を立て直すのだという。

高校三年生の秋、回りが受験で目の色が変わって来る頃に、息子は「何者でもない奴らのトークライブ」というイベントを企画した。第一回目には、同じ歳の高校の友達を連れてきて、これからの自分、人間関係、学校といったテーマで話をしてみる。等身大の自分は、まだ何も成し遂げていない、何者でもない人間であるということに気がついたのでそこからスタートするのだという。最初は学校の友達だけれども、いずれは大人や何かを成し遂げた人にも来てもらいたい。けれど、どんなに名のある人が来ようとも、何者でもない人間として語ってもらいたいと息子は言った。例えばどんなすごい人に来てほしいか?そんな妄想にみちた会話をするうちに、トランプ大統領と金正恩書記長の名前があがった。トランプさんと金正恩さんを呼んで何者でもないひとりの人間としての話を聞いてみたい。場所は野原がいい。聞きたいのは政治の話ではなく、例えば子供の頃の野原の思い出とか。