こんにちは
いっきゅうです
先日からいろんなこと考えていて
ある答えが出ました。
それは
世の中正しいことなんてない
ということ
全てが虚であるということです。
全てが偽りだということではありませんよ。
実はけっこう深い話をしてると思ってるいっきゅうですので
この先
退屈しないだろうなという方だけおつきあいください。
昔は・・・
なんて書くとややこしくなるので
いっきゅうが小さいころや
たぶんいっきゅうの両親が育った環境では
「大人」のいうことは絶対だ
というような
時代があったような気がします。
少なくとも
いっきゅうの周りにはありました。
学校の先生という存在を見ても顕著で
先生のいうことは正しいのでよく聞くべきだ
というような風潮だったと思います。
長く生きているだけで
偉い。
そんな価値観だったのかもしれません。
経験値ってやつは
確かに計り知れない値で
それを受け入れるのには
長い年数が必要だったりします。
意志とは関係ない経験もたくさんして
そこから学んで改めて実感する
普遍の原理みたいなものもあると思います。
ところが
最近は
どんな大人が言っていても怪しいことだっていっぱいあるし
大人が大人であるだけで尊敬されることは
そうそうなくなってしまったような気がします。
逆に子供がいっていることは
子供だなとおもうことがある反面
確信をついていたり
新たな問題解決の方法だったりすることもしばしば
若い目は
いつの時代も
あたらしい考え方を生み出すものです。
沢山の知識の源や
コミュニケーションツールの出現により
非常に安価で便利に学び
意見を交わすことができるようになりました。
匿名で発言することや
逆に
何も持たない人間がブランディングによって
非常に影響力のある発言をすることが
できるようになりました。
大人って昔怖かったですよね?
今の若者はどうやらそういう感覚に
乏しい気がします。
改めて
今の世の中
何が正しいのか???
親の言うことが正しい??
自分の意見が正しい?
教科書が正しい??
きっとこういう流動的な時代では
正しいことなんて
ないんだと思います。
正しいというのは
縁と運と意志というエネルギーを持ったものが絡んで
道をつくったときに
その方向へ伸びる道が続くことを
正しいというのではないかと思います。
だから
どの要素1つ取っても
どの要素一つ欠けても
なかなか正解にはならないのです。
逆に
その正解となるものの芯が出来上がるまでには
道もなく
そこには虚のみが存在して
それは言い換えると
イメージだったり
はったりだったり
盲信だったりするわけですが
その虚を固めていくものもまた
縁とか運とか意志とかでしかなく
それ自体が正しいとか判断できるものではないのだと思います。
実体のないものや
思い込みこそが
自信のタネになって
そういった道を強固に固めていくのだと思います。
それって
きっと良くも悪くも生かせますよね・・・
どちらの例も
毎日のニュースで見かけるでしょう。
そのニュースの内容が
正しいかどうかすらも
虚です。
だからこそ
作った道、できた道が
曲がったものでないように
意識する必要があり
世の中のため
人のため
そうならずとも
人を傷つけない
そういった意志の力が
本当に大切な時代なのでは
と
思います。
非常にあいまいに
つじつまの合わないことを
平気で語る。
もはや誰が正しいのは
誰が悪意を持っていたのか
わからない
そんな世の中です。
疑わしきは・・・
どちらですか??
疑わしくない
明確な意思を持って
よい人生
よい社会を作っていきたい
そう思います。
よき縁と運に見舞われ
正しい道が開けるよう
願っています。
このままでは・・・
人間不信、メディア不審になるまえに
自衛の知恵と本物の信頼を構築しましょう。
ではまた
いっきゅう

いっきゅうです
先日からいろんなこと考えていて
ある答えが出ました。
それは
世の中正しいことなんてない
ということ
全てが虚であるということです。
全てが偽りだということではありませんよ。
実はけっこう深い話をしてると思ってるいっきゅうですので
この先
退屈しないだろうなという方だけおつきあいください。
昔は・・・
なんて書くとややこしくなるので
いっきゅうが小さいころや
たぶんいっきゅうの両親が育った環境では
「大人」のいうことは絶対だ
というような
時代があったような気がします。
少なくとも
いっきゅうの周りにはありました。
学校の先生という存在を見ても顕著で
先生のいうことは正しいのでよく聞くべきだ
というような風潮だったと思います。
長く生きているだけで
偉い。
そんな価値観だったのかもしれません。
経験値ってやつは
確かに計り知れない値で
それを受け入れるのには
長い年数が必要だったりします。
意志とは関係ない経験もたくさんして
そこから学んで改めて実感する
普遍の原理みたいなものもあると思います。
ところが
最近は
どんな大人が言っていても怪しいことだっていっぱいあるし
大人が大人であるだけで尊敬されることは
そうそうなくなってしまったような気がします。
逆に子供がいっていることは
子供だなとおもうことがある反面
確信をついていたり
新たな問題解決の方法だったりすることもしばしば
若い目は
いつの時代も
あたらしい考え方を生み出すものです。
沢山の知識の源や
コミュニケーションツールの出現により
非常に安価で便利に学び
意見を交わすことができるようになりました。
匿名で発言することや
逆に
何も持たない人間がブランディングによって
非常に影響力のある発言をすることが
できるようになりました。
大人って昔怖かったですよね?
今の若者はどうやらそういう感覚に
乏しい気がします。
改めて
今の世の中
何が正しいのか???
親の言うことが正しい??
自分の意見が正しい?
教科書が正しい??
きっとこういう流動的な時代では
正しいことなんて
ないんだと思います。
正しいというのは
縁と運と意志というエネルギーを持ったものが絡んで
道をつくったときに
その方向へ伸びる道が続くことを
正しいというのではないかと思います。
だから
どの要素1つ取っても
どの要素一つ欠けても
なかなか正解にはならないのです。
逆に
その正解となるものの芯が出来上がるまでには
道もなく
そこには虚のみが存在して
それは言い換えると
イメージだったり
はったりだったり
盲信だったりするわけですが
その虚を固めていくものもまた
縁とか運とか意志とかでしかなく
それ自体が正しいとか判断できるものではないのだと思います。
実体のないものや
思い込みこそが
自信のタネになって
そういった道を強固に固めていくのだと思います。
それって
きっと良くも悪くも生かせますよね・・・
どちらの例も
毎日のニュースで見かけるでしょう。
そのニュースの内容が
正しいかどうかすらも
虚です。
だからこそ
作った道、できた道が
曲がったものでないように
意識する必要があり
世の中のため
人のため
そうならずとも
人を傷つけない
そういった意志の力が
本当に大切な時代なのでは
と
思います。
非常にあいまいに
つじつまの合わないことを
平気で語る。
もはや誰が正しいのは
誰が悪意を持っていたのか
わからない
そんな世の中です。
疑わしきは・・・
どちらですか??
疑わしくない
明確な意思を持って
よい人生
よい社会を作っていきたい
そう思います。
よき縁と運に見舞われ
正しい道が開けるよう
願っています。
このままでは・・・
人間不信、メディア不審になるまえに
自衛の知恵と本物の信頼を構築しましょう。
ではまた
いっきゅう
