HI there!

 

 

 

DCLアラスカのバケーションから帰ってきました。

積もった仕事を片づけて、家計簿も付け(これ大事上差し)、アンパッキングして家の中も片づけて元の生活に戻った感じです。

バケーションが楽しいのは当然ですが、日常の生活が一番いいと感じるのは年を取った証拠でしょうか?

 

アラスカ航路はこれでもか!というくらい問題が次から次へと起こってまあまあ大変でした。ニヤニヤニヤニヤ

皆さんが書くような時系列では書けませんが、おおまかななレポは書こうと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

前回のブログで、フロリダからバンクーバーに入るのに一日多くかかったという話はほんの

プロローグでした。ニヤニヤニヤニヤニヤニヤ

 

 

色々あったんですけど、一番最後にえーーーーーー!という事がありまして、そのことを今日は書こうと思います。

 

 

 

なかなか長い分になってしまったので、読みたくない方は写真だけでも楽しんでください。

 

 

 

父は旅行の1週間前に軽い肺炎になり入院していました。

どうしても行きたかったらしく先生や看護師さんに行くのでよろしくお願いしますと声にしていたそうです。

先生が本当はあと三日くらいあれば万全の形で送り出せると思うけれど、事情が事情なので理解をして出発の前日に退院をさせてくださいました。

ですからMegie家族は父が旅先で寝込むことも前提としていました。

両親と妹家族はJALでバンクーバーに入っています。

両親だけはビジネスクラスだったので、妹がCAさんにお願いをして様子だけ見に行かせてもらったようです。

シートをまっすぐに倒して姿勢よく寝ていたらしいです。w

ご飯も食べずに爆睡だって。(勿体ない。貧乏性ですみませんニヒヒ

 

 

 

 

 

船に乗って2日目に熱を出し寝込みましたが次の日は体調はよくなったり。

また次の日に熱をだし。。。というか出たり引っ込んだりで、いつ熱を出したかも覚えていない。笑い泣き

7日間のクルーズにしたかったけれど、5日間でよかったです。あと2日あったら全員大変だった。

 

 

 
 
 

最後の夜、熱がちょっと高かったので、明日のフライトのために船内のドクターに診てもらいました。

男2人で父を連れて行ってもらいました。(父は捕まったエイリアン状態)w

日本からはこれまでの病状と出してもらっている薬を先生にお願いして英語の診断書を持って行っています。

もちろん、保険は一番高いのを掛けています。(父だけ)

熱以外の症状はないのですが、念のためのインフルエンザとコロナの検査をしたら、なんとコロナ陽性でした!

その日は点滴を入れておしまい。

ここでも診断書を発行してもらっています。

数時間後には熱も引いたし、普通に歩いていました。

 

 

 

 

 

マスクをする、部屋から出ないくらいで、特にこれをするな、あれをするなという決まりはありませんでしたが、ゲストサービスから電話がかかってきてお父さんが下船するときは最後になるので、こちらから電話がかかってくるまで待ってください。という事でした。

 

 

 

 

下船当日、Megieが付き添って一緒に下船をして家族と落ち合いました。

そのまま空港へ。

 

 

 

 

 

ここでもフロリダ組にちょっと問題があったのですが(カナダのエアラインがおかしかった)デルタがクリアにしてくれたのでここではスルーします。

 

 

妹一家と両親は2時のフライトで帰るはずでした。

このフライトでは父だけがビジネスクラスのチケットを買っています。

妹が心配をして、できれば父の近くの席にしてもらいたいとお願いしたところからやりとりがあり、診断書を見せる事になりコロナがばれてしまいました。(言い方悪いけど)バレてよかったんですけどね。

 

あれから数年経ってもコロナって威力持ってるのね。

もう風邪扱いと思っていましたが。

 

 

その日の便に乗せれるかJALの審議です。

 

とりあえず難しいと。。。。。

 

 

JALの従業員は本当に凄くて、最後まで乗せてもらえる方法を探してくださいました。

要は、ドクターを探してそのドクターがOKを出せば搭乗OK、それかもう一度テストを受けてコロナ陰性か。

クリニックが空港内にあるので、そこに行って診てもらいましょうと。

家族に英語ができる人がいるだけラッキー、時間もないけれど、まだどうなるか分からないから行くだけ行って診ましょうと前向きな声をくださいました。

車いすを借りて、Megieは自慢の足で押していきました。筋肉

 

 

 

 

待つこと45分、検査もせずに問診だけで診断書をくれました。

要は、昨日陽性なら今日も陽性なので、検査はしない。コロナが体に入ってから時間は経っているので父自体は大丈夫だろうけれど、他にうつす可能性はある。責任を取りたくないとのでJALが乗せるか乗せないかを決めてほしいという結果でした。笑い泣き笑い泣き笑い泣き そんな判断Megieでも出来るわ。金返せ。

他の家族が搭乗しなくてはいけないギリギリの時間だったので、JALのグラホスの方が来てくれて結果を聞いてくれたのですが、まさにJALの審議。

 

 

結果、この日父は搭乗拒否されました。

父一人を残せないと言うことで妹が父と残ることに。笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

姪っ子、特に下のちびがママと離れたくないと泣いて大変でしたが、義弟が家族と母を連れて帰ってくれました。

帰国組もその後、飛行機が揺れて下の姪っ子が大変な事になっていたらしいです。

Megieも遅い便で同じ日に帰国だったので、その場で妹達のホテルとドクターの手配を。

まさかのブログで知り合ったドクター(カナちゃん)がMegie一家を助けてくれました。

JALが見たい内容を診断書に書いてくれました。もちろん、嘘は書いていません。ちゃんとしたクリニック(オンライン)にお勤めで時間をかけて診断をしてくれています。

チケットも取り直しでしたが、日本にいる知人がどうにかしてくれました。(カナダ時間ではチケットセンターが閉まっている時間でした)

 

 

 

 

それで妹と父は次の日に帰国できました。

妹は英語が出来ないので電話越しにMegieがホテルやタクシーの人と話したりしてフォロー。

変な経験をしました。wwww

 

 

 

これを経験をしてやっぱり日本の会社は凄いなと思いました。

 

対応も素晴らしいけれど、真心があります。

地上職の方は”今は大変だけど後からはあれも思い出ね。って言えるからあきらめずにやれることはやりましょう。”って言ってくださいました。ホテルはココが便利よとも教えてくれました。そこには宿泊していませんが。w

アメリカだったら、声をかけてもらえないと思う。

ダメなもんはダメでおしまい。あとは知らんがな。って感じだと思う。

 

 

 

 

何度も言っているので知っている方は多いと思いますが、MegieはFA(CA)になりたかったです。

昔でいうスッチーの専門学校みたいなのに通い、結構な数の航空会社を受けましたが全滅。

あの頃はポジティブ人間ではなかったから今なら落ちた理由が分かります。将来が不安で仕方なく、もがいていたな。えーん

もともと外資志望だったのですが、先生が受けろという事でJALもANAもそれ関係も受けたことがあります。

新卒ではなくて既卒だったからか、あの頃のJALは関東地方に住んでる人かとびきりの人しか契約社員として採用していなかったので、実際JALに入れる確率は0%でした。

例え入れたとしても、あそこまでの真摯な態度でお客さんと接すれるか?と思うと自信がないです。

Japanese Hospitalityは世界でもトップクラスだと思います。

やっぱり人生ってうまくなっているというか、自分がアメリカに住んでいるのは理由があるなと思いました。

 

 

 

 

振り返るとJALに乗ったのってこれまで一度しかない!(名古屋―香港)

想像にすぎませんが、地上職でのカスタマーサービスであのレベルなら空の上では、デルタのサービスしか知らないMegieはぶったまげるのではないかと思うレベルのサービスをしてくれるのかと思います。

羨ましいです!

 

 

皆様、日本の企業を大切にしましょう。

トヨタも小林製薬も日本のために頑張っている誇らしい企業です。

叩かれているのは悪い奴らが政治家にいるからですよ。

彼らは悪くないどころか素晴らしい事しかやっていません。

 

ということでアラスカクルーズ第一弾レポを終了します。

次はもっとカジュアルに行きます。笑

 

Have a great day!

Megieイエローハーツ