アンチコメントを見て思う事! | 人生に夢があるのではなく夢が人生つくるんだ!

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最近、竹原ピストルさんをよく聴いているんですけど。

 

で、竹原ピストルさんの動画を観たり、

聴いたりしてコメント欄も見ていたんだけど。

 

もちろん、アンチコメントもどうしてもあるのも分かってはいるんです!

 

 

それに僕がコメント欄を見るのは、音楽に対してみんながどんな風に響いていて、どんな人やどんな音楽だったら魂が揺さぶられたり、共感や感動するのか?

 

も気になっているからなんですけど。

 

そんな中でいつもなら、いろんな意見があるし、特に音楽は感じる感性も人それぞれだからアンチのコメントはスルーするんだけど…

 

今回。

 

 

竹原ピストルって。

 

「吉田拓郎+長渕剛」のただのパクリじゃねぇか。

 

という、言葉にちょいとだけここで噛み付いてみようかなと思う。

 

 

僕は人を否定するのは本当は嫌なんですけど…

 

結局否定をする人と同じになっちゃうんで。。。。

 

 

でもあの竹原ピストルさんの姿を見て触れて聴いておきながら、その反応は…

 

と、どうしても思ってしまう僕がいて、心に引っかかっているんで(笑)。

 

 

それに、そのコメントを書いた本人には多分この記事は届かないと思うからですね(笑)。

 

という事で

 

「今回は」

 

書いてみます。

 

 

そもそも、否定してしまう人は

 

「評価される側」

 

という事を諦めた人か、そもそも人に

 

「評価される」

 

という事に挑戦すらした事もないから簡単に否定するんだと思うんですけど。

 

 

実際にやっている人が筋を通して否定するならまだ分かるんだけど。

 

と言うか、そもそも

 

「やっている人間は」

 

そのキツさや裏の努力を知っているから、否定なんて簡単にしないと思うんですよね。

 

 

どちらかというと否定などよりも

 

「お互い頑張りましょうね!」

 

と、心の中で思うんじゃないでしょうか。

 

 

そんな中で

 

「やってない人」

 

が、その努力のキツさも知らないのに、

 

人よりも

 

「楽に上に立ちたい」

 

と、思っているだけで簡単に否定して、

 

相手を下げて

 

「自分が上なんだ」

 

と思いたいが為に、否定を言うんだと思うんですよね。

 

 

それに、否定する事ほど簡単な事はないですもんね。

 

人の穴を見つけてただそれを言えばいいだけですからね。

 

 

でも、先ずはその人を

 

「1人の人間として見る」

 

という事をしようぜ!

 

と、僕は思うんですよね。

 

 

で、確かに吉田拓郎さんや長渕剛さんの要素を竹原ピストルさんからその人は感じたのかもしれないけど。

 

それは、逆にその人達を竹原ピストルさんが尊敬や好きの気持ちも込めて聴きこんでいるからだろうし(実際は分かりませんが)、

 

「その人みたいになりたい」

 

と思えば、自然とその原型や方向性は似てくると思うんですよ!

 

と、言うか人間誰だって最初はそこから始まるんじゃないのかな?

 

と思うんですよね。

 

これは音楽に限らずビジネスやスポーツやその他の事だって、

 

人に触れて憧れを抱く事から始まっていくと思うんですよ。

 

そしてそこから、自分の言いたい事や伝えたいメッセージなどが溢れてきてどんどん

 

「オリジナル」

 

になっていくと思うんですよ。

 

守破離みたいなもんですよね。

 

って言うか、守破離ですよね。

 

 

で、竹原ピストルさんは間違いなく1人の

 

「シンガー」

 

だと思うし、

 

「唄い屋」

 

だと思うし、完全に

 

「1人の人」

 

として

 

「圧倒的に存在している」

 

と感じれると思うんですよ!

 

 

コレはきっと、一度

 

「【本当に本気で】触れてみれば」

 

きっと分かるだろうし。

 

 

で、何度も言うように、音楽は好みや感じる事は人それぞれだと思うんだけど。

 

あの姿をみて否定になる事は、ま~少ないハズだと思います。

 

なので、相当心がひねくれてる人か、人生を投げ出しているんだろうなと思うんですね。

 

 

また今の世の中や音楽業界は、AKB48や乃木坂46などが世に出ているし、正直人数も多く、こちらの方々の方が

 

「一緒に見えるし、どの人も変わらん」

 

と思っている人は多いんじゃないかな?

 

と思うんです。

 

 

…と、言ってますけど!

 

ファンのみなさんすみません。。。。

 

 

決して僕はAKBや乃木坂46が嫌いな訳じゃないし、

AKBや乃木坂46などに所属している1人1人が相当努力しているのも知っています!!

 

だから、そんな1人1人をしっかりと

 

「1人の人として」

 

見ているからこそファンになるんだろうし、応援しようとなるんだと思うんです。

 

 

だからこれまた、

 

「全部一緒じゃん」

 

と、そういう風に言っちゃったり、ファンになれないのは。

 

「見る側が」

 

色眼鏡で最初からフィルターをかけて、そもそも

 

「見ようとしないから」

 

だと思うんですよね。

 

 

それに、今のアイドルが否定されやすいのは音楽を完全に

 

「ビジネス」

 

としてしまっているからだと僕は思うし、その

 

「売り方」

 

「売り出し方」

 

にも問題があるからだと思うんです。

 

 

CDが売れさえすれば良いという発想でCDに握手券を入れたり、初回盤やグッズを買えるなどにしてみたり。

 

だからと言ってもちろん!!

 

そのアイドルを売り出そうとしているプロデューサーや、

実際にAKBや乃木坂を手掛けている秋元康さんやそれらに関係している方々をこれまた否定している訳じゃないです。

 

その人達も

 

「どうにかして頑張ってるこの子達を売りだしたい、世に出させてあげたい!」

 

という一心から絞り出した末に辿り着いたすごい売り出し方、やり方だと思うんです。

 

実際に今までにないやり方だから、爆発的に人気になっていると思うんですよね!

 

 

ただ…

 

ただその結果が…

 

「アーティスト商法」

 

と言われるようになり、

 

売れさえすれば何でもいいのか?

 

どいつも一緒じゃねぇか!

 

こんなの音楽じゃない!

 

という言葉も出てくるんだろうし…

 

でもコレも。

 

時代の進歩が加速し過ぎていて音楽を届ける形も目まぐるしく変わっているからだろうと思うんです。

 

「届ける側も必死」

 

なんだと思うんです!

 

だからこそ、余計に。

 

竹原ピストルさんが伝える

 

「必死じゃない大人なんていないのさ」

 

というようなメッセージが余計に響くんじゃないのかな?

 

と、思うんですよ。

 

 

 

そもそも

 

「音楽そのもの」

 

は、何年経っても何も変わっていないハズ。

 

そこにあるだけで、人を感動させたり、ワクワクさせたり、前向きにさせたり、癒してくれたりするもの。

 

だから音楽を

 

「売り物」

 

とした時点で何かが変わってしまっちゃったんだろうし…

 

それでも、好きな事で食っていくとなれば

 

「音楽を売る」

 

という発想も自然な人間の思考の流れだったのかもしれないし。

 

ただそれが…

 

行き過ぎてしまいましたよね。

 

 

特に日本は恵まれている国だと思うし、そんな豊かな国で音楽をやっていれば。

 

豊かが故にメッセージ性よりも、いかに

 

「お金に変えるか」

 

ばかりが、先行しちゃうのかもしれないですね。。。。

 

 

そんな中での

 

「ギター1本であのメッセージ性」

 

を伝え、表現できる!

 

という人がテレビや世の中で広まって認知されているのは。

 

今の

 

「日本の音楽の在り方」

 

や、音楽業界を見直すのにはとてもいいきっかけを作っている人だと感じるんです。

 

 

それに竹原ピストルさんは、あの風貌と力強い歌声とは裏腹に。

 

一度素に戻れば

 

「謙虚過ぎるぐらい謙虚」

 

という人柄だからコレまた人としても惹かれやすいと思うんですよね。

 

(この部分も実際に観てみてください。)

 

 

昔はギター1本で!

 

というスタイルは、尖っていたり

 

「オラオラ系」

 

じゃないと、受け入れられズラかったみたいなんですけど。

 

というか、昔は

 

「音楽をやる奴なんてヤンキーだ!」

 

みたいな部分があったみたいだし、

集まる人や聴く人もそんな感じだった時代もあるから、音楽をやる方や伝える方も気合を入れなきゃ殺されかねなかったんでしょうね。。。。

 

 

だから、逆にそれが

 

「表現する側」

 

もいい意味でプレッシャーになり。

 

「聴く側も」

 

必死に聴く!

 

ダサいと思えば思いっきり批判するだろうし、逆にスゴイと感動したらそれも思いっきり言う!

 

で、今と根本的に違うのが、

 

「批判の仕方」

 

にもある。

 

 

今の時代のようにネットで

 

「顔も素性も分からん感じ」

 

で言うのではなく

 

「批判する方も」

 

命がけで

 

「面と向かって言う!」

 

そうしなきゃ、言えないからですね!

 

ライブで罵声なんてのも当たり前ですよね。

 

実際に吉田拓郎さんのライブに長渕剛さんがまだ売れていない頃に出させてもらった時に

 

「お前なんて帰れー!」

 

みたいになって

 

「俺は帰らんぞ!聴いてくれ!」

 

と、言って一言歌い始めたら観客が湧く音声の音源もあります。

 

 

だからこそ、音楽のクオリティーも高かったと思うんですよね。

 

聴く側も伝える側も必死になり、

 

実は聴く側も

 

「批判しているようで」

 

それは聴く側も

 

「一体となって!」

 

一緒に、作る側に批判という

 

「エール」

 

を送っていたから

 

「昔の曲は響く」

 

と、言われるものが多いと思うんですね。

 

 

何度も言うかもですけど、昔はネットなんてないんだから

 

「批判するのも」

 

命がけだっただろうし。

 

 

そんな中で、ステージに上がるという事、ましてやテレビに出るという意味がどれだけの事かも分かった上で、

 

アーティストになった人はやっていたと思うから、音楽自体のクオリティーも自然と高くなっていたんだろうと僕は思ってます。

 

 

ここで僕が言っているクオリティーが高いというのは

 

「音がいい」

 

とか、今の音楽のように

 

「たくさんの音や楽器が使われている」

 

とかではないです。

 

(もちろん、これはコレでスゴイ!)

 

そういう機械の技術面ではなく、

 

「熱量や想いの部分での」

 

クオリティーが高いという事ですね。

 

なので現に、音が悪かったり音程を外している音源の方が逆に心を打つ事も多かったりすると思うんですよね!

 

 

今は直ぐに歌声も加工できるし、音程だって直せる。

 

何でもかんでも機械で修正可能だ…。

 

それに今の時代は

 

「発信」

 

というのも簡単にでき、簡単に表現ができる場もできて、確かにいろんな人に可能性もチャンスも広がったと思う。

 

でもその分、

 

手軽さやスピード重視になって1つ1つが

 

「軽くなってしまっている」

 

のも事実だと思うんですよね。

 

(本人は一生懸命だと思うんですけどね。)

 

 

と、長々と書いてしまいましたが。

 

伝えたい事は以上です。

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。

 

えっと…

 

これに関しての批判は受け付けませんので(笑)。