インドを旅した際、ある忘れられない出逢いがあった。
国内移動で2日間お世話になった、現地のタクシー運転手Aさんだ。
気さくで31歳と年齢も近いことから、私達夫婦はすぐに仲良くなった。
自国から他国の言語まで、およそ10ヶ国語は話せるというAさん。
「10ヶ国語も話せるの?!」と驚くと、「たったの10ヶ国語だけだよ」と笑って答えた。多言語社会であるインドでは、2ヶ国語以上話せる事は珍しくないのだろう。
Aさんは大学でサンスクリット(梵語)を専攻し、教員の資格も持っているという。
「サンスクリットより日本語の方が簡単だから、日本語は2ヶ月もあればマスターできる」と話す彼は、確かによく日本語を知っている。
インターネットで日本の歌曲を聴くこともあるそうで、「なだそうそう」を歌ってくれたり、どこで知ったか「バザールでゴザール」と懐かしいネタを披露してくれたり。笑
ポップソングより演歌のリズムの方が好きだというから、なかなかの通だ。
(到着した時は濃霧で、遠くからはタージ・マハルが全く見えなかった)
渋滞をすり抜けて車を加速させるAさんは、5つの目を持っていると言う。左右の眼で2つ、バックミラーと左右のサイドミラーで3つ。
と言いつつ、サイドミラーは出していなかった。インドではよくあること・・・(^^;
また彼は、インド人はアクション映画を見ないと話していた。
なぜなら、日常の運転で十分見ているから。
ユーモアに富み、語学堪能で博学なAさん。
教員の資格も取得しながら、なぜその道を志さなかったのかと聞くと、過去の話をしてくれた。
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大学院を卒業したAさん。教員では低賃金の仕事しかなく、服飾店を営み始めた。
しかしある時大口の注文を受け、完成した商品を納品する直前で急きょキャンセルになり、先方には取り合ってももらえず、その損失を補うために閉店せざるをえなくなった。
ちょうどその頃、生まれたばかりの子が病を患い、厳しい状況下でもなんとか治療費を工面したが、ついには亡くなってしまった。次に生まれた子も、悲しいことに病気で亡くし、Aさん夫婦はとても悲しんだ。
苦しい生活の中、とにかく収入を得るため必死に職を探し、家から200km離れたデリーにある旅行会社で、現在の職に就くことができた。
今は待望の3人目の子も生まれ、病気もなく元気に育っており、Aさん夫婦は幸せを噛みしめていると言う。
「人生は山と谷がある"手"のようだ。良い時もあれば、悪い時もある。それが人生」と彼は言った。
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職業柄、毎日何100キロもの距離を運転するため、2週間以上家に帰れないことはよくあり、体への負担も大きい。
それでもAさんは、限られた時間の中でも乗客が旅を楽しんでくれるよう、笑顔を絶やさず、細やかな気遣いをしてくれた。
運転しながら、インドの歴史や文化、観光地のこと、家族のことも、快くお話ししてくれた。持ち前のユーモアで笑わせてくれることも。
そんな彼に心を開く旅行者は多く、運転手という仕事を通じて世界中に友達が居るそうだ。
困難に遭っても人への思い遣りを大切にし、毎日を前向きに生きているAさん。
その体験談を聴きながら、思わず涙が込み上げてきた。
話してくれたAさんも、涙をにじませていた。
「話してくれてありがとう」と私は言った。
別れの時、Aさんは私たち夫婦に贈り物をくれた。
「インドの旅の思い出に」と、小さなタージ・マハルのキーホルダーを二つ。
私たちも何か特別な贈り物をしたかったけれど、手元には日本のお土産も赤ちゃん用品もなかった。そこで唯一持っていた、サンゴのお守りを渡すことにした。長崎に居る夫の祖母が、沖縄の物産展で買って下さったもので、海外へ行く時には必ず携帯しているお守りだ。
「あなたとあなたの家族に幸運があるように、これを受け取って」
とAさんにサンゴのお守りを渡すと、また涙をにじませて喜んでくれた。
思いが込められたサンゴのお守りは、沖縄から長崎へ。
長崎から静岡へ。 そして静岡からインドへ。
海を越えて、思いは繋がっていく。
今回の旅でAさんと出逢えた事は、私たち夫婦にとって一番の宝になった。
Aさんの存在を語らずしてインドの旅を語れないと思ったので、
この話を書いても良いか彼に尋ねた上で、私の日記に書かせてもらった。
「いつかまた一緒に会いましょう」と誓い、私たち夫婦はインドから日本へと飛び立った。
旅先で仲良くなった人のこと、親切にされたこと、驚き・喜びなどの感情は、いくら歳を重ねても、忘れることなく鮮明であり続けると思う。
そういった経験を胸に収めることで、今日からの自分がまた少し変わっていく。
旅の帰路で、私の頭の中にはRemember me(くるり)の歌詞が流れ続けていた。
『すべては始まり 終わる頃には
気付いてよ 気付いたら
産まれた場所から 歩きだせ 歩きだせ
遠く離れた場所であっても
ほら 近くにいるような景色
どうか元気でいてくれよ』
インドは広く、私たちが見たのはインドのほんの一部に過ぎない。
これを「始まり」として、またいつか夫と共にインドを旅したい。
その時は、Aさん一家にも会えたらいいなぁと思っている。



