いや、年度末ってマジ忙しいんっすね、ニコです
先日も気づけば3月3日でww
あれ、なんか忘れてる・・・っつってね
まあ、あれですよ。
行き遅れてもいっかっつってね。
この辺はひな祭りは旧暦だとか何とか、4月まで出しといていいって言うから、ハイ、遅ればせながら出しました。
じつはこのお雛様、顔に噛み傷があるんですよね。犯人はこの人
何でも噛む姫、ウメ嬢。。。
バチ当たるかな~ww
さてさて。
来年度役員もそろそろあちこち決まってきて、なんとなくひと段落。
そんな中、お兄の授業参観で学年最後の懇談会がありました
ここに詳しく書くことは避けますが、学年全体の保護者の方々と校長先生も交えて本当に大事なことをみんなで共有することができたと思います。
ワタシがしみじみと思ったことは、ある出来事やそこで発せられた言葉そのものは間違いなくひとつであるのに、人の数だけ受け取り方があって、それはきっと分かり合おうと努力しなければ決して分かり合えないという事。
私たち大人は、人と人とが簡単には分かり合えない事も、言葉の行き違いというものが確かに存在する事も経験をもって知っているのに、それでもやっぱりいろいろな所でいろいろな形ですれ違いや誤解は生まれるし、それを以て傷つけたり傷ついたり、する。
だからきっと、それを学ぶ過程である子供たちは、大人よりももっと必死の瀬戸際のどろどろん中で、生きてる。だって子供たちの世界、やっぱ狭いし。
例えば、ケンカ。
例えば、仲間外れ。
ちょっとした噂。
そういう意味で言ったんじゃないとか、ほんの冗談だったとか、そんなつもりでやったんじゃなかったとか。
保護者同士がちゃんと手をつないでる感じがベター。
もう一度、みんな一緒に、もろもろをなぞって行ける感じが、いい。
事あるごとに学校に文句言いに行く親にはなりたくないけど、大人はちゃんと、自分たちがそうだった時代を思い出さなきゃね。
校長先生は、「表出しない子供たちの気持ちを理解するために教師の感性を磨くことが重要」だって言ってました。
教師の感性、いい言葉だ。
知識や経験より、納得できる。
先生ほど、心を磨くことが必要な仕事はないって思うから。
困っていること、苦しんでいること、子供は基本誰にもばれたくない。
なので、大人はみんなその事忘れないようにしなくちゃな~
絶対辛い思いさせないように、大事大事に守って育てたらそれはそれでダメなんだけどさ。
子育てって難しい。
学校って難しい。
誰でもそうだから、助け合わなきゃね。
共有、大事。
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