価値観か思考回路か嗜好性か | げんじつとうひの館

げんじつとうひの館

LINEアカウントが初期化されて使用できなくなりました。新しいアカウントを電話番号で登録していただくよう、お願いします!トンガリヴィレッジでお知り合いになった方々、LINEできなくて困ってます✋

金曜日、歯科で消毒して、帰宅後に届いた会報を読んで、それから、衝動的に髪が切りたくなって、美容院へ行った。
(髪が「妖怪人間知っとるケ」寸前だったため)

ちょっと短めに。後頭部に膨らみを持たせて欲しい。
前髪は短め、かつ、薄めで。襟足は癖があるので注意を。

と、オーダーした通りにカットしてもらったけど、なんか違う。
美しい人だったら桃井かおりや米倉涼子風(要するにショートボブ)になったのだろうが、
私の場合は『ソフトボール部にいそうな中学生』にしか見えない。
スタイリストさんの腕が悪いのではなく、私に色気が無いせいなのだ。グッスン。

さて。虫歯のせいで読書に身が入らなかったのだが、
萩尾望都の「一瞬と永遠と」を何とか読み進めている・・・途中。

萩尾さんの好みというか考え方というか物事の捉え方というか。
そういうものに凄く共感し、「そうそう、わかるー」とご本人に伝えたくてうずうずしている。
でもまぁ、そんな友達のノリでイキナリ手紙やメールをするわけにもいかず。
しかも、ご本人に伝えようにも、いざとなると何を伝えていいかさっぱりわからず。

彼女の好きな作家のひとり「ブラッドベリ」との出会いについて書かれた
『食卓にはブラッドベリの幸福を』からの引用

さまざまに人びとはブラッドベリを読むだろう。
私の場合はこうだった……もし、本というものがある波長を出しているとしたら、私の波長とぴったり合ったのである。
だから、時々に、そういう本なり、そういう作家なりに出会うと、私はなんだか自分のおとし物をついに見つけだしたような気分、生き別れていたもう一人の自分に出会ったような気分、あのとき言いたかったこと、あのとき解ってほしかったことを、ちゃんと聞いて理解してくれた誰かが、帰ってきたような気分……になり、「ああ、あなたはここにいたの」と語りかけたくなる。
それで、ブラッドベリはそういう感じだったのだ。


無断引用はよろしくないのだろうが、私に上手く要約して伝える文才が無いので、ご勘弁を。

誰でも、好きなものと出会ったらそう感じるものなのだろうけれど。
「もう一人の自分に出会ったような気分」という表現と自分の思っていることが合致して、腑に落ちて、そう感じる人がココにもいたのかという安心感から、とても幸せな気持ちになったわけだ。

ライブにも行かず熱心に情報収集するでもなく、アルバム買って聴くだけのライトなファンだった私が、歳を考えず恥ずかしげもなく彼ら(言わずもがな)の一挙手一投足に注目して一喜一憂するようになったのは、どういう風の吹き回しなのだろうか??

曲だけに関していえば、スピッツ(あ、言っちゃった)だけ突出している訳でもないのだろうけど、「理解して受け入れてくれそう」な感じがあったのだと思う。
背伸びしてオシャンティーな渋谷系聴くのもいいけど、自然体でいられることのほうがずっと気持ちいいなぁってさ。気持ちいいのは、大事だな。

泣いて落ち込んでる時に過剰に「元気出せよー」って大騒ぎするんじゃなくて、さりげなくハンカチを置いて行ってくれるような。
それでいて、遠くからニカっと笑ってピースサイン出してくれるような。
うーん。よくわからなくなってきた。ま、そんなツンデレ感や懐の深さがたまらん。

だからさぁ。
感受性が強くて想像力が豊かなのは良い所なんだけど。
みんな表だって騒がないだけで、少なからず心を痛めてると思うよー。
まぁ、そういうことを考えつつ、のほほんとおでん食べててもバチは当たらんだろうて。
平和な日本で毎日を穏やかに過ごせることに感謝しつつ、笑って過ごすのが私たちに出来る事だにー。

本人に届かないことをいいことに、いろいろ言ってみた。失礼つかまつった。