世界中から人が集まってできた街なのだ。
みんなが幸せを求めて海を越えてきたはず。
今回はそういった人々の一人を紹介しよう。
- ベトナムの少女―世界で最も有名な戦争写真が導いた運命 (文春文庫)/デニス チョン
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ベトナム戦争を語る時に必ず目にするであろうこの写真。
1972年、6月8日にアメリカ軍によるナパーム弾の爆撃から逃げる
この裸の少女の名前はファンティー・キム・フック。当時9歳。
現在はトロントで夫と子供達に囲まれ幸せに暮らしているそうだ。
私が彼女の写真を見たのはいつだったろう?
彼女の名前や、現在の彼女を知ったのは私がカナダに来る数日前。
たまたまテレビでベトナム戦争のドキュメンタリー番組をやっていて、
それにトロントでの現在の彼女が紹介されていたのだ。
これからトロントに発とうとしている私には衝撃だった。
日本では身近に出会わないような人、
日本ではテレビの中での話と思うようなことを経験した人も暮らす街にこれから行くのだ。
このピューリツアー賞を受賞した写真は世界に戦争の悲惨さを強く訴えただけでなく、
彼女の人生をも変えてしまったという。
彼女は爆撃で体にひどい火傷を負い、
サイゴンの病院に14ヶ月も入院した。
まだ若かった彼女は自分の焼け爛れた皮膚に絶望し、
先の人生を想い、嘆いたそうだ。「結婚どころかボーイフレンドもできっこない」と。
しかし、82年にキリスト教に出逢い、彼女はポジティブになっていった。
「顔と手はきれいだし、足を火傷しなかったから逃げ延びることができたのだ」
キリスト教によって希望を取り戻した彼女は医者になることを志し始める。
しかし、ベトナムの政府は彼女を「ベトナム戦争の象徴」として利用し、
楽しい青春、自由を奪ってしまったのである。
政府から常に監視され、とうとう医学の勉強を断念してしまった彼女は、
86年、政府からの派遣でキューバに留学し、
そこで現在の夫に出逢い、結婚した。
新婚旅行のモスクワからキューバに戻る際に燃料補給のため
飛行機がカナダのニューファンドランドに降り立った。
飛行機が離陸する前に空港で彼女はカナダに居たい旨を必死で伝えた。
答えは「オッケー!」と、非常にあっさりしたものだったそうだ。
カナダが移民法を改正し、亡命者に対する永住が厳しくなる直前のことだった。
「神様がスポンサーになってくれた」と彼女は語っている。
こうして自由と幸せを取り戻した彼女は後にワシントンで開かれた
米軍の退役式典に招待され、ナパーム弾を投下した兵士と対面した。
涙ながらに謝罪する兵士を彼女は笑顔で許した。
キムさんは現在ユネスコ平和大使に任命され、
世界中で平和を訴え続けている。
こんな人もトロントに住んでいる。





