玉陵は
1501年に 尚真王が 父尚円王の遺骨を改葬するために
築かれ 第二尚氏王統の陵墓となりました
沖縄戦火での被害は1974年から約3年にわたり修復工事が行われ
現在に至ってます
砕いて中庭へ敷き詰められた珊瑚の種類です
御葬具図帳
(ごそうぐずちょう)
1901年
尚家の葬儀に使用された道具の図帳で
美しく彩色された図帳は当時の葬送が伺える貴重な資料です
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モノクロ写真は
尚泰が亡くなり19年後に尚典の葬儀が行われた様子です
尚典は尚泰の長男で第20代の当主です
世が世なら王ですね
これらの資料は1879年に首里城を明け渡した際
住まいを東京へ余儀なくされた尚泰の元に
手厚く守られ沖縄戦火を逃れました
東京空襲でも 蔵は消失せず 無事に沖縄へ戻って来れたのは
ご子息尚裕氏が守り通したからと言われています
独自の繁栄を極めた琉球王国の交易範囲
日本・中国・朝鮮・東南アジア諸国をむすぶ島国としての
地理的特性を活かし交易国として栄えてきました
この地理的事情はアジア圏を監督する意味でアメリカには魅力的!
だから
基地の返還は遅々としてすすまない理由と私は考えます←嫌われますね@@
そして来賓をもてなすことにも力を入れました
海に囲まれた裕福な琉球国を訪問する国々は少なくなかったと
思われます
最後に
頻繁に通過してた「玉陵」でしたが 今回ご縁ができて入場する運びとなりました
これまでは 感心どころか 玉陵の意味さえ深く考えずに過ごしましたが
知って本当にびっくりでした
これから玉陵へ行かれる方は始めに資料館へ入ることをお勧めします
私も確かにぐったりと疲れてしまいましたが
沖縄の王家を垣間見ることで 歴史的背景を知ることになり
貴重な資料も拝見できました
地球の年齢は どれくらいなのかわかりませんが
たった数千年 数百年 と
延々に引き継がれる歴史は地球規模からすれば アリの大きさかな
百年人生からすれば 壮大なスケールだよ
戦争あり
お家騒動アリ
侵略あり
みんな みんな はるか 彼方のことに変化し 当時を生きてこられた証は
本当にご苦労なことだと・・・・・
平和な日本を得て74年
美味しく食事ができる
普通に生活できる
ということは 大事で幸せなことだと思います
今後 遺産を観る際の物差しにしていきたいです
最後までお付き合い下さりありがとうございました
果物のオブジェ
食べられないのは残念
素敵な日々をあなたへ