尚 泰王は  昨日の記事で紹介したのは記憶に新しいですね

 

 

今日は

尚 泰王の家族構成を少しだけ紹介したいと思います

 

 

 

4歳で琉球国王となりましたが もっとすごいのはその家族でした

尚 泰王には

 

妃が一人

夫人が二人

妻が六人います口笛

 

 

この数は一国の王としてはそれほど珍しくもないそうですアセアセ

 

 

 

 

これだけ多くのパートナーがいるため 子どもの数もどんどん増えますね爆  笑

のちに貴族議員となる尚 典を先頭に

六人の男の子

 

長女の真鶴金を先頭に

十一人の女の子

 

子どもだけで17人もいるのです爆笑
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その四男 尚 順(男爵)が 自宅の庭を基に農園や土木業を開いたのがこの邸宅です

 

 

 

はるかむかし

尚 順は沖縄県の農業に多大なる貢献を与えました

 

しかし

壊滅的打撲を沖縄戦で受けましたが戦後に再建を進めました

 

 

 

玄孫(尚 猛)は それらを引き継ぎました

 

移り変わる時代の波に呑まれながらも こうして家業を引き継ぐ後継者が育まれ素晴らしいことです

 

 

 

 

 

 

 

とてつもなく 広大な敷地ですが

譲渡したり賃貸したりで かなり小さくなっております

 

 

 

地図のNO1は イタリアンのレストランでしたが 今は事務所に変わっていました

 

石焼き釜で焼いたピザが美味しかったなぁ

また 石焼き釜パンも美味でした

 

 

 

 

今回は 正面玄関から地図の↑白線に沿って奥へ進みましたよ

 

奥と申しましても・・・・・ほんの少しですね この地図からだとゲラゲラ

 

 

 

 

 

 

 

道なりに歩んだ奇跡の木々などご覧ください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

改装中でございました

 

 

 

 

 

琉球王国は1879年の琉球処分によって

沖縄県が設置され 滅亡しました

 

 

 

国が滅亡したことで国王の尚泰の運命も大きく変動します

 

 

 

住まいであった首里城を追い出され 中城御殿(なかぐすくうどぅん)へ移りました

 

しかし

明治政府より東京移住を命令されます

身分も国王から華族へと格下げです

 

 

 

東京の麹町へ邸宅を構えた尚泰は子どもたちと一緒に暮らし59歳で亡くなりました

 

現在も子孫は東京に暮らしています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尚 泰が沖縄へ戻ったのは死後でした

 

葬儀は 故郷の沖縄で盛大に行われたということです

 

 

 

埋葬は

歴代の第二尚氏王統の国王や王族たちの陵墓・玉陵に納骨されています

 

 

玉陵(たまうどぅん)ですね

首里城に近く 安國寺の隣です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は たまたま中へ入れましたが

個人宅のため 本来は入れませんので ご了承くださいね

 

 

 

 

 

 

 

保護ねこたちと一緒の すいかどんスイカ

 

 

この一枚の写真からも時の流れを感じます

 

 

 

すてきな日々をお過ごしください音譜