んで、オレが小学校3年生の時に 新しいお父さん は独立して、会社を起こした。
なんだかんだあっても、けっこー幸せだった生活は、今度は「豊かさ」ってのを手に入れてきて、さらに幸せになっていった。
・・・・まだ、小学校3年生だったけど・・・・
なんだか、夢みたいだなぁ・・・って冷静に思ってたよ。
最初の離婚から、・・・・
そのさ、家を出る時を覚えてるんだよな。
当時、3歳とかだと思う。
で、オカンに手を引かれて家を出た。
親父が会社に行ってる間だよ。
これが、話合った末なのか、・・・・それとも、家出みたいな感じで、出ちゃったかは、わかんないけど・・・・
とにかく覚えてる。
・・・・・そんで、「工場」に、住み込みで働きに入ったんだよな。
・・・・その風景も覚えてる。
狭い部屋で・・・・工場の片隅にあって・・・
工場休憩室みたいな場所だったんじゃねーのかな。
布団敷いたら、もう、他に何も置けない んなとこ。
だから、4畳半とかじゃねーかな。・・・・3畳かもしんないな。
工場には1コ上だかの男の子と、さらに上の女の子がいて・・・・って、相手も、4歳とか、5歳とかじゃねーかな。
・・・・で、「虐められる」笑。
姉弟 で虐められる・笑。
・・・・で、子ども心に、「逆らっちゃいけない」ってのがあってさ・笑。
あっちは、社長の子息だしねぇ・・・笑。
かんっぜんな「YESマン」・笑。
「怪獣ごっこ」とかで、永遠に怪獣をやらされる・笑。
もう、こっちは、怪獣だからさ、殴ろうが、蹴ろうが自由自在・笑。
・・・・しかも、姉弟で・笑。
体の良いオモチャだよな・笑。
社長子息専用オモチャ・笑。
・・・・そのあと、母子で、親戚の家に居候したこともあるんだ。
そこにも、また、それくらいの子供がいてさ・笑。
姉弟 なのも同じなのよ・笑。
で、また、虐められる・笑。
・・・・嫌だったなぁ・・・・
なんだか・・・
子供心に落ち着かないんだよな。
やっぱ、自分の家じゃないって・・・・なんか、そんな緊張感があるんだろうな。落ち着かない。
寝る。
食べる。
トイレ。
そんな基本的なことが落ち着かないんだよな。
・・・・・だから、小学校3年生、4年生のこの時代。
オカンがいて、弟がいて・・・・自分の家・・・ってか、住む場所があって・・・
夢みたいだなぁ・・・
って思ってたよ。
オカンは、・・・・オカンは・・・・なんか、とぼけてるってか・・・笑。
前にも書いた通りで、オレに対しては「初婚」・・・・初めての「お父さん」ってことで、通そうとしてたから・笑。
そんな
夢みたいだなぁ・・・・
って、感慨に浸って、感動を共有するってこともできず・笑。
その・・・・過去の、「工場住み込み」とか「親戚居候」とかは、
すーーーーっかり無かったこと になってたんだよね・笑。
母子で、絶対に口にしなかったもん・笑。
・・・・で、 新しいお父さん との、・・・豊かな生活ってのに、ホントに
夢みたいだなぁ・・・
って思ってた。
まぁ・・・新しいお父さん からの「虐待」ってのは、あったんだけど、・・・・それも、まぁ、オレの中では小さい話だったしね。
・・・・要は、怒られなきゃいいんだから。
オレさえ、ちゃんとしてれば怒られないからな。
・・・・で、だんだん、わかってくるんだよ。
怒られるタイミングってのか・・・・
基本的には、弟とオレの間には「差別」がある・笑。
可愛がられる度合いが違う。
・・・ってか、弟は猫可愛がりだったけど、・・・オレは・・・相手にしてもらえなかったなぁ・・・・
まぁ、弟は実子だし、オレは連れ子だから、しょうがない。
・・・・で、怒られるタイミングってのが、わかってくる・笑。
酒が入った時なんだよな・笑。
もっと言えば、「酔った時」
でも、毎日飲む人だからさ・・・・んで、住んでるとこは、2間のアパートでしかないから逃げ場はないんだけどさ。
それでも、酔っちゃえば、あとは寝るだけだから。
この時間さえ凌いじゃえば、1日無事で終わる・笑。
オレが気をつけてればいい。
そうすれば、家族円満。幸せ家族。
・・・・で、オレにとっては、それほど苦労ってほどでもなかったんだよ。
・・・・ってか、人生の初めての経験だし・・・・
だから、自分が、親から・・・・継父から「虐待」を受けてる・・・弟より差別されてるって自覚もないから。
んで、怒られるっても、なんか理由があって怒られるし。
だから、気をつけてれば・・・オレがしっかりしてれば、まぁ、問題ない。
住み込み先とか、居候先の理不尽な虐めから比べれば、ぜんぜん楽勝なのよ・笑。
・・・・・でも、
すーーーっかり、大人の顔色を窺う子供にはなっちゃってたよな。
大人に限らず、まわりの顔色を窺う。
・・・「窺う」って言うと、言葉がアレだけど・・・
そんな「虐待」みたいなことがあったけど、・・・んとに幸せだったんだ。
何より、救いは、友達だったんだよな・学校とか。
近所には子供がいっぱいいて、毎日、泥だらけになって遊んでたし
学校では、みんなが友達だった。
・・・・おそらくだけど・・・・
幼かったときの「住み込み」とか「居候」生活で、・・・・あとは、今の 継父 との関係から、周りを「窺う」ってのが身についてんだけど・・・
それが、良い方向にいったんだと思う。
学校生活でも、そのまんまに、周りを「窺う」・・・・これが「気配り」ってことになる。
そんなことから、なんとなく、クラスの中心になっていくんだよね。
「遊ぶ」
って時でも、常に周りに気を配るから・・・・みんなが、ちゃんと遊べるように、とか・・・そんな配慮のできる子供になっていたんだよね。
それで、先生からの信任も厚かったし・・・・クラスの中心にいた。
それが、オレにとっては救いでもあったんだろうね。
・・・・だから、継父からの「虐待」とかがあっても、毎日は幸せだったんだよ。
親子4人で、幸せに暮らしていたんだ。
この時までは。