昨日書いた、わたしがどうしても泣き寝入りはしたくないと思ったこと。

自分の中で、もういいと思えるまで、書くつもりでいます。
昨日も書いたとおり、和解は諦めたし、和解案も話し合う以前の問題で、全く話し合いの土俵にもついてもらえないので、もう自ら引き下げました。

このブログはflexibilite フレキシビリテ、という名前ですが、これはわたしが考えたブランド名です。
後々記述しますが、このブログも会社の依頼で始めたものです。

しかし、和解案を引き下げた際に、こちらのブログの記事は全てわたしのものであり、会社には属していません。それについては直接、確認をして言質をとって
います。

このブログ内にあるものは、全てわたしの文章であり、わたしのものです。
このブログで使用しているflexibliteという名前もわたしのものです。



※物語はここから。

『すべてのはじまり』

さて物語はわたしたち一家がバリに引っ越してきた所から始まります。

バリに来てしばらくした時、わたしたち一家の状況は、
主人は日本で働き、わたしと娘たちはバリで暮らし、家族別々の生活をしていました。
そんな折、主人の友人で元バンド仲間でもあるBから主人に連絡がありました。
Bは元々は自分でお店をしていましたが、今は彼のお父さんの会社で働いています。社長と、Bの親子2人でやっている会社だそうです。

その会社に、Bの学生時代の友人?幼馴染?から、エステ用のコスメの輸入の依頼があったそうで、その話がかなり大きくなりそうだから、この不景気、お父さんの会社で扱っている事業だけでやっていくのではなく別の事も始めてみたいと、その話に乗ることにした、ついてはわたしたち夫婦、とくにわたしがバリにいるのが好都合、一緒に手伝ってやってくれないかという話でした。

Bはコスメに関しては何も知らず、インドネシア語も英語もできない、バリの事もほぼ全く知らず、右も左も分からない。

どうせ新しい海外での仕事を始めるなら、すでに先にバリに行っているわたしたちがいるんだし、
わたしたちにとってもこれが後々仕事になっていけばお互いにとって、いい事だから手伝って欲しいということで、そうやって気にかけて誘ってくれた気持ちもありがたかったので、

以前からBを知っていて、人間関係も人となりも知っている主人はそんなに乗り気ではなく、なんとなくトラブルになるんじゃないかと心配していたけれど、

わたしはほぼBの事は顔見知り程度で
人から聞いた話ではジャッジできないし、
まずBの話を聞いてみて手伝いをすることでわたしたちも何か見えてくるものがあるかもしれないと前向きに捉え、

Bが渡バリするまでに、わたしは当時4歳と、まだ2歳になって間もない娘2人を抱え、家事育児の合間を見ては彼の泊まる所の手配、バイクの手配、バリのコスメ状況について調べ、その時わたしたち母娘が旦那と離れ離れなのを心配してバリまで会いに来てくれていた親友にも頼んで、リサーチを手伝ってもらい、下準備を進めました。

そうして、Bが旦那とともに渡バリ。当然空港からホテルまでのタクシーから始まり、全てわたしたちが手配し、ホテルのチェックインにも付き添い、両替や、こちらでの生活で注意すること、周辺地理の説明、バイクの手配、Bが来ている間のスケジュールのプランニング、わたしの親友が見つけてくれた現在の取引先への道案内、その他マーケットのリサーチ、Bが社長から行けと言われていた会社を炎天下の中走り回って探し、そこでのやり取りも通訳含め、Bは全く何もできないので、こちらが全て取り仕切り、
主人もわたしも休暇の半分以上を費やして、家に置いてはおけない子どもたちも連れながら、Bに付き合ったのが事の始まりでした。

その一回目の渡バリの時は、晩ご飯を2度ほどおごってもらい、
わたしと親友は、道案内などをしたお礼にと、ランチ代を出してもらったのと、B自身のリサーチも兼ねて、ウブドのスパに連れて行ってもらいました。

今にして思えば、一番最初から、Bの友人のクライアント(女性)のことについて、男尊女卑な発言はしていたな、と思うし、でもこちらでの生活を試行錯誤していたわたし自身が、自分のファーストインプレッションを無視して、渡りに船とばかり、そこに乗ったのがいけなかったんだなとも思います。

今日はここまで。
読んでくださってありがとうございます。