ニルアドミラリ。

紫鶴とツグミ恋人中。

 

同じネタで どうしても隼人で書いてみたくて書いたけど、

でも、これはやっぱり紫鶴さんのが書きやすい!

 

そして紫鶴さんだから、ちょっとだけ大人になりました。

 

 

***

 

 

鋭利なナイフのような月が光沢のある藍の天鵞絨を細く切り裂くように空に浮かぶ、美しい夜。

趣のある洋風建築のレストランを貸し切って、出版社主催のパーティが開かれていた。

広い室内にほどよく明るさを絞ったランプと重厚な木材の色味の反射。

そこに集う文人の風情。

どこか密やかな雰囲気が漂っていた。

 

会場内ではドレスコードに合わせ、華々しい装いの男女が給仕されるグラスを手に、そこかしこで歓談する様子がみられる。

少しだけ緊張した面持ちのツグミも招待してくれた小瑠璃とともに、談笑の輪にはいっていた。

チラリと少し離れた位置には、幾人かの作家の集まりがある。

ツグミが今着ている、大きめに開いた胸元にレースとフリルがたっぷりとあしらわれ、細いリボンがそこに可愛らしさを添えた撫子色のドレスは、その集団の中にいる紫鶴がプレゼントしてくれた物だった。

このような出版社主催のパーティに小瑠璃が招待してくれたのは、紫鶴が主賓として招待されていたせいだった。

輪の中の紫鶴は、いつもの柔らかい雰囲気の着物姿ではなく黒いスーツを身にまとい、背から腰へかけて背筋の伸びた体のラインがはっきりと見て取れて、いけないと思いつつ目が追ってしまう。

視線を意識的にそらしながら無意識にツグミは指でそのリボンをなぞった。

 

「ツグミちゃん。そのドレス、すごく素敵ね」

 

小瑠璃にそう声をかけられて、また紫鶴に視線をやってしまった。

 

「ふふふ………そうだろうって思っていたけれど、紫鶴さんのお見立てなのね」

「あっ………」

「そんなことで照れちゃうなんて、可愛いわね」

「もう、小瑠璃ちゃん。からかわないで」

「でも、本当に似合っているわ…このレースのチョーカーもお揃い?」

「そう」

 

ドレスと同じレースのチョーカーはツグミの細い首にぴっり寄り添って、ツグミが面映ゆさに首をかしげると、真ん中についた宝石が動きに合わせて揺れる。

 

「紫鶴先生。今日の主賓だからエスコートが出来なくて残念でしょうね。ツグミちゃんも」

「ええ」

「あら、素直」

「あっ」

 

ついもらした本音をからかうように小瑠璃は微笑んだ。

 

「でも、安心して。今日は私がエスコートするからね」

「それは嬉しいけれど、だけど、小瑠璃ちゃんもお仕事でしょう?いいの?」

「いいのよ、今日の私のお仕事はツグミちゃんのエスコート。紫鶴先生からもツグミちゃんを楽しませてあげてってお願いされてるのよ」

「そうなの………ありがとう」

「うん。それじゃあ、まずは………美味しい物を食べに行きましょう」

 

 

 

***

 

パーティの中盤に壇上で本日の主賓の作家たちによる挨拶が行われた。

主賓として招待された数人の作家たちは、今人気の顔ぶれだ。

中にはツグミの女学校時代からの憧れの作家先生もいる。

実際にその人の話を生で聞くと、憧れが更に強くなるような心地だった。

そんな夢見心地で壇上を見つめていると、最後に壇上に上がったのは紫鶴だった。

大勢の人間を前に話す姿は堂々としていて、どこか飄々としていて会場中を釘付けにする。

胸の高鳴りは、苦しいほどになった。

全員が話を終え、壇上から降りた作家たちはあっという間にたくさんの人に囲まれる、その中でも紫鶴が女性に囲まれるのが見えた。

その女性たちの視線に、憧れだけではないものが含まれているのはすぐにわかる。

その一人一人に紫鶴はにこやかに微笑みかけていた。

スーツ姿の紫鶴は、文句なくかっこよくて素敵だ。

何度も見惚れてしまうほどに。

だけど、知らない人に囲まれている様子を見ていると、どこか余所行きの顔をしていて、遠い人のように見えた。

胸の奥が詰まるような寂しさを感じてしまう。

じっとそちらを見てしまう姿が、はたから見て寂しそうだったのに本人は気づいていなかった。

その視線を感じたのか、会場の中心にいる紫鶴がふっとツグミの方を見た。

視線が交わって、極上の柔らかい笑みを見せる。

ツグミは、そのときになって紫鶴を見つめていたことに気が付いて、笑みを返せずに固まってしまった。

紫鶴はすぐに隣の女性に呼びかけられて視線を外して、ツグミも隣からの小瑠璃の呼びかけに慌ててそちらを振り返った。

 

「ツグミちゃん。デザートが出てきたわよ。何か食べましょう」

「えぇ」

 

デザートを手に過ごしていると、近づいて来た人影に手元に影が差した。

 

「柾」

 

小瑠璃が声をかけられて、そちらを見ると男性が三人立っている。

ダークスーツをしっかりと着こなして、髪を整えているから一瞬気が付かなかったけれど、そのうちの一人が以前会った事のある小瑠璃の会社の人たちだと遅れて気が付いた。

他の二人も、どうやらそのようだ。

 

「久世さんもいらしてたんですね。こんばんは」

「こんばんは。お邪魔してます」

「柾の招待ですか?」

「ええ。そうなんです」

「今日は豪華な顔ぶれだから、見応えがあるでしょう」

「どなたかお目当ての作家がいらっしゃるんですか?」

 

言いながら、黒い太めの縁の眼鏡の男性が煙草を吹かす。

ふわっと舞い上がった煙は会場の空気に溶けていった。

 

「そうですね。本は好きでよく読むので、今日いらしてる先生にお会い出来て、すごく感動しました」

 

言葉にしながら、ツグミはまた無意識に紫鶴の方を見てしまう。

そうすると、紫鶴もこちらを見ていて視線がからまった。

先に視線をそらしたのは紫鶴の方。

 

「汀先生がお目当てで?」

「あ。いえ………あの、その………」

 

視線の先をたどった男性に言われて、ツグミは恥ずかしさに口ごもってしまった。

 

「汀先生は以前から男女ともに人気がありましたが、あの一作以来、女性ファンが急増しましたね。久世さんもそうなんですか?」

「え、ええ」

「それにあの見た目。あんなに若い見目の良い方だとはご存じなかったでしょう?今日いらしている女性たちは汀先生に夢中になってしまうでしょうね」

 

紫鶴とツグミの関係をしらない男性の他意のない言葉なのに、胸の奥がさっきよりも苦しくなった。

 

「そうですね。ツグミさんは汀先生に夢中なんで、失礼ながらみなさまの事は眼中にございませんのよ」

 

茶化したように小瑠璃がフォローをいれると、男性は三様にははっと、乾いた笑いを上げた。

 

「柾、それは本当に失礼だな」

「そうだよ。ひどいなぁ。眼中にないだなんて」

「まったく。先輩を立てて、先輩のいいところをアピールしてくれてもいいじゃないか」

「あら………望みのない想いを助長させないほうが先輩想いというものではなくって?」

「それは、話してみないとわからないだろう?ねぇ、久世さん。他にはどんな作品がお好きですか?」

「え、えぇ」

 

軽口のような会話を遠くに聞きながら胸の奥に燻る熱を感じる。それを振り切るようにツグミは会話へと意識を集中させることにした。

 

 

 

***

 

パーティが終わって外へ出ると、入口付近でまた女性に囲まれる紫鶴の姿を見つけてしまった。

 

「ねぇ。汀先生。この後、もう少しご一緒しましょう。もっと先生のお話を伺いたいですわ」

 

綺麗に髪を結い上げたご婦人が言えば、隣の若い女性もそれに頷く。

 

「私も、もっと先生とお話したいです」

「あら、私もですわ」

「汀くん。ぜひそうしよう。この近くによい料亭があるよ。そちらに場を移して………」

 

口々に言い寄られ、紫鶴さんの隣にいた作家先生もそれに同意をする。

 

帰りは一緒に帰れるのではないか。そう思っていたのは甘かった。

ツグミは、その賑やかな様子から目をそらして小さく落胆の息を落とした。

 

「汀先生…帰れそうにないわね」

「ええ」

 

隣にいた小瑠璃が心配そうにツグミをのぞきこむ。

 

「でも、仕方ないわ。私なら一人で帰れるから大丈夫よ」

「ツグミさん。帰りはどちらですか?ぜひ送らせてください」

「え……」

 

顔を上げると一緒に出口まで来ていた三人が揃っていた。

いつのまにか、久世さんからツグミさんに呼び名は変わっていた。

 

「おっと、それは抜け駆けってものかな」

「そうだよ。ツグミさんはぜひ私が」

「そんな………」

 

三人に言い寄られて、驚きながらも遠慮して、顔の前で小さく手を振ると、一番近くにいた黒縁眼鏡の男性が心配そうに眉を寄せる。

 

「ご遠慮なさらずに、暗い夜道を女性一人でお帰しするわけにはいきません」

「いえ、大丈夫です。仕事で遅くなってこのくらいの時間になることもよくありますし、いつも一人で帰ってますから」

「そうなんですか?働いておられるんですね」

 

男性の目が驚いたように丸くなる。

 

「えぇ………」

「柾の女学校時代のご友人と聞いていたので、お嬢様だと思っていました」

 

そう言われることにも慣れていた。

今は女性が働くということが、まだ一般的とは言い難いご時世だ。

それを感心したように言われることもあれば、特にツグミの出自を知っている人からは、今のように驚かれて何かを探るようにされることも多い。

そうされると、自分の居場所を否定されるような居心地の悪さを感じる。

 

「あら、男女差別って言うのではなくって」

「あぁ。失礼。ですが、こんなに綺麗な女性が一人で帰宅しようとされるのを放っておくわけにはいかないだろう」

「だったら私はどうなるのかしら」

「柾は………なぁ。女性の前にうちの記者だからなぁ」

「女って気がしていなかったな」

 

男性たちは顔を見合わせてから困った顔で小瑠璃を見る。

小瑠璃が会社で一人の仲間として受け入れられているのを感じて、ツグミは微かに微笑みを浮かべた。そうしてこの男性たちに少しの好感を抱いた。

 

「そんなわけで、ぜひ送らせてください」

 

気が緩んだ瞬間に、またそう誘われて、ツグミは言葉を詰まらせた。

 

「でも、そうね………私も、今日のツグミちゃんはすごく綺麗にしているから、このまま一人で帰るのは危ないと思うわ」

「小瑠璃ちゃん。あなたまでそんな心配………車で帰るわ。それならいいでしょう?」

「そんなことをおっしゃらずに」

「車だって安心ではないでしょう」

「ぜひ私に」

 

三人が三人とも、ツグミに迫る。

困ったツグミが小瑠璃に助けを求めるように見ると、小瑠璃は笑みを深めて茶化したように言う。

 

「お姫さまが選ぶのは、どなたかしら?」

「それは、もちろん僕だよね」

 

不意に横合いからかけられた声。

全員がそちらを振り向いた。

 

「おいで、お姫さま」

 

細められた瞳は色気にあふれていて。

弧を描く唇は純粋で悪戯な子供みたいで。

その相反するバランスのせいで妖艶さを感じさせる。

人惹きつけて止まない蠱惑的な存在。

 

優美に差し出された手。

ツグミは引き寄せられる磁石のように、そこに自分の手を添えていた。

それを軽く引き寄せられて、腰に手を回してしっかりと抱きとめられた。

 

紫鶴さんの背後で先ほどまで紫鶴が話をしていた女性たちから、きゃあ、っと声が上がる。

ツグミの背後では狼狽した気配。

 

「汀、先生………?」

「え?」

「だから言ったじゃないですか。ツグミさんは汀先生に夢中だって」

「だからって、ご本人、と………?」

「僕も、このお姫さまに夢中なもんで。お姫さまに選んでいただいて光栄です」

 

紫鶴は小瑠璃たちを見遣ると、おどけたような仕草で握ったツグミの手の甲に柔らかく唇を合わせて、ちゅっと音を立てて離した。

 

「それでは皆様。僕はこの後は可愛い僕のお姫さまだけのモノだから、失礼するよ………お姫さま。僕をどこへなりと、お連れ下さい」

 

そう言った紫鶴の瞳は、もうツグミから一瞬も離れなかった。

 

「ほうら、だから望みがないって忠告させていただきましたのに」

 

呆然とする先輩に向けられた小瑠璃の言葉を後ろに聞きながら、ツグミは会場を連れ去られた。

 

 

***

 

 

「ん………っ」

「っ………」

 

背中に冷えた石の冷たい感触。

唇と背中に回された熱。

 

ツグミ自身もその背中に手を回して、口付けに応えていた。

 

「紫鶴さん………」

「なぁに?」

 

少し離れたすきに名前を呼べば、愛しそうな瞳がツグミを見る。

あの後、すぐに会場だった建物の影に連れ込まれて唇を奪われた。

 

少し離れたところからは、先ほどまで自分たちもいた喧騒が、今は他人事のように聞こえている。

 

名前を呼んだけれど、どうしてと問いたい事はたくさんある気がしたけれど、唇に溶かされて頭はもう働かなかった。

 

「んー」

 

困って眉を寄せるツグミに紫鶴の唇がまた迫って来る。

 

「ま、まって………」

 

微かな抵抗の言葉は、紫鶴の唇に奪われてしまった。

 

「んん……」

 

力の抜けそうな体でされるがままになりそうになったときに、紫鶴の指がツグミの体の線を辿りはじめた。

 

「んっ。だ、だめ………」

「ん?」

 

ツグミがなんとかその指の動きを必死で止めると、紫鶴は不思議そうに指の動きを止めた。

 

「そ、外です………ここ」

「あぁ。いいじゃない」

 

気にしないという風に紫鶴は続けようとする。

 

「紫鶴さん………」

 

すっかり弱り切って、泣きそうになって見つめると紫鶴がふっと息を抜いた。

 

「ごめんね。ちょっと嫉妬して止まんない」

「嫉妬?」

「だって、今日の君はすごく綺麗だったし。俺の贈ったこの洋服もすごく可愛くて似合ってるのに、俺は忙しくて君に近づけなくて。それなのにいろんな男が君に見惚れていて、誰が君を送っていくかで取り合いまでされていた」

 

紫鶴の指がツグミの首元のチョーカーについた宝石を揺すって、ふわっと揺れたツグミの柔らかい髪から嗅ぎなれないタバコの臭いがした。

 

「ん……他の男の臭いがする」

 

紫鶴は試すような視線でツグミを見る。

長い睫毛が瞳に影を落とすように見えるのに、その口元はとても愉しそうに口角を上げている。

 

「そんな……」

「ほら、妬くには十分な理由だろう?この臭い……僕のに変えないと」

 

悪いことをしているような気分になって、弱腰になってしまった。

その隙に紫鶴の指がツグミのドレスの胸元のリボンをほどいた。

 

「……だけど、すごく…なんだか嬉しそう………楽しそうに見えるわ」

「そう?たぶん、それはね綺麗な君を見せびらかせたのが楽しかったからかもね。それに、最後、みんなから請い願われたのに頷かなかったお姫さまが、僕の一言で僕の腕の中に堕ちてきて。まるでみんなからお姫さまを奪い去るなんて、何かの戯曲みたいだったなと思って」

 

紫鶴は我慢できないというように裏のある笑みを口元に履く。

 

「意地悪…ですね。ちょっと悪趣味。それに、ほら、やっぱり。紫鶴さんが私に嫉妬するわけないんです」

「ん………嫉妬したのは本当だって。今夜はずっと胸の奥がジリジリと嫉妬で焦げていたよ。それに、君もしてくれたでしょう?」

 

色っぽい流し目で言い当てられて、ツグミの胸がドクンと跳ね上がった。

その跳ねたあたり、レースとフリルに覆われた心臓の上を、紫鶴の指がトンと叩いた。

 

「君のココ、ジリジリしなかった?」

「っう………」

「それに、僕に奪われて。僕が君に奪われて…ちょっとだけ気持ち良くなかった?」

 

紫鶴の腕に抱き寄せられたとき、感じた嬉しさ。

そう言われると。それは…ただ、触れたかった人に触れられただけではなかったかもしれない。

ツグミはうなずくことも否定することもできなくて言葉を詰まらせる。

 

「ね?」

 

自信ありげに、紫鶴が微笑む。

 

「それに嫉妬してくれた君。ここが外だっていうのも忘れるくらい情熱的ですごく魅力的だった」

 

心臓の次に、唇を指で触れられてさっきまでの熱がぶり返す。

 

「だって………今夜の紫鶴さんはかっこよくて。いつもだけれど、みんなが紫鶴さんに夢中で…」

「僕の事、君のものだって思ってくれた?」

「………はい。そうかもしれないわ」

 

しぶしぶ認めて、恥ずかしさと悔しさで顔を下げる。

 

「大丈夫だよ。僕は君のだから安心して。君も僕のだからね………」

 

それを追いかけてきた紫鶴が軽く唇をついばんで、それから喉をならして笑った。

 

「僕ね。嫉妬するのも、されるのも、だーいすき、なんだよね」

「え………」

 

はだけた胸の膨らみに口づけが落とされる。

 

「っ……」

「だって、その後のキスがこんなに甘い」

 

言葉にならない反論は、いつもよりも熱い唇に溶かされていった。