明治東京恋伽
「俺は君のこと幸せにしなきゃって、ちょっと意気込み過ぎてたって気づいた」
そんな渡航の少し前の夜のこと。
鏡花ちゃんでやりたいネタだったけど、
鏡花ちゃんかいたことないので
とりあえず春草さん!
「はい」か「頷く」か「イエス」か。
渡航前だからカタカナ英語使ってもいいことにしてくださいね。
***
「あんまり近くを歩かないで」
その感情の読めない声に拒絶されたような言葉。
この明治時代の常識を知らない私には、少し冷たく聞こえた。
「来ないなら、おいていくよ」
なかなか歩きださない私を振り返って呼んでくれた。
鴎外さんに頼まれた、厄介ごとだったとしても、責任感のある人だと思った。
「ほら、おいでよ。来ないの?嫌なら、いいよ」
視線をスイっと、私からそらしながら背を向ける。
だけど、誘ってくれるようになったのが嬉しくて。
でも、どうしてなのか不思議だった。
「今更、行かないなんて言わないよね?」
試すような言葉。
だけど微かに懇願するような声色。
差し出された手をとると、心に温もりが灯った。
「離さないから。どこにもいかせない」
そう熱のこもった瞳で私を見て、返事も聞かずに閉じ込められた腕の中も熱かった。
***
「楽しかったですね」
みんなに見送られて森邸を出て、何度も振り返っては手を振りながら、別れを惜しんだ後、二人きりで夜道を歩きながら、私は今夜のことを思い出していた。
春草さんに付いて外国を巡る旅に出るまで、後数日となった今夜。鴎外さんが森邸で私たちの壮行会を開いてくれた。
集ってくれたのは藤田さん、八雲さん、音二郎さん、鏡花さん。
私が明治に来てからお世話になった人たち。
職業や立場が違う彼ら、不思議な集まりだけれど、過去の記憶が曖昧な私にとっては、数少ない家族とも友人とも言える人たち。
彼らが集まってくれて、私たちを賑やかに送り出してくれた。
楽しくて嬉しくて、幸せな夜だった。
「…うん」
どこか歯切れの悪い春草さんの返事に私は首をかしげる。
今日の主役である春草さんは、みんなから集中的にかまわれて、からかわれたりして、途中で何度も困っていたのは知っていたけれど、そんなことで不機嫌になる人じゃない。
(他に何かあった?)
柔らかい長めの前髪に隠れた瞳を覗き込もうとすると、迷うように視線が逸らされた。
「もしかして、具合わるいですか?」
お酒にあてられてしまったのかと、心配になって春草さんの手を握って引き止めた。
「そんなことないよ。大丈夫」
そう答えながら、私が握った手を春草さんが少し強く握り直した。
春草さんは歩みを止めず、そっと空を見上げる。
私もそれに習って夜空を見上げて、ほっと感嘆の息をはいた。
「わぁ。今夜は綺麗な月夜ですね…」
冴え冴えとした空には白い満月が空の高いところに昇っていた。
満月の明るさのせいで星の数は少ないけれど、それでも明るい星は輝いている。
今いる川に架かった橋は月明かりに幻想的に青く照らし出していて、二人でそこにいると空に浮かんでいるような気分になった。
目を細めて空を見上げていると、同じように空を見ていたはずの春草さんはいつのまにか私を見ていた。
「あちらの国の夜空は、どんなだろうか…」
「不安ですか?」
春草さんは、ゆるく首を横に振った。
「…いや。僕が望んだ事だし、永遠に帰ってこないわけじゃないし。君は?」
私に尋ねながら、春草さんは歩みをとめた。
同じように歩くのを止めた私を見下ろして、春草さんは私の頰にそっと指を伸ばした。
春草さんの柔らかい指が柔らかく形を辿るように私の頰を撫でる。
感傷じみた仕草だった。
「……新しい事に対しての不安が、何もないとは言えませんけど」
春草さんの仕草の理由を知りたくて、私は自分の心の奥を探って言葉を選ぶ。
見上げる場所が違っても星や月は見えるだろう。
だけど、星の位置はもちろん。この空気、川のせせらぎ、草木の匂い。
そういった物が違えば、違う物に見える。
明治時代に来て、夜空を見上げる回数が増えたのは、満月を待つためだった。
それも過ぎた今、夜空を見上げて綺麗だと思うことが増えた。
夜空だけじゃなく、昼の空も、公園の木々の木漏れ日も、そこでくつろぐ猫の姿勢も、いろんなものが綺麗に見る。それは春草さんのせいだ。
春草さんの目が見ている世界を知りたくて、綺麗なものを目が追うようになった…いや、目にうつる些細なものが綺麗だと思うようになった。
一月目の赤い満月の夜。
これから先に見るもの、過ごす時の傍に春草さんが居なくなることを、想像すると世界は寒々しくて………私は春草さんの隣にいることを選んだ。
きっと、どこの国、どの場所、どの時代にいても、春草さんの傍で見上げる夜空は綺麗だろう。
春草さんの隣で新しい景色を見られることを想像すると、心は自然と浮き立つ。
「楽しみです」
春草さんは少し瞠目した後、私の心を読み解きたいというように少し瞳を細めた。
「楽しみ…?」
「はい」
「ふふ。そう、だったらよかった」
迷いなく頷くと、どこか緊張していたみたいな春草さんは表情を和らげて、優しい微笑みを落とした。
「今夜。君は楽しかったって言ったように、僕から見ても君はすごく楽しそうに見えた…みんなに囲まれて笑ってる君は幸せそうだったし。ここに残りたい気持ちが少しはあるんじゃないかって思った」
それで様子がおかしかったのかと尋ねようとして、春草さんが言葉を続けたので私は言葉をつぐんだ。
「ああ、でも…君を誘った時の気持ちは変わっていないから。今更いやだって言われても困るんだけど……」
「もちろんです。私だって同じです。一緒にいられるって思った後において行かれたら、すごく寂しいです」
「そう…それもわかってるつもり。だけど、連れて行くにあたって、ちょっと考えてたことがあったんだけど。今夜、鴎外さんたちといる君を見ていて、もう一度それを考えていたんだけど」
春草さんは絵を描くときのように真剣な視線で私をじっと見つめた。
「考えていた、こと…?」
「俺は君のこと幸せにしなきゃって」
「っ!!」
視線と同じ声色でされた告白に射抜かれそうになった。
まるでプロポーズみたいな言葉。
なのに、それは次の瞬間に翻されて、
「……って、思ってたんだけど。君が、図太いの忘れてた」
春草さんは、少し維持の悪い笑みを口角に乗せてそんなことを言う。
「なんです、それ」
翻弄されたことに、ちょっとだけムッとして、私は頰を膨らませた。
「何その変な顔」
「だって、春草さんが…う、嬉しい…こと言ってくれたのに、図太いとか言ってからかうから」
「けなしたつもりはないよ…………」
春草さんは小さく喉を鳴らして緊張を解すような仕草をした。
握ったままだった手を優しくひかれて、私は半歩、春草さんに近づいた。
「…君が楽しみだって言ったのを聞いて、ちょっと意気込み過ぎてたって気づいた。俺は君を幸せにしなきゃ。そう思っていたけど、俺は君にはそれをもらってるって気づいた」
「私、が?」
「俺が君を、それだけじゃないんだって気づいたよ」
そう微笑む春草さんの笑顔は、ただ柔らかい。
「君に出会ってから知らない感情を知って、感じることが変わった。見えるものも増えていく。行く前に言おうと思っていたんだ。俺は君といると幸せだ。俺も君を幸せにするから。ねぇ。一生俺のそばにいなよ」
「…………っ」
私はその言葉に再び息をのんだ。
(これは、間違いじゃない?)
すぐに反応ができなかった。
「俺と一生一緒にいる。そういう約束をしようよ」
驚きすぎて、言葉を返せなかった。
「それって…」
「そう。求婚しているんだよ…?」
「…………」
なかなか返事をできない私に春草さんは焦れたように眉をひそめる。
「ねぇ、なんとか言いなよ。はいとか、頷くとか、この際、イエスでも、他のなんでも…肯定ならどれでもいいから」
少しだけ強引に私を導く春草さんの言葉。
声色は縋るように泣き出す前みたいに吐息が混じって細い。
握られた手の力は少し強くて、離れない強さが嬉しい。
胸が苦しくて、涙が滲みそうで。
私は、思いつく限りの返事をして、何度も頷いた。