王道?つながりでシンデレラをイメージしてみてました。

 

***

 

 

くるりと景色がまわった。

煌めくシャンデリアの光が弾けるようだった。

 

ダンスフロアを無理のない速度で、だけど少し強いリードに任せて手をひかれて踊るのは思ったよりもずっと楽しかった。

ワルツの練習の時には感じたことのない高揚感が胸を満たす。

 

肩と手、両手で触れ合うと、二人だけの世界が出来上がる。

 

「お上手ですね」

「あなたがお上手なので」

 

近い距離で言葉をかけられるのも少し慣れた。

それと共に彼への警戒心も薄れている。

 

一曲目が終わって、もう一曲踊ってくださいと申し込まれた時にはすぐに頷いてしまっていた。

今踊っているのが、何曲目か数えてはいない。

 

ときどき、くるりと彼の腕の中で回る。

そのときにふわりとドレスが舞うのが楽しかった。

彼も、回って戻ってきた私を受け止めると楽しそうに口角を上げる。

 

もう何度目かわからないターンをしたとき………足元に違和感があって少しバランスを崩してしまった。

 

「あっ」

「あ!」

 

咄嗟に支えてもらって、転んでしまうのは免れた。

 

「申し訳ない」

「いえ、ごめんなさい」

 

だけど、転んでしまいそうになったことも、さらに密着してしまったことも、恥ずかしい。

腕の中で羞恥に顔が赤らむ。

 

「疲れさせてしまったかな?」

「いえ、なんだか靴が滑ってしまって」

 

心配な声で言われたときに、ちょうど曲が終わりをむかえた。

 

 

***

 

 

壁際の椅子まで移動して、彼は私を座らせると、足元にしゃがみこんで足を確認する。

 

「ひねったりはしていませんか?」

「はい………」

「よかった。あぁ、こちらの靴のかかとが少し傷んでますね」

「本当」

 

彼に脱がされた、片足のヒールの先がはがれていた、それで滑ったのだろう。

踊るつもりで来ていなかったから、ダンス用の靴ではなかったせいかもしれない。

直せそうではあるけれど、少し気落ちしてしまう。

 

「とても綺麗な靴ですね。とても似合っている。修理に出せば直りそうですが、今日はこの靴で無理をするのはよくないですね。危ないですから」

「はい………あ!」

 

足首に彼の指が触れて、そのときになって私は自分の足を彼の、目の前に晒していることに気が付いて慌ててひっこめた。

彼は気にした様子もなく、近くにいたホテルの人を呼んで何か申し付ける。

まもなく、ホテルの人が持ってきたのは男物の革靴だった。

 

「私の予備です。これを履いてください」

「そんな………」

 

遠慮する私に、彼は勝手にその靴を履かせてしまった。

 

「ははっ………」

 

彼は、また照れてしまう私と反対に下を向いたまま何か笑みをもらしている。

 

「え?」

「すごく小さいですね」

 

彼が見ていた自分の足元を見ると、子供が大人の靴を履いたように面白いことになってる。

 

「歩きにくいかもしれないですけれど。こちらの靴よりも危なくはないでしょう。だけど、ゆっくり歩いてくださいね」

「でも、お借りするわけには」

「いいんですよ」

「……ご迷惑をおかけしてすいません」

「私のほうこそ。靴を駄目にしてしまって申し訳ない」

「あなたのせいではないですから気になさらないでください」

「でも、ダンスのパートナーとしては責任を感じてしまいます。このような無粋な靴で申し訳ないですが、履いていってください」

 

この短い時間でも仮面の下の彼の表情がなんとなくわかるようになってきた気がする。

きっと、今は優しい表情をしている。

それを思うと、なんだか胸が温かくなった。

 

「ありがとう、ございます………」

「だけど、今日はもう踊れないと思うと残念です。私と、また、踊っていただけますか?」

 

応えは否で決まっているのに、その問いかけに、すぐに答えられなかった。

もうきっと、こんな風に会うことはないと思う。

 

「………」

「駄目でしょうか?」

 

断るしかないのに、それが出来ずに声が出せなかった。

真っ直ぐに見上げてくる瞳の真意はわからない。

 

(見ず知らずの人なのに………また、踊れたら楽しいと思ってしまってるわ、私)

 

私は、やっと首を横に振った。

 

この気持ちは、ただの現実離れした高揚感のせいなんだって考える。

だって、私は今こんな感情に振り回される予定なんてないんだから。

 

「そう、ですか」

 

残念そうに、どこかほっとしたように彼が呟いたとき、それまで止んでいた音楽隊の方から鐘の音のような音楽が聞こえてきた。

見ればピアノだけの演奏がされている。

 

会場の真ん中では、女性の手をとった主役の男性が進み出ていた。

 

「零時の鐘の音」

 

彼のつぶやきが聞こえた。

それの意味するのは、このパーティーから私が帰らなければいけない刻限だということ。

 

「私、帰らないと…」

 

彼はそれ以上ひきとめなかった。

歩き出そうとすると、大きな彼の靴のせいで歩きにくい。彼はそれを支えるように手を貸してくれた。

そのままホールを連れて出てくれる。

 

廊下はホールの比べると暗くて、その喧騒から突然切り離されたように感じた。

扉の中では歓声が聞こえてプロポーズの成功したのだろう、みなが仮面を取り払う様子が視界の端に見える。

私も彼もその外にいて、私はもちろん彼も仮面を外そうとはしなかった。

 

もう会うことはないだろうという気がしていた。

 

「ありがとうございました」

 

少しだけ寂しさを感じながら、頭を下げる。

彼は持ってくれていた私の靴を差し出した。

 

 

「……?」

 

差し出された靴は片方だけだった。

 

「いつかの時まで、お預かりさせてください」

 

彼は傷んだ片方の靴を掲げて見せる。

仮面から見えている口元が不敵な笑みをかたどる。

 

彼の申し出をはっきりと断れなかった。

もう会うことはないだろうという気がしていたのに、私は断りの言葉を言わずに、片方だけの靴を受けとると、そこから逃げ出すように背を向けたのだった。

 

 

 

 

 

 

稀モノは見つからなかったけれど、その夜の任務は無事に終わった。

 

 

 

***

 

 

朝になって、いつのまにか昨夜のことを思い返していた。

後半部分の出来事は夢だったんじゃないかって思う。

 

だけど、部屋にある男物の革靴と、片方になってしまった壊れていない方の私の特別な靴。

それは、現実として目の前にある。

 

私はそれを手入れすることにして玄関へ向かった。

 

約束。はしていない。

 

返す約束も、返してもらう約束も。

だけど、もしかしたらという期待だけがはっきり残っている。

 

彼はずっとどこか強引でどこか自信があって、彼が言うならまた会うことがあるのかも知れないと思ってしまった。

 

(顔もしらないのに、名前も……)

 

「………あ………名前。ヤシロさん?………まさか。ね」

 

その響きに聞き覚えがある。

 

でもその人と会うことは無くなった。今までに会ったこともない。

 

 

「偶然……よ、ね………」

 

諦めるでもなく、なんとなく呟いた。

 

「ツーグーミー?」

「え。あ………はや、と?」

 

玄関先でしゃがみこんで借りた靴を磨いていると、頭の上に重みがかかった。

声と頭の上に置かれた手で隼人だと分かった。

 

「ただいま」

「おかえりなさい」

 

頭の上に置かれた手がどけられて、見上げると明るい笑顔が私の頭上にあった。

隼人は私の手元を覗き込んで、目をパチパチ瞬いた。

 

「靴。手入れしてるんだ………?」

「うん」

 

なんとなく後ろめたくて隠そうとしてしまう。

 

「男物???」

「うん。えっと………借りたの」

「ふうん?」 

 

隼人は、からかうような目でその靴を見たけれど、特に何も言わなかった。

代わりに片方だけの私の靴を手のする。

 

「これ、綺麗な靴だね。ツグミに似合いそう」

「そうでしょう。でも、片方なくしちゃって………飾っておこうかしら」

 

言ってみて、それはいい考えのような気がした。

履くことは出来ないけれど、捨てる気はなかったし、箱にしまい込むのもなんだかしっくりこなかった。

隼人がちょっと複雑そうに首を傾げた。

 

「思い入れがあるってわけ?」

「ええ、、どうしたの?飾っておくの変かしら?」

「うんん。いいと思うよ」

 

そう言う隼人は、やっぱりちょっとだけ様子がおかしい。

 

「……?」

 

 それから思い直したように隼人はまた私の頭をポンと撫でる。

 

「ねぇ、今日は非番だったっけ?」

「うん、昨夜にいろいろあって………今日はみんな特別休暇になったの」

「そう。じゃあ、かわりの靴を買いに行こう。プレゼントさせてよ」

「どうして隼人が私に靴を買ってくれるの?」

「ただ、そんな気分なだけ。いいだろう。行こう?」

 

 

そう言って、隼人は少し強引に私を立ち上がらせた。

その手の強引さに、私は買ってもらうのは拒否しようと思いながら出かける用意をしに部屋へ戻ったのだった。

 

 

*****

 

 

あのパーティーの情報を流したのは俺だった。

本好きという共通点があるせいで、わりと親しい友人の為のパーティーだった。

とはいえ、主催者ではなかったのと一人で動くには身動きの取りづらい状況であったから、朱鷺宮さんへ報告をしたわけで、その結果、彼女が来るだろうことは予想していた。

仮面舞踏会だったから、大っぴらに自己紹介をする必要もない。彼女にも俺にも好都合。

最初から遠くから彼女の仕事を見守るつもりだった。

 

主役と黒い仮面の男…彼も本を通じての友人だ。二人に囲まれて、気を張りながら自分の仕事を全うしようとしていたのを見ていた。

彼女がベランダへ移動したのを追いかけたのは、危ない目にあわないように見守る為。その理由だったけれど、本当は彼女のあのドレスの裾が揺れて、仮面のリボンをなびかせて、あの靴を履いた足が向かう先に誘われたのかもしれない。

手を伸ばして触れてみたくて、それが出来なくても声を聞きたくなって。仮面で隠れた彼女の瞳に映りたかった。

もう見ているだけでは我慢できない、抑えられない自分がいたんだ。

 

声をかけてしまったら、彼女はどうしてここにいるの?とたずねるだろう。

そうしたら、任務を知って来たと答えるつもりだった。

後はなんとか上手く取り繕うことができるはずだ。

多少のリスクなんてものよりも彼女への欲求が完全に勝っていた。

 

少しだけ丁寧に声をかけてみると、振り向いた彼女が『はやと』と呼びかけ、俺を見て不思議そうに言葉を止めた。

じっと真っ直ぐに俺の仮面の下を探るように見つめてくる。

そうして丁寧なまま他人行儀な対応が帰って来た。

 

(気付かれなかった?)

 

いつもと違う服装。

気付かれないように念入りに変えておいた髪型。

顔を隠す仮面。

話し方。

ここにいるはずがないという先入観。

 

そのせいだとは知っていても、気付かれないことに、やるせない気持ちになる。

からかうみたいに意地悪に正体を明かさないようにしたのはそのせいだ。

 

他人を見る目。

俺を見てほしい。

 

気付いてほしい。

 

「それに、わからないわけないでしょう。仮面くらいで最愛の人を見誤るはずがない。後ろ姿でだってわかります…どんなに姿がかわってもわかりますよ」

 

そう、俺は彼女がどんな服装でも、そんな姿をしていても、きっとわかる。

それは、彼女を恋うているからだ。

 

気付かれなくてやるせない気持ちになったのは、彼女にも、そうなってほしいと思っているからだ。

そう思ったら、彼女に焦がれる気持ちはいっそう高ぶった。

 

いつか、彼女が俺と同じ気持ちになってくれるように。

 

そう思ったら、実家で済ますべき用事もあったはずなのに、早くアパートに帰りたくなった。

休暇の二日目の朝には、早々にアパートに戻った。

 

アパートの前には、会いたかった彼女。

 

後ろから声をかければ、迷いなく「隼人」と呼んでくれる声。

朝の光に透けた瞳に映った俺の姿。

 

(うん。可愛い。好きだ)

 

思ったときに、彼女が手にした靴が目に入った。

 

思い出したのは、腕の中にいたツグミとワルツの音楽。

 

「片方なくしちゃって………飾っておこうかしら」

 

彼女の想いが可愛いと、また思ったのに、胸の奥が少し焦げたような音をたてた。

 

彼女は、俺に新しい靴をプレゼントさせてはくれなかった。

 

いつか、俺に新しい靴をプレゼントさせてくれるだろうか。

いつか、この靴を返す日が来るだろうか。

 

出来るなら………

俺が俺で、この靴を返す日が来て。

その先の彼女の靴は、全部俺と一緒に買いに行こう。

 

そう、思いながら片方だけの靴を持ち上げて眺めた。