隼人の笑顔が、もう!!!
以下、ネタバレ大いに含みます!
流れた政略結婚の相手が…だなんって!
少しまえの少女漫画の王道の筋なところも大好きです。
ニル・アドミラリの天秤
物語の途中に、八代さんとの出逢いがあったとしたら…?
八代さんはどんな人だろう。
隼人は八代、尾崎どちらで押すのか…
ツグミはどちらが、気になってしまうのかな
なんて妄想しながら書きましたので。
いろいろ盛り込みすぎてしまったかもしれない。
本作の設定を無視している部分あります。
隼人。ツグミ。告白未満。
出会った瞬間に胸が高鳴った。
一目惚れってこうゆうこと。
華奢であり、優美であり、柔らかくも鋭くもある。どこもかしこもが繊細。
触れなくてもわかる艶やかな質感。
それはまさに特別な存在
そっと差し入れると、あつらえたようにぴったりと合わさって。
重心のかかる位置がよくて、丁寧なつくりだってわかった。
その繊細な姿に合わせるように、足運びも柔らかく丁寧に女性らしくさせてくれる。
自然と頰に笑みがのる。
つい先日、街で一目惚れをして買った靴。
今日も、この後は巡回に出て稀モノを探してたくさん歩く。
それにはふさわしくない靴。
休日に散歩にも向かない靴。
ドレスが似合いそうなその靴を履いていく、特別な場所はいまのところないけれど。
自室でそっと足をとおす。
ふわりと舞うように歩いてみる。
それだけで、なんだか華やかな気分になった。
しばらく自分の足元を凝視めた後に、ツグミは丁寧に脱いで大切に靴をしまいこんだ。
「よし。今日もがんばろう」
小さくつぶやいてから、巡回に向かう為に、集合場所であるアパートの玄関へと向かった。
***
「おはよう、ツグミ」
朝の清涼な空気に、清々しい挨拶の声が響き、ツグミはアパートの玄関を振り返った。
「おはよう、隼人。今日はお休みをとったと言っていたわよね。はやいのね」
振り返った先にいた、いつもの明るい笑顔の隼人は私服姿だった。
シンプルな仕立ての良さそうなシャツのボタンをいつものように上まで止めずにいるのに、やっぱりだらしなくは見えない。
隼人自身の雰囲気だけではなく均整のとれた姿のせいでもあるかもしれない。
隼人が、今日と明日、仕事の休みをとっているというのは先日から聞いていた。
非番以外に休みを取ることは珍しくて、何かあるのか聞けば、隼人は実家の用事。と朗らかに答えたのを思い出す。
「そう?せっかくの休みだからいろいろやっときたいこともあるしね」
今日も隼人は楽しそうに答える。
私もこの笑顔につられて笑顔になってしまった。
「そうなのね。休日、楽しんでね」
「ありがと。じゃあ。ツグミもがんばって」
「うん」
私は軽やかな足取りの隼人を見送った。
***
いつもの巡回ルートを回って、そろそろお昼。
今日も、今のところ一冊の稀モノどころか和綴じの本すら見つからない。
これは、残念ながらいつも通りのこと。
昼過ぎに杙梛さんのお店にいくと伝言があり、巡回を切り上げて帰還することになった。
アパートに戻って作戦室に行くと、朱鷺宮さんと、すでに帰宅した滉、翡翠の姿があった。今朝出て行った隼人は招集されていないらしい。
「ああ、帰ったか」
「お待たせしてしまいましたか?すいません」
空いた席につく。
「では、みんな揃ったから、帰還指示を出した理由を説明するよ」
みんなが緊張した面持ちで朱鷺宮さんに視線を集中させると、朱鷺宮さんは安心させるように少し微笑んでから説明を始めた。
それによると、今夜、とある外国人の帰国に際するパーティーが開かれる。場所はテイコクホテル。
その主役が日本の民話や怪談話の研究をしているため、今回の集まりに古くて貴重な書籍類が集まる可能性がある。おそらくそこに和綴じ本が含まれるかもしれないということだ。
「つまり、意図された稀モノの取引き現場ではないということですね。一応確認しますが、その話、カラス………の影はないんですよね?」
みんな思っていることは同じようで、前置きをしつつの翡翠が問いかける。
「あぁ。その可能性はないと思う。主催者が別の人間であるし、招待客にもその名前はない。今回はそこは考えなくてもいいと思う」
それを聞いて、みんなが少しだけ肩に入っていた力を抜いた。
今夜開催されるパーティーに、もちこまれるかもしれない和綴じ本。それが稀モノであるかどうか…もちろん、稀モノを見つけ出すのが使命であるし、それが海外に持ち出されたりする事は避けなければいけない。とはいえ、稀モノの裏取引きの調査のようなことを想像していた私も、緊張はそのまま、知らずに湧き上がっていた恐怖心を少しだけ取り払った。
「わかりました。潜入経路は?」
「それに関しては情報提供者から招待状を手に入れてある。パーティー自体が基本的には仮面舞踏会らしいから、会場に入ってしまえば普通にしていても大丈夫だろう」
「帰国の送りだしのパーティーで仮面をつけて顔を隠すんですか?」
それでは誰が誰か判別つきにくいだろう。という単純な疑問だった。
「身分を気にしない集まりという趣旨と、それから余興を兼ねているらしいな。招待状によると午前零時までは仮面着用。パーティーの仕舞い前に仮面を外す流れになっているようだ」
「そうなんですね………」
「そうなると、その刻限には撤退ですね」
滉が確認するように呟く。
「そうだな。それまでに持ち込まれる本の確認はできるだろう」
「はい」
「配置としては翡翠はホテルロビーでの張り込み」
「わかりました」
「今回は私も潜入にまわる。会場には滉と久世、私の3名。滉は潜入後、出席できないゲストからの贈り物を保管してある部屋がある、そこに忍び入っての調査」
朱鷺宮さんは、テイコクホテルの見取り図を机の中心に広げた。
「久世は会場内に持ち込まれる物について注意をはらってほしい」
「はい。わかりました」
「それから、もし稀モノが見つかった場合は私に報告。回収は任せてくれ。というわけで質問は?」
朱鷺宮さんが順番に顔を見まわす、それぞれ質問は無いようだった。
いつもとは違う任務に私は姿勢をただした。
そんな私を見て、朱鷺宮さんは綺麗な唇を微笑ませる。
「今回は確実に稀モノが出るというわけではないし、可能性としては…いつもの巡回よりは高いかもしれないという程度。多少パーティーを楽しんでくるくらいの気持ちでもかまわないよ」
肩の力を抜けと言われているらしい。
「あぁ。それから。こんな内容だからね、休暇を取っている隼人は今回のメンバーには加わら無い。以上、了解?」
「はい、わかりました」
そうして、それぞれが今夜の任務に向けて準備に入った。
***
パーティーに来ていくドレスといえば、このドレスしかない。
繊細なレースを使われた袖も裾の優雅な流れも、とても素敵なのだけど、胸元から肩にかけて大胆に開いたそのドレスは、やはりどうしても慣れない。
姿見に化粧をして髪も整えた自分が映る。
いつもとは違う装いに緊張感とともに、日常とは違った高揚感が少しだけある。
もうすぐ出発の時刻。
窓の外は薄紫に暮れかけていた。
偽りの招待状は箔押しの繊細な装飾が施されていた。
それには朱鷺宮さんが言ったように、詳しい内容は書かれていないけれど、零時になると仮面を外す旨だけが書かれている。何か企みが隠されていることが匂わされてもいた。
「今宵、零時の鐘の音をともに魔法が解かれる…」
そう締めくくられた物語のような不思議な文章はどこか夢見がちにさせる。
箔押しの凹凸を指でなぞる。
(仕事。だけど…少しだけ浮かれてるわね、私)
着替えて、化粧をしながら、徐々に気持ちが高ぶっていくのを感じていた。
足元を見て、笑みを一つ落とす。
そこに、もう一つ私の気持ちを上げる要因があった。
***
会場のテイコクホテルは、煉瓦作りの洋風建築で、それはまだ新しくも重厚な作りだった。
ロビーで翡翠と別れた後、朱鷺宮さん、滉、私の3人でパーティー会場のホール前の受付で招待状を提示する。
女性の最年長者に従う、それほど年の離れていない滉と私。
仮面のせいで年齢もわからないかもしれないけれど、親子にも見えないだろうし、姉弟妹とパーティーに参加するというのもあまりない話だ。
(どういう3人に見えるんだろう?)
不自然かと思いながら、朱鷺宮さんに任せると、あっさりと中に入ることができた。
廊下まで進んでから予定通りに別行動の滉と別れ、朱鷺宮さんと私はホールへ足を踏み入れる。
両開きの大きくて重厚な扉の中のホールは高い天井からシャンデリアの光が溢れていた。
それに目が馴染むと、優雅な生演奏に合わせて踊る華やかな姿と、談笑する人々。奥には料理の並んだテーブルにホテルの制服に身を包んだ給仕の姿も見える。
前の潜入調査のときに感じた隠微さはなく、楽しそうな人々の姿が目につく。
「よさそうなパーティーだね」
隣で細身のドレスをぴったりと着こなして、普段よりもさらに背の高く見える美しい朱鷺宮さんがつぶやいた。
「そうですね。なんだか和やかな雰囲気ですね」
改めてゆっくり会場を見回すと、入り口に近い位置に、ひときわ人の集まっている場所があった。
「あれが、今日の主役だな」
「はい」
人溜りの中心に背の高い金の髪の男性がいる。彼も顔を半分隠すような仮面をつけているけれど、すぐにわかった。
人ごみの隙間から主役の近くのテーブルに本が置かれているのが見えた。
まだ遠い距離でそのテーブルの上の本に目をこらしてみる。
「今の所、見えません」
「うん。そうか…私は少し協力者に話を聞いてくるから、君は、少し近寄ってあのあたりに注意してほしい。くれぐれも無茶はしないように」
「はい」
朱鷺宮さんと別れて、私は少しそのテーブルに近寄った。
本を片手に招待客と談笑している主役の男性のすぐ近くに、恰幅の良い人の良さそうな雰囲気の紳士がいる。
周りの人に挨拶をする様子を見ていると、それが今日の主催者だろう。
この位置からテーブルの様子をもう一度注視してみる。
そこには招待客が持ち込んだけではなさそうな、何冊もの本が置かれている。自由に手にして見ることができるようになっているらしい。何冊もの本に重なって全ては見えない。
(嫌な気配は感じないけれど、もう少し、近寄ってみないとわからないわね)
もし稀モノが見つかっても、回収は朱鷺宮さんに任せろということだったけれど、目の前でそれを誰かが読もうとしたりしたら、それはもちろん止めなければいけない。そう覚悟しながら近づく。
主役の男性と話しこんでいた、目元だけを隠す黒い仮面をつけた男性が私に気がついてこちらを向いた。
「おや、どなただろう?」
私も顔の大部分を覆う仮面をつけているから、顔を見られてもすぐに本来の招待客ではないとはわからないだろうけど、やはりドキリとする。
黒い仮面の男性の声に主役の男性も私の方をみる。
「本日はお招きありがとうございます。遠路のご帰国。お気をつけくださいね」
無難に挨拶をしながら、落ち着いた態度を心がける。
「ありがとう。こんなにたくさんの方が集まってくれて嬉しいです。そのみなさんと別れて日本を離れるのは少しさみしいですけどね」
主役の男性は流暢な日本語でそう言った。
「本当に、お会いできなくなるのはさみしいですけれど、また戻ってこられると、うかがっております。今日のパーティーで貴方を見送るみなさんで、おかえりをお待ちしております」
「ええ。その後に本格的に本拠地を母国へ戻しますが、みなさんに忘れられないうちにまた来ますよ」
「そうなんですね。遊びに来てくださるのも楽しみにしてますわ」
当たり障りのない会話のつもりだったけど、海をはさんで会うことが難しくなる、それを想像すると、つい感傷的になってしまった。
「お優しいご婦人ですね……さて、この心優しいご婦人が貴方の想い人の可能性は?」
主催の紳士が主役の男性にそう問いかける。
「いいえ、私の想い人とは違うようですね。彼女はまだ姿を現してはくれないようですね」
「それは残念」
黒い仮面の男性が相槌のように言う。
このやりとりは、どうやら仮面の女性が誰なのかを主役に当てさせるという、軽い余興のようだ。
先ほど遠目に様子を窺っていたときから、女性が近づくとこのようなやりとりが繰りかえされている。
理由まではわからないけれど、いろいろとかわったパーティーだと思いながら見ていた。
それ以上、身元を掘り下げられては困るので、私は何も知らない顔でテーブルの本に指を伸ばした。
「こちらの本、見せていただいても?」
主役の男性がどうぞと言ってくれ、私はお礼を言ってから本を選んでいる振りをしながら積み上げられた本を移動させていく。
何冊か横によけたとき、下の方にあった数冊の和綴じ本が見える。
目を凝らすけれど、それにアウラは見えず、ほっと胸をなでおろした。
なんとなくその和綴じ本を開いてみる。
「その本が気になるのですか?」
「ええ」
主役の男性が興味深く私を覗き込む。
私はその本を片手に、また別の本を眺めるふりをして和綴じ本を探す。
他には和綴じ本はないようだ。
「その本の内容はご存知ですか?」
黒い仮面の男性が私に話しかけてきた。
「いいえ…なんとなく気になっただけで、読んだことはありません」
「そのあたりの古い本は、いろいろな地方の怪談話をまとめたものです」
「怪談、ですか………」
確かに、開いてみた本の挿絵は少しおどろおどろしい。
思わずその本をテーブルに戻してしまった。
けれど、私がそのあたりの本に興味を持っていると思い込んだ主役の男性と黒い仮面の男性は、私の怖気に気づかず、その本を手に取ると熱のこもった様子でその本の内容について語り出してしまった。
招待客の何人かもその話に混じり出す。
(困ったわ。近づき過ぎてしまったかしら)
そう思いながら、幾度もここ場から遠退く機会をうかがうけれど、なかなか抜け出すことはできなかった。
ただ、新しい招待客は必ず主役の男性のもとを訪れ、贈り物を持ってきた人はそこでそれを渡す。そのおかげで、持ち込まれた本の確認は容易かった。
そこからやっと解放されたのは、招待客が揃ったと司会の係の者が主催者と主役の男性を呼びにきたときだった。
主役の男性はホールの中央に連れて行かれ、皆に囲まれながら挨拶を始めた。
私は、みんなが移動するのに合わせて、その人混みを逃れることが出来た。
(少し、疲れちゃったわ…)
あたりを見回してみたが朱鷺宮さんは見当たらない。
(もう、新しい招待客もこないということは、新しい本が持ち込まれることもないということね………少しここを離れてもいいかしら)
私は、そっとホールからベランダへと抜け出すことにした。
***
広いベランダには木の植えられた鉢と共にベンチとテーブルセットがいくつか置いてあった。
人気はそれほどなく、私はそのベンチに腰掛け、ガス灯の明りに浮かぶ庭をぼんやりと眺めて息を吐く。
(この仮面も、疲れてくると、少し邪魔ね)
顔を覆う、ドレスに合わせたリボンや羽根飾りの装飾がついた仮面を少しだけ浮かしてみてみる。
慣れない仮面のせいか、気疲れか…辺りに人もいないと、気を抜いていたときだった。
「お嬢さん」
声がかけられて、「お嬢さん」と名指しではないのに、その声が呼んでいるのが自分だと思ったのと、振り返りながら考える前に呼びかけようと発した音の理由は同じだった。
「は…」
振り向いて、その人の姿を見て言葉を飲み込んだ。
わりと近くに室内のきらびやかな明りを背負った男性の姿があった。
ベンチから見上げる身長は高く、肩から綺麗なカーブを描く仕立ての良い燕尾服がとてもなじんでいる。
鼻先までを覆う白い仮面には全体を後ろに流すように整えて細いリボンに束ねられた黒い髪の中の一房がわずかな隙をつくるようにおとされてかかっている。
(誰かしら?)
その姿を確認したときに、無意識に口から出そうだった名前のことはその疑問に忘れ去られた。
「お加減がすぐれませんか?」
丁寧な言葉に柔らかい声が本当に心配そうにかけられて、慌てて首を横に振った。
「いいえ、大丈夫です」
「それはよかった」
この柔らかい声質は聞き覚えがあるけれど、この言葉の使い方には記憶がない。
この姿にも見覚えがない。
確かめるように白い仮面を凝視めてしまう。
だけど、その仮面のせいで顔は見えなくて、いくら凝視めても分からない。
白い仮面は銀の刺繍がほどこされていて、月の光とホールからの光に複雑に模様を浮き上がらせている。
(綺麗)
「どうされました?」
怪訝な声に、自分が不躾な視線を送っていたことを自覚する。
「あ、ごめんなさい。その白い仮面が珍しくて…白い仮面なんてオペラ座の怪人のようだなって……」
そう言葉にすると、男は微かに首を傾げて見せた。
癖のあるおとされた一房の髪がふわりと揺れる。
「ああ。この下に隠した醜い素顔をご覧になりたいと?」
男は仮面に指をかけてはずすふりをしてみせる。長い手足と綺麗な指先がゆったりと動くから、茶化すような仕草がどうしてか優雅だった。
「いえ、そんなつもりは…」
「けれど、あなたはきっと、この仮面の下の私の素顔をご存知じゃないでしょうか」
「え………」
(知り合い?)
久世の屋敷に居た頃に、社交界に出たことはなかったから、こういった場所には馴染みがない。
屋敷で会ったことのある父の知り合いと言っても、こんなふうに声をかけてくるような親しい知り合いはいない。
自分の狭い交友範囲で思い当たる人物はいなかった。
「どなたかと間違われていらっしゃるんじゃないでしょうか?私、あまり社交の場に出たこともありませんし、今夜は連れの同伴者として参加させていただいたので、このパーティーの方々のこと、ほとんど存じませんので」
もし本当に知り合いだとしても、私がここにいることを知られないほうがいい。
あまり物を知らない風にこう答えればいいはず。
「ふっ」
仮面の下で焦る私に気がついているのがどうなのか、彼は甘く鼻にかかるような柔らかい笑みを落とした。
「うん………それでは、深窓の姫君のご尊顔を拝することはできませんでしょうか?」
「…………」
なんとなく、私が困っているのを知っててわざとそんなことを言われている気がした。
「…………仮面舞踏会ですもの、秘密ということにしていただけません?」
なんとかそう言えば彼はあっさりと引き下がった。
「ああ。そうですね。では私もそうしましょう。もし当ててくださったら、嬉しいですけど」
(当てる………?)
悪戯を含んだような言い方だった。
心当たりがない状況のなか、丁寧な口調で下手に出ながらも、そう含みのある言い方をされると、まるで言葉遊びのようにも思える。
(からかわれているだけ?)
大人の駆け引きについていけるような経験は私には皆無で、翻弄されているのかもと疑いたくなった。
警戒しながら、そろそろこの場を去ろうと考えたとき、彼は察したように話題を変えた。
「そうだ、ご存知ですか?今日が仮面舞踏会である理由」
「いいえ?何か理由があるんですか?」
そして、私はつい食いついてしまった。
「ええ。よければお隣に座らせていただいても?見下ろしたまま話をするのは好きじゃありません」
隣に座りたいと最初から言われれば、断ることはできたのに。
私から興味をもってしてしまった質問の途中で、その申し出を断れなかった。
仕方なくベンチの、隣をあけた。
「招待状に書かれていた文言と関わりがあるんですよ」
「『今宵、零時の鐘の音をともに魔法が解かれる…』?」
招待状を見たときから気になっていた文言だ。
「ええ。今日の主役の彼、今回は母国に拠点を移すための前準備の帰国なんです」
「はい………そのようにうかがいました」
「ですが、こちらの国に想いを通わせた女性がいらして。その女性を国へ連れて帰りたいそうで」
「……素敵なお話ですね」
「ええ。その女性というのがこのパーティーの主催者の娘さんなんですけどね。主催者からの課題で、仮面をつけた女性の中から彼女を見つけ出してプロポーズが成功すれば、彼女との結婚を許されるという演出だそうですよ」
「小説の中の恋物語みたいですね。まるでハッピーエンドを迎える少し前の幸せなシーンみたい。だけど、それで仮面でみんなが顔を隠すことになっていたんですね。だけど、もし間違ってしまったら………?それで諦めてしまうのですか?でも………」
そんな意味があった仮面舞踏会なのかと、他人事ながら少しハラハラしながら言うと、彼は少し私に体を傾けてきた。
覗き込むように真剣な目をじっと私の目と合わせる。
「あなたは可愛い人ですね」
「………っ。な」
「そんなに心配しなくても大丈夫です。これはただのお遊びですよ」
「え、お遊び?」
「そうです。そもそも結婚に反対していたら父親もこのような課題で結婚の許しを出しません。それに、彼のためにこんな大きなパーティーを開いているんです。課題というよりは今日集まったみなさんへのお披露目を兼ねた婚約パーティーみたいなものだということですよ」
「ああ。そうなんですね」
ほっと胸をなでおろすと、彼は私に向ける視線は真っ直ぐなまま体勢を立て直して少し離れた。
「それに、わからないわけないでしょう。仮面くらいで最愛の人を見誤るはずがない。後ろ姿でだってわかります…どんなに姿がかわってもわかりますよ」
彼が仮面の奥の瞳を優しく微笑ませたのがわかった。
その密かな微笑みに胸がどきんと跳ねてしまう。
(っ………なんだか、心臓に悪い)
私は、それを直視できずうつむく。
「やはりお加減が?」
「いいえ。でも、私…そろそろ会場に戻ります。連れが探しているかもしれませんし」
私は、間も考えずに慌てて立ち上がった。
(なんだか、彼が笑うと頰が熱い)
「では、私も」
私の後を追うように彼が立ち上がったとき、背後から聞こえていたワルツが一瞬少し大きく聞こえた。こちらへの扉が開いたのだろう。
そうして、そこから出てきた人から声がかかる。
「あぁ。どこへ行かれたのかと思ったらこちらでしたか」
見ると、主役の男性とともに本の話をした黒い仮面の男性が立っていた。
私の隣にいる白い仮面の男性の姿は木の死角になって見えていないようだ。
「お探ししていました」
「……私を?」
「ええ」
「私、そろそろ連れのところに戻るところで………」
黒い仮面の男性の申し出を断るつもりで口を開く。
「先ほどもお一人でしたよね。今も…もう少しだけ貴方とお話したいのですが、お時間いただけませんか?」
黒い仮面の男性は、強引というわけではないけれど、引く気はなさそうだ。
「ぜひ、お名前もうかがいたいな。駄目でしょうか?」
言葉を重ねられて、なんと断ろうかと考えあぐねていると、白い仮面の男性が一歩前に出て姿を見せた。
「駄目ですよ」
「え。あっ…あぁ。あなたは…ヤシロさん」
その姿を見た黒い仮面の男性は、戸惑ったように白い仮面の男性をヤシロと呼んだ。
「それに仮面舞踏会で名前を訊ねるなんて野暮ですよ?」
白い仮面の男性は、少し冷ややかな声で黒い仮面の男性を見据えて言う。
それまでの柔らかい雰囲気と違う感じに少し驚いた。
「これは失礼を………貴方のお連れだったんですね。重ねて失礼しました」
男性は、そう言うと気まずそうにホールに戻ってしまった
「いらないお世話でしたか?」
「いいえ。あの、ありがとうございました」
「お礼を言われると困りますね」
彼は困ったように首を傾げた。
その声音は、柔らかいものにもどっている。
「私も、貴方とお話をしたかったのは同じですから…それに、私も、貴方の正体を聞き出そうとして困らせましたしね」
深くは追求されなかったけれど、彼は自然と強引で少し意地悪だったと思い出す。
(だけど………今は、かばってくれた)
「でも、ありがとうございました」
「いいえ」
もう一度お礼を言うと、彼は仮面からのぞく口角を綺麗に上げた。
そうして、自然な動作で私の手をひいて扉を開けてくれる。
「さぁ。どうぞ」
繋がれた手に驚く私に気づいてるのかどうなのか、二人で中に戻っても、彼は手を離してくれなかった。
「それに、私も貴方を誘いたかったのも同じ…ということですから。貴方を困らせるかもしれない。ですのでお礼を言われてしまうと困ってしまうんです」
繋がった手を少し上に掲げる。
「一曲踊っていただけませんか?」
「…………」
このタイミングで手をつなだまま言われると、断りにくい。
手をとらないよりも、振り払う方が抵抗感がある。
こういう自然と自分のペースに持っていくのがうまい人だと思った。
だけど、それが自然で私の気持ちを無視しすぎないから、嫌な気持ちはしない。
(だから…困る)
社交界に出たことはないけれど、これが本当にそういう場だったら頷いて踊っていたかもしれない。だけど、今日は任務で来ている。
私は首を振ろうとしたとき、とん、と誰かに肩を叩かれた。
「ツグミ」
「と…栞さん」
私をそうやって呼んだのは朱鷺宮さんだった。
「ダンスに誘われているのかい?」
朱鷺宮さんの視線が、私の手からつながった彼に向かう。
「こんにちは」
朱鷺宮さんは、彼を見て紅の引かれた唇で弧を描いた。
彼は朱鷺宮さんに挨拶をして、一度手を離すと礼儀正しくお辞儀をした。
「ん…あぁ。こんにちは。少し失礼」
朱鷺宮さんはそれを楽しげにみたあと、私の耳にその唇をよせて囁いてきた。
「………で、そちらの首尾はどうだった?」
「会場に持ち込まれた分は問題ありませんでした」
私も小声で返す。
「うん。私も見てきたけれど、大丈夫そうだったね。滉の方も問題なしだ。これで任務完了」
「はい。じゃあ、撤退ですね」
「ああ。だけど…」
頷きあったあと、朱鷺宮さんは声の調子を変えた。
「せっかくだ。パーティを楽しんでおいで」
「え?」
「ダンスに誘われているのだろう?いっておいで」
私が何か言う前に、朱鷺宮さんに背中を押され、私は彼の方に倒れそうになった。
手を差し出されて、ついその手をとってしまった。
「踊っていただけますか?」
彼はやっぱり少し強引に、私の返事を聞かずに握った手に力を入れて自分の方にひきよせる。
見上げた仮面の下の顔は嬉しそうに見えた。
「では私のかわいい妹のことを、どうぞよろしく」
「おまかせください」