ニル・アドミラリの天秤 

尾崎隼人と久世ツグミ

 

ネタバレいろいろ。

予約特典ドラマCDを聞いて

「俺は基本的に手札は隠さない主義なんですよ。基本的に」ってトコが気に入って

 

告白済み、恋人未満。

 

たくさん告白する隼人。という感じ?

 

***

 

 

 

今までの人生、運命なんてものを特別に感じたことはなかった。

 

自分が欲しい物は自分で手に入れる。そうやって育ってきて、実際そう行動してきた。

 

運命。

それが、めぐり合わせのことだといえば…彼女の事に関してだけは、運命だと言えるかもしれない。

 

公園で一目惚れをしたあの時。

彼女の異名を知って、見つめ続けた日々。

忘れなかった、離れていた間。

帰国したときの後悔。

ふってわいた彼女との再会の予感。

だけど、全く違う形で彼女に再会した事。

そうしてフクロウの一員として仲間になった事。

 

そのめぐり合わせは、俺には少し意地悪だったと思う。

 

だって、そうだろう?

 

一目惚れ、憧れ、焦がれ、期待し、日毎に思いは募っていった。

 

こんな風な溢れそうな思いを抱えることになるなんて。

それこそ溢れださんばかりに…いや、溢れたか…

 

でも、ずいぶんと長いこと伝えたいのに伝えられなかった思い。

 

まだ早い、焦るな。そう言われていたのに無理だったな。

 

ひょんなことからハッキリと彼女にばれてしまったのは、つい先日。

彼女は突然のことに戸惑っていたけれど、結果、それで良かったと思ってる。

ただ…まぁ、いろんな準備はしたかったけど。もっと、こう…さ、いろいろと。

 

 

 

 

仕事を定時に終えてアパートに帰ると、ホールの机で自分の両手を揃えた上に顔を落として子猫のように眠るツグミの姿があった。

私服姿に今日が非番だったことがうかがえる。

手元には読みかけの本と飲みかけのティーカップ。

 

規則正しく上下する背と、寝息。

隼人がその寝顔を覗き込んでも起きる気配はない。

 

「無防備すぎ」

 

思わずこぼしたつぶやきにも反応はなかった。

ふっと頭をよぎったのは公園のベンチでうたた寝をしていた女学生のときのツグミの姿。

 

「あれも、相当無防備だったけどさ」

 

ガードが固いわりに危機感がない。そう思った記憶がある。

だけど、あのガードの固さが無自覚だったのだと聞いた後だから、あの無防備な寝顔も納得がいく。

 

いつも綺麗に背筋を伸ばしてた深窓の令嬢の気を抜いた素顔。

 

「可愛かったなぁ」

 

あの時も、今も、無防備さと迂闊さ、鈍感さに、少し苛立つのは、自分の中の嫉妬心を含む恋情のせいだ。

今、この寝顔を独占しているかと思うと、少し別の気持ちも混じる。

 

「まだ見てたいけど…もうすぐみんな帰って来ちゃうよな。それは…困る」

 

無防備な寝顔はあどけなくも整っていて、微かに息をする唇は触れろと誘惑する。

その衝動にはグッと耐えた。

 

「なぁ、好きだよ」

 

おさげのときにはなかった顔にかかる髪。

 

「少しだけ…」

 

それを払うように指を伸ばした。

影を落とすまつげも、閉じた瞳の上の切れ込みもが特別なものに見える。

 

「悔しいけど、可愛いよな…」

 

起きるならそれでいい。と思いながら白皙の頬に指を這わす。

微かに睫毛が震えた。

 

「可愛い眠り姫。目を覚まされませんか?」

 

からかうように尋ねてみるけれど、ツグミの目は開かなかった。

 

もう一度、髪を耳にかけてやるように、頬からわざと耳に触れるように指を動かす。

 

また微かに睫毛が震えた。

ほんのり頬が紅に染まっている気がする。

 

「こんなところで眠ってるなんて。何をされても知りませんよー?」

 

いつの間にか規則正しかった呼吸が止まっている。

それを見ながら、口元を緩めた隼人は企みを含んでツグミの露わになった耳に顔を寄せる。

 

「久世」

 

名前を呼びながら、悪戯心のまま息を吹きかけてみようかと思ったときだった。

コンコンと開けっ放しだった扉をノックする音がした。

見れば朱鷺宮が顔をのぞかせている。

 

「隼人、眠ってる婦女子に不埒な真似をするなら許さないが?」

「やだなぁ。不埒な真似なんてしませんよ?こんなところで眠っていたらそろそろみんな帰ってくるだろうし、風邪をひくかもしれないから、彼女を起こそうかと思っていただけですよ」

 

隼人はそちらを向きなおり、にっこりと笑って見せた。

 

「そうか。そうは見えなかったが」

「俺は誠心誠意の男ですから。眠ってる女性に間違いをおかしたりはしませんよ。起きているならわかりませんけど、ね」

 

隼人の悪びれない様子に朱鷺宮は呆れたように眉をよせる。

それから机に伏せったままのツグミの背を見る。

 

「…さっきのはそれにはいらないと言うのだな…まぁ。ほどほどにしておけよ」

「ええ。朱鷺宮さん、何か用でしたか?今日の報告なら後ほど」

 

ピクリとも動かないツグミの後ろ姿を見て、朱鷺宮は呆れ顔を隼人の共犯者のように楽しげな笑みに変えた。

 

「うん。話があるんだが。お嬢さんを起こすか運ぶかしてやってくれ、それからでかまわない」

「了解しました」

 

朱鷺宮の去った後、隼人はもう一度ツグミに向き直った。

目を開かないように必死で閉じているせいか、眉根が少しこわばっている。

全身が緊張している。

 

隼人は楽しげな笑みを噛み殺しながら、またツグミに近寄った。

しばらく、その必死な寝顔を眺める。

 

明らかに我慢している。

起きどきを逃して、困惑しているのをわかっていて、隼人は悪戯心は抑えられない。

さっき耳にかけた髪を取り出して、くるりと指に巻きつけてみた。

 

「ツグミ」

 

吐息交じりに囁き込んで、同時に引き結ばれた赤い唇に触れた。

 

「っっっっっ!!!」

 

一瞬ののちに、ツグミが焦って椅子から転げ落ちそうな勢いで顔を上げる。

 

「………っく」

 

隼人は、笑みをこらえきれずに漏らした。

 

「隼人っ!!!何、いま、の…」

 

瞠目してツグミは隼人の顔を見ながら自分の唇を抑える。

 

「まっ、さか………」

「起きた?」

「じゃ、なくて。今の…口、何か触れ………」

「これ?」

 

隼人はツグミの焦った様子に満足して、あっさりとネタばらしに自分の手を示してみせる。

 

「え?手?」

「そう。手…」

「手…………だったの」

 

ツグミが小さく胸をなでおろすのを、隼人は少しだけ意地悪に見る。

 

「途中から、狸寝入りしてたみたいだから。ちょっと悪戯してみたんだ」

「だって…何か声が聞こえる気がすると思ったら、可愛いとか言われてて、起きられなくて…朱鷺宮さんまで来ちゃうし………」

 

真っ赤になって言い訳をするツグミ。

それを見て隼人はまた笑みを深める。

 

本を読んでいた彼女に目を奪われたときに感じた清廉さ。

今、目の前の彼女は、少し年を重ねて大人になって綺麗になった。

清さはそのまま、だけど、前よりもとても可愛くみえる。

 

可愛くてしかたがない。

 

近づいた距離の分だけ、彼女を知って、その分の思いが重なっていく。

 

「もう、何、笑ってるのよ」

 

必死なツグミの言い訳を聞きながら笑みを隠さない隼人にツグミはとうとう少し怒り出した。

それにも隼人は頬を緩める。

こんなに素直な感情を見せてくれるくらいは、慣れてくれたってことだと、どうしても嬉しくなるのだ。

 

「いや、もう、本当に…可愛くて仕方ない。もうちょっと触っていい?」

 

言いながら返事を待たずに、隼人はツグミの腕を引き寄せて耳元に口づけた。

 

「はや、とっ」

 

驚きながら立ち上がったツグミを、抱きしめて腕の中におさめてしまいたい衝動を抑えて、隼人はツグミを解放した。そうしてため息とともにつぶやく。

 

「はぁ…我慢できなくなりそう」

「………本当に、もう………」

 

困り果てたツグミに、顔を上げた隼人は真顔になって彼女を見上げる。

 

「ね。この間も言ったし。待つ…つもりなんだけど。言わせて…毎日、お前のこと、どんどん好きになるよ」

 

溶けかけのように印象的な瞳を細めて、嬉しそうな声の告白は、ツグミにまっすぐ届いて、彼女は怒っていた口を閉ざした。

 

「………なんだか、ずるい」

「そう?」

「だって、そんなに言われたら…………」

「そんなに言われたら?触れてもいいって言いそう?」

「………っ。そんなこと考えてませんっ」

 

からかうように言った隼人からツグミは顔を背ける。

心なしか頰を膨らませているのが見える。

 

「はは………ずるくないよ。口説いてるんですから。そうやって照れてくれて、意識してほしくてこんなこと言ってるんだからね。俺の………正直な気持ちなのですよ」

 

ツグミは後ろ姿でもわかるほど頬から耳までが真っ赤になっている。

 

今日何度目かに可愛いと思う。そして、触れたいけれど、触れずに我慢した。

 

正々堂々と彼女を手に入れたい。

優しげな外見と心の奥の彼女の芯、変わっていく心。

それが、愛しさを増長させる。

 

その全てが欲しい。

だから、自分の欲望を押し付けて全て晒す時ではない。

 

「俺は基本的に手札は隠さない主義なんだけどね…基本的に」

 

つぶやきはツグミには聞こえなかったのかもしれない。

 

 

 

 

今宵は、彼女と二人の時間、俺によって染められた耳朶。それに満足した。

 

本来の俺なら決して言わないだろうけど、俺は彼女に恋するしかない運命だったんだなって言ってみたい気分だった。