鴎外さんターンのようなくらいの鴎外さんの出番。
だけど 春芽です。
明治東京恋伽
春草さんに「俺のせいじゃなかったら許さないから」って
言ってもらいたかったおはなし。
***
想いを通じ合わせた、あの月の夜。
それから、少しだけの日と時間がすぎた。
私は明治に残ることにして、鴎外邸でそれほど変わらない毎日を送っている。
そう………特別に変わったことは、ないように思う。
私は私だし。
春草さんは春草さん。
(恋人同士…になったんだよね?)
自問自答する日々。
だって、あまりにもそれらしいことがない。
3人暮らしプラスフミさんという生活では、普通にしていると二人きりになる時間はほとんどないのだ。
朝食の後に春草さんが学校に行くまで。鴎外さんの帰宅の遅い夕刻に春草さんが自室に戻るまで。
サンルームでの短いひと時。その程度のものだ。
せっかく想いが通じたのだから、恋人らしいことをしてみたい。
そんなことを思ったりはするけれど、具体的に何を?と言われてもわからない。
もちろん、春草さんが絵を描いているだろう彼の個室にお邪魔しに行くという発想はなかった。
(今度、春草さんの休みの日に一緒にでかけようって誘ってみようかな)
夕餉の片付けも終わった後のサンルーム。そこにいるのは自分一人きりだと思って、一人で決意をつぶやく。
「そうしよっと」
「どうしたんだい。子リスちゃん」
「ひっ…」
一人だと思っていたところに、突然声をかけられて、私は驚いて飛び上がった。
「お、鴎外さん?」
「はは、驚かせたかな。大丈夫かい?」
そう言いながら、和服姿の鴎外さんは私の座っていたソファの隣に腰掛けた。
「ところで、どうしたんだい?」
赤い髪を揺らして、鴎外さんが心配気に私をのぞきこむ。
「あ、いえ…」
なんとなく言いづらくて言葉をにごした。
それなのに、
「ははん。さては春草のことかい」
鴎外さんは、すぐに見透かしたように言い当ててしまった。
「っ…………どうして、わかったんですか?」
「おまえは、比較的、顔に出やすいからね」
したり顔で優美に長くて綺麗な指を唇に当てる。
「ううむ。そうだな…あの男のことだから、せっかく恋仲になったというのに、そっけない対応ばかりして、おまえを寂しがらせているというところか…」
「ど、どうして…そんなことまでわかったんですか!?」
さっきの何倍も驚きながら、さっきと同じ質問をする。
「ははん。さては図星だね、子リスちゃん。年長者であり家主でもり文筆家でもある僕の推察力をなめてもらっては困るというものだ」
なんて悠然と言い放つ鴎外さんの顔はやっぱり綺麗だ。なんてぼんやり思った。
「そうだなぁ、春草の性格からして…」
鴎外さんが何かブツブツ言いながら、思案顔をする。
私はその時点で半ば考えるのを放棄していた。
ここまでバレてしまっていては、鴎外さんの追求の手を逃れるのは難しい。
というか、次の休みに一緒に出かけようと誘おう。という事で決着したはずだったのだけど。
(あれ、おかしいな)
なんて思っていると、鴎外さんは何か思いついたように手を打った。
「そうだ、いいことを思いついた。子リスちゃん!」
「いいこと、ですか?」
「そうだ。おまえも春草も、誰もがいい思いをできる策だよ。実に妙案だ」
うんうんと頷いている鴎外さんは自信たっぷりだ。
何かイヤな予感がしないこともないが、とりあえず私よりもずっと頭の回転の速い鴎外さんの思いついた案が気になって、私は尋ねてみることにした。
「それってどんなのですか?」
「子リスちゃん、もう少しこちらに寄るのだ。そうして僕とにらめっこをしよう」
「は………?」
提案された案の意味がわからなかった。
「え?にらめっこって…あれですか?お互い変な顔をして笑った方が負けって?」
「そう、それだ」
頭の中が疑問符でいっぱいの私とは反対に鴎外さんはノリノリでやる気満々だ。
(うーん。もしかして、私が落ち込んでるから、遊び相手になって気を晴らしてくれようとしてるのかな?)
そう考えると、無下に断る事もできない。
「…わかりました。やりましょう」
「よし、では始めるよ」
ソファで鴎外さんに言われるまま膝を付き合わせる距離で向かい合う。
「「だるまさん、だるまさん、にらめっこしましょ笑たら負けよ、あっぷっぷ」」
とりあえず、定番とばかりにぷぅっと頬を膨らませた途端。
「ぷはっ!」
先に、吹き出したのは鴎外さんだった。
「え!?はやすぎません???」
「いや、あはは。すまない。おまえのその顔…まるで、餌をめいいっぱい溜め込んだ限度を知らない子リスそのものではないか。そう思うと、つい…はは」
鴎外さんは涙混じりの笑いが止まらないらしい。
ツボに入っちゃったらしい。
「も、もう。鴎外さん!」
「ははは…いやあ。すまない。もう、大丈夫だ。よし、もう一回だ。だるまさん、だるまさん、にらめっこしましょ笑たら負けよ、あっぷっぷ」
二回戦を鴎外さんは勝手にはじめてしまった。
しかたなく、私もまた頬を膨らませてみせる。と…
「ぷはっ!」
またもや、瞬殺の鴎外さん。
「ははは。いやはや。なんとも愛らしい」
「鴎外さんっ。それじゃにらめっこになりません。私の顔見て笑ってるだけじゃないですか」
「いいではないか。おまえのその愛らしい顔は国宝級だ」
「っっっ!!!」
「ほら、もう一回」
「もうしません!」
「おや、これは勝負だ。もしおまえが勝ったら、明日は牛な…」
「そうそう牛鍋にはつられません!」
私は拗ねて後ろ髪ひかれつつも、食い気味にそれをはねのけた。
「むむ…それは残念。おまえが僕に勝利することができたなら褒美に連れて行きたい店があったのだ。聞いた者に言わすところによれば、その店の牛鍋はおまえの好きなビフテキのような分厚い牛肉を味噌とともに鉄鍋で焼いて食すのだそうだ。焼けた味噌の香ばしさに霜降りの牛肉の脂が溶出して、それはもう…」
視線を投げかけながら語られる牛鍋は、想像しただけでゴクリと喉をならしてしまいそうだった。
(た、食べたい…)
「もっかい、します。勝ちます」
「はは、そうこないとな。だが、そう簡単に勝たせるわけにはいかないのだ。ここでルールを一つ変えよう。昔のにらめっこは目と目を合わせてにらみ合い、目をそらさなかった方が勝ちだったそうだ。そちらのルールに則って勝負をしてみようではないか」
「…いいですよ」
私は、すんなりそのルールを受け入れた。
もう、頭の中は焼けた鉄鍋の上で焼かれる霜降り牛肉の映像しか浮かんできていない。だから負ける気はしなかった。
「よし。では、はじめよう」
合図で、鴎外さんとにらみ合う。
今度は頬を膨らませなかったせいか、鴎外さんは簡単に負けなかった。
室内の灯りを宿してシャンパンゴールドに輝く瞳は、深い色の睫毛に彩られ、その上に綺麗な二重の線がくっきりと刻まれている。
普段は微笑みを絶やさないせいで綺麗で優しい雰囲気の鴎外さんだけど、それだけを見れば整いすぎた瞳は以外と鋭い。間近で見つめあって、負けないように私も目に力を入れる。
「うむ、これはなかなか強敵」
「負けられません」
「だがしかし、こうもおまえに見つめられるというのも、なかなかのもんだなぁ。おまえの双眸は赤子のように純粋かと思えば、興味のある対象物にたいしてはこうも情熱的に輝くのだね」
不意に、鴎外さんの声が優しくなる。
「おまえは瞳まで実に愛らしい」
「え…鴎外さん、この勝負って話すのって、ありなんですか?」
「さぁ、僕も詳しいルールまでは把握してないからなぁ。いいではないか、要は目を逸らしたほうが負けなのだ。ほら、もっと僕の目をしっかり見つめてごらん。目を逸らしたらおまえの負けだよ」
視線は合わせたまま、どこか甘えを許すような密やかな響きを帯びた。
「子リスちゃん。なぁ。あんな愛想のない春草など放っておいて、僕とこうやってずっと情熱的に見つめあっているのはどうだろう?ほら、もう少し…」
甘い囁きを口にのせながら、鴎外さんの瞳が少しだけ私から焦点を外したような気がした。
目をそらすまではいかなかったけれど、もう少しで勝てるかも。なんて思いが頭をよぎった瞬間だった。
「っ。わぁ」
鴎外さんの瞳をにらんでいて、視界の狭かった私の死角から突然、手が伸びてきて私を後ろにひっぱった。そのせいで、体制を崩して私は後ろに転げそうになる。
それを支えた、覚えのある香り。
「何してるんですか」
冷たい声が頭の後ろで聞こえる。
「っていうか、芽衣、何その怖い顔」
私を覗き込んできた春草さんが顔をひきつらせた。
「怖いって…いま……」
「あぁ。子リスちゃん。先に目を逸らしたね。おまえの負けだ」
「えぇ!!そんな。今のは目を逸らしたんじゃありませんっ。春草さんがひっぱるから!無効です」
そう、必死に訴える。
「何言ってるの君。ってゆうか、どーゆうつもり?」
(あれ?)
いつになく、春草さんの声が鋭い。
鋭いのは、いつものことと言えばいつものことだけど、なんだか今日は余裕がない感じがする。
後ろからがっちり抱きかかえられていれ、そちらを振り返ることができないけれど、何かおかしい。
「ちょっと、こっち来て!」
「はは、子リスちゃん勝負はおまえの二勝一敗だ。近いうちに約束をはたしてやるから、安心していっておいで」
「本当ですか!」
私は鴎外さんとの約束に、というか牛鍋の約束に未練を残しつつ、ずるずる半ば引きずられるように春草さんにサンルームを連れ出されてしまった。
***
「鴎外さんに堂々と口説かれていた、理由はわかったけどさ」
結局、私は春草さんの部屋まで連れてこられて、尋問よろしく洋風の布張りの椅子に座らされていた。
さっきから、春草さんの口調が厳しい。
怒らせた原因が、鴎外さんとのにらめっこにあることはわかってる。
(誰もがいい思いをできる妙案だ。って鴎外さんの嘘つき。すごい怒られてるし、そりゃ珍しい牛鍋は食べたいけど、楽しかったのは鴎外さんだけなんじゃ…)
「口説かれてませんけど…?」
「あれは、しっかり口説かれていたよ…っていうか、気付いていないとかどれだけ鈍感なの。呆れるね」
「う………ごめ、んなさい」
確かに、途中から鴎外さんは、にらめっこを忘れたように何かおかしなことを言い始めたけれど、あれはきっと勝負に負けない為の鴎外さんの策略なんだと思う。
だって、目を逸らしたら負けだったのだから。
「ああいう恥ずかしがることを言えば、目をそらすという鴎外さんの策略なんだと思うんですけど」
「だとしてもだよ。あんなこと囁かれて、君だって浮れてたんじゃないの」
春草さんは、そう言って拗ねたように横を向いてしまった。
「浮かれてません。勝負の途中でしたから、霜降り牛鍋がかかった大勝負だったんですよ。浮かれてなんかいられません」
決意も新たに宣言すると、春草さんは哀れむような目で私を見て、これみよがしにため息をついた。
「君って、本当に馬鹿だね…色気よりも食い気。どうせ俺より牛肉のが好きなんだろ」
「う…ごめんなさい」
「そこは、嘘でも否定するもんじゃないの?恋仲の相手に対してさ」
「恋仲っ…」
私は、突然言葉を詰まらせた。
春草さんは、怒っていて私を叱っていて、たぶんちょっと呆れているのに。
嬉しくて、顔がにやけそうになる。
私は、がんばってにやけるのを抑えようとしてみた。
どうしても、眉が下がって唇を軽く引き結ぶ。
「君は俺の恋人じゃないの?違うの?」
「い、いえ…違いません」
小首を傾げると春草さんの長い髪が揺れる。
窓から入る細い月灯りを背負う春草さんに見惚れた。
「私も春草さんのこと、恋人って思っていいんですか?」
つい、そんな間抜けな質問をしてしまった。
「あたりまえでしょ。俺は何度も君に好きだって言っただろう…聞いてたの?」
諦めたように冷めた顔の春草さんが、私に近づいてくる。
「もういいよ。俺は、もう牛肉に勝とうとは思わないから…だけど、こうやって口説かれるのは俺だけにしなよ」
言いながら、春草さんは私の目の前にしゃがみ込む。
じっと見つめられているだけで、頰が紅潮していくのを感じた。
視線を外したいのに、はずせない。
そんな真摯な瞳をずっと見ていたい。
「………」
その私を観察するように見ていた春草さんが形の良い眉を下げた。
「………ねぇ。何その顔」
「何、って…自分じゃどんな顔か、わかりません」
「ふふっ」
珍しく小さく春草さんが笑みを漏らした。
今日は、顔を見てよく笑われる日だって思う。
「そんなに、変な顔してますか?笑っちゃうくらい」
「うん」
頷く春草さんの顔が、からかう調子じゃなくて予想外に優しい。
私は春草さんの目の前で調子を狂わされ過ぎていて、本当にどんな顔をしているのか、どんな顔をしたらいいのか、わからなくなっていた。
「っ。だとしたら、春草さんのせいですっ」
なんとかそれだけ言い返すと、春草さんにふわりと抱きしめられた。部屋にある独特な絵の具の香りとは別の若草みたいな春草さんの臭いが微かに鼻腔をくすぐった。
「俺のせいじゃなかったら許さないから」
命令的な言葉なのに、吐息を含んだ囁きは、私の耳から甘く心の奥に染み込んでいった。