芽衣ちゃんと春草さんのkissにからめた短いお話いくつか。

 

3度目の満月…明治残留

(本編のエピソードとは合ってません)

 

おつきあいありがとうございましたー

 

***【望月】***

 

今宵は満月。

いちどめは邂逅。

にどめは相愛。

さんどめの今日。

 

思いを通じ合わせてからの日常は、それまでと一見変わらなかった。

朝の身支度を終えて一階の廊下に降りると、芽衣が目の前をバタバタ走り過ぎる。

 

「朝から何、騒々しい。廊下を走らないで」

 

子供に言い聞かせるような小言も日常風景。

 

「あ、春草さん。おはようございます!」

 

芽衣が通り過ぎかけた足を数歩戻って階段にいる俺を見上げて眩しい笑顔を見せる。

 

「何を慌てているの?」

「鴎外さんが行水の手ぬぐいを忘れたって言うので!」

 

そう言われて見れば、芽衣の手には鴎外さん愛用の行水用、浜松産高級日本手拭いが握られている。

少し開いたサンルームの扉から鴎外さんの声が響いた。

 

「おーい。子リスちゃん。手ぬぐいは見つかったかーい?」

「はーい。ありましたよー。ただいまお持ちします。あ、春草さん、朝ごはんは牛の時雨煮ですよー」

 

にこにこ嬉しそうに言って、芽衣はサンルームに走って行った。

 

「ちょ…鴎外さん、行水中なんだよね」

 

そう言った俺の声は、芽衣には届かなかった。

 

***

 

その日の夕餉の時間。

 

「どうだい。おまえの為に取り寄せた最高級の佐渡牛のビフテキの味は?」

「はい!すごく美味しかったです!!」

 

俺の目の前にはビフテキの皿。

そして芽衣の前には既に空になったビフテキの皿。

 

「おや、もう食べてしまったのかい。そうだ。僕の分をあげよう」

「え!そんな……いいんですか」

 

フォークとナイフを持ったままだった芽衣は遠慮する言葉をキラキラした声で発する。

 

「僕はおまえの喜ぶ顔が見たいのだ。遠慮せずに食べなさい。ほら。あーん」

「いただきます」

 

鴎外さんの差し出したビフテキの刺さったフォークに躊躇いもなくかじりつく芽衣。

 

「んんん…美味しい」

「ふふふ」

「はぁ」

 

感嘆の声を上げる芽衣に、満足げに艶やかに微笑む鴎外さん。こっそりため息をつく俺。

こんな光景も日常茶飯事。

 

「ああ。子リスちゃん。ソースがついてしまった」

 

鴎外さんはクスリと笑いながら、かいがいしく芽衣の頬をぬぐってやる。

 

「………」

 

俺がまたこっそりと息を詰まらせる横で、芽衣はありがとうございますとお礼を言って、残りの食事を再開した。

 

 

***

 

夕食後、部屋に戻って描きかけの絵を仕上げて一息ついて、自室の窓から外を見れば、美しい月が夜空に光窓を開けたように浮いていた。カーテンを引いて、着替える為に着物に手をかける。

 

「………」

 

時計を見れば、鴎外さんのレッスンを終わらせた芽衣がそろそろ部屋にやってくる時間だった。

あれからも芽衣のレッスンは続いている。

ただ、少し変わったのはサンルームで短い時間に区切ってレッスンが行われるようになったことだろうか。英語も随分上達しているらしい。

それは、たぶん鴎外さんの気遣いだ。

芽衣の方は、そのことに何も思っていないだろう。

 

前々からのことだけど、芽衣は鴎外さんに対して安心しきっていると思う。

鴎外さんだって、いまのところは、ただ芽衣を甘やかして可愛がっているのだと言うことは知っている。今のところは。だけど……。

鴎外さんが芽衣に構うこと。それは、鴎外さんが俺に構うことと同じで、まぁ。芽衣の方が甘やかし甲斐も、からかい甲斐もあるというので過剰なスキンシップに見えるときもあるけれど。俺はそれにはいちいち目くじらを立てることはなくなっていた。

 

(鴎外さんは、油断ならない人だけど…)

 

相手は鴎外さんだから、俺だって他の男には許せないことも許せてしまう。

 

だけど、芽衣がそれにまったく動じないのは少しどうかと思う。

鴎外さんに気を許している反面。俺の前ではそわそわ落ち着かない芽衣。

包容力の差を見せつけられていると感じるのは、自分の僻みが少なからず含まれていると思う。

前に、それで失敗して芽衣の心を読み誤った過去があるから、俺はその事に必要以上に囚われないようにと慎重になっていた。

 

そもそも、俺は慎重で堅実な方だと思う。

失敗したくないとかどうとかいうことではなくて、物事を考えてから行動に移す性質なのだ。だから不意の出来事も事前にある程度の想定をしている。

だけど、芽衣の前ではそれは裏切られる事の方が多く。

自身が芽衣を前にすると、考えるよりも動いてしまうことがある。

まさに想定外。

 

「春草さん」

 

ノックの音とともに芽衣の声が聞こえた。

 

「はい」

 

扉を内側から開けてやると、扉が空いた瞬間嬉しそうな顔をしていた芽衣は、驚いた顔になった。

 

「………っ、ごめんなさい」

 

そう言って、扉を閉めようとする。

 

「入りなよ」

 

芽衣が扉を押して閉めようとするのをこちらも押して開いた。

促すと、芽衣は視線を下げないように困り顔になる。ふと気がついたのは、着替えの途中だったということだ。

 

「とりあえず、入って」

「は、はい」

 

扉を開けたまま着替えに戻ると、芽衣はおずおずと部屋に入って扉を閉めた。

 

「………鴎外さんの裸は平気なくせに」

「え?なんですか?」

「いや、なんでもないよ」

 

背を向けて着替えを済ませて振り向くと、落ち着きを取り戻しつつもまだ赤い顔をしていた。

椅子をすすめると、そこに座って芽衣は俺を見つめてきた。

 

「春草さん、何か怒っていませんか…?」

 

しばらくして、突然そんなことを聞いてきた。

 

「…何か心当たりがあるの?」

 

質問に質問で返すと芽衣は首を90度ひねっていく。

自分ではいつもと変わらない態度のつもりだ。特に何かに怒っているわけではない。

 

(でも、何もないとは言えないか…)

 

言われてみて、ひっかかりがあるのを自分で認めた。

ときどき、この子は俺のはっととするようなことをいう。

かわった発想だったり。

とんちんかんな事だったり。

俺の気づかない俺の機微だったり。

俺の常識の範疇の外れを生きる芽衣。

異分子で珍妙。

 

「いえ…なんとなく」

「なんとなくって、野生の勘?君らしいけど」

「何もないなら、いいんですけど」

 

そう言っても、芽衣はまだ心配そうな顔をしている。

俺も心に引っかかっているものを口に出すほど自分でも整理しきれていない。

ただの嫉妬にしては、鴎外さんと芽衣の事は嫉妬を超えて呆れがちといった方が近い。

 

この不安に似た気持ちは、何だろうかと、芽衣の頬に触れてみる。

触れると、心臓がトクンと脈打ち気持ちが温まる。

この滑らかな頬の感触に安心する。

じっと無心に見つめて頬に指を滑らせていると、澄んだ瞳を溢れ落としそうにしながら芽衣は頬を赤く染め上げた。

視線を彷徨わす。

すごく逃げたそうに見える。

指を離すと、止めていた息を吐き出しってホッとしている様子がわかった。

 

すると、胸の内の歯痒さが少し大きくなった。

 

「あのさ、君って鴎外さんのこと、どう思ってるの?」

「鴎外さんですか…優しくて、まぁ強引なところもあるけど、お仕事も出来て、すごく多才で、すごい人で、でも気さくだし、私を助けてくれた恩もあるし…ときどき変わってるところもあるけど。鴎外さんなりの理由があるようですし…それは、それで鴎外さんだなぁって」

「鴎外さんだなぁ…って何。わかるようでわからないんだけど。一言で言うと?」

「一言…洋画に出てくる個性的なヒーローみたいなかんじ?」

「更によくわからない…鴎外さんのこと、好き?」

「はい」

 

もちろんです。と芽衣は頷いた。

 

「じゃあ、俺は?」

「も、もちろん…好きですよ」

 

何度も聞いていて、そう言われるのは好きだった。

芽衣の向けてくれる感情が、他の好きと違うことは、感じている。

だけど…

 

「あのさ、君は俺に触れられるの嫌なの?」

「まさか!!」

 

慌てて首をブンブン横に振りながら芽衣は否定する。

俺は試しに芽衣の手を握ってみると、芽衣はビクンと肩を跳ねさせる。

 

(どうして…)

 

逃げたそうにするのだろう?

怖がったみたいに眉をひそめるのだろう。

 

「だって、逃げたそうにするじゃない」

「それは、嫌だからじゃないですよ!!」

「じゃあ何?」

「慣れない、って言いますか…」

「じゃあ、慣れてよ」

「う…そう言われましても」

 

どうしてか敬語になって芽衣は口の中で言い訳する。

 

「俺は君に触れていたい。こうしていると安心する」

 

握った手を、逃がさないと強く握る。

 

「っ…」

 

(逃げられると…淋しくなる)

 

なんだか情けなくて、それは口にはできなかった。

 

「私はドキドキします」

 

覗き込めば、芽衣は赤い顔で瞳を潤めて俯く。

 

「…でも、こうやって触れてるのは、好きですよ…落ち着かないけど…嬉しい。です。でも、慣れる慣れないは、努力でどうにかなるものじゃないっていうか…」

 

そう言う横顔は、俺の胸の奥を疼かせた。

 

可愛いと思う。

誰にも見せたくない。

 

(ああ、そうか…)

 

この顔は嫌いじゃない。

なのに、この顔で不安になる理由がわかった。

 

「うん…慣れなくていいよ」

「え…」

 

突然言葉を翻した俺に、芽衣は驚いたようだ。

 

「君の、その赤くなった頬とか、そんな顔。なんかいい。可愛い…と思った。だから慣れなくていいよ」

 

そう微笑めば、芽衣はぶわぁっと耳や首筋まで赤くする。

 

「しゅ、春草さんって、たまに素でそういうこといいますよね」

「そういうことって…」

「かわいい。とか、っ」

「そう思ったから…俺は口が上手いほうじゃないから、気の利いたことはいえないけど、かわりにお世辞も言わないよ」

「お世辞…は言わないかもしれないですけど、画家モードになるとすごく饒舌ですけど」

 

拗ねたみたいに芽衣は何かつぶやいているけれど、それは俺にはよく聞こえなかった。

 

「そういうとこです…」

「嫌なの」

「嫌か良いかで聞かないでください」

 

困ったみたいに泣きそうに幸せな顔をする。

その度に…いつも、普段から、可愛い。愛しい。好きだ…そんな気持ちは胸に溢れている。ということは言わないでおいた。

 

「…………。」

 

じっと見つめると、逃れるように芽衣は視線を下げた。

 

(そう、これ)

 

「だけど、慣れなくてもいいけど、逃げないで。その顔、もっと見せなよ…好きだって言ってるんだから」

「っっっ!!」

「さっき怒ってるのかって聞いたよね。君があんまり逃げるから、腹立たしいんだ…」

 

指を頬から頭に向かって滑らせて芽衣の顔をこちらに向ける。

 

「俺から、逃げないで」

 

俺の歯痒さの原因。

やっぱり、俺は芽衣の前だと、今までの自分の中にあった常識が崩されていく。

 

大事にしたくて、同時に、もっとこんな顔をさせる為に意地悪したい。

それで、恥じらって逃げていかれると腹立たしい。

 

こんなことに思い惑わされていると思うと、少し悔しくて、その唇を強引に奪った。

 

季節を変えても、また訪れる望月。

その度に何度も望むだろう。

それに関係なく望むだろう。

君の全てが欲しいと………

 

芽衣も俺に乱されればいい。惑わされればいい。俺だけなんて不公平だから。そう望んで口付けを深める。

芽衣を翻弄しようとして自分も熱中していった。 

 

 

 

 

ーーー俺は君のことが好きすぎる。君も、もっとお俺のことを好きになってよ。