芽衣ちゃんと春草さんのkissにからめた短いお話いくつか。

 

満月直前…現代へ帰還する満月の夜

(本編のエピソードとは合ってません)

 

このお話の春草さんは、熱いめになりましたネ…

 

 

***【望 あらまほし】***

 

 

日比谷公園に夕闇が訪れる。

西に落ちて空に藤色と薄桃色のグラデーションを残す淡い夕日。

東から登ってきたまん丸の月は、濃い赤い色をしていた。

 

別れの覚悟をしたのは、現代の自分。

赤い燕尾服を大仰なお辞儀に翻して奇術師は消えていった。

 

耳に彼の残してくれた温かい言葉は、まだ真新しい。

 

友達とも知人とも言えない関わりしかない、奇妙な間柄だった奇術師に対して抱くには大きすぎる喪失感に涙が頬を伝って落ちた。

いくつも流れて、止まらなくて、しばらく、人気の失せた公園に一人で佇んでいた。

 

赤い満月。

明治に来てひとつき。私の帰還の日だったはずの今日。

月を見上げて、郷愁を感じていたのは最初の頃。

最近では、怖気付く自分がいた。

別れの近づく寂しさから来ていたのだと、今はわかる。

もう帰れない悲しさと別のところで安堵している自分の存在が大きい。

 

春のひだまりのような長くて柔らかい髪。

クールな瞳には、情熱も優しさも全てがあった。

 

(帰らなきゃ…)

 

徐々に高度を増す月は、赤さを抜いて白く天に向かって登っていく。

今宵の月を見納めて私は踵を返そうとした。

すると、公園全体が人気の失せたこの時間に、こちらに向かって走ってくる人影がひとつ。

 

「芽衣!!」

 

人影は、私を見てはっきりした声で私を呼んだ。

 

「春草さん」

 

帰ろうとしていた人が目の前にいることは、不思議に思うよりも嬉しかった。

 

「こんなところで、何してるの!」

 

叱るような声に微笑みかけた私は身をすくませた。

その肩ごと腕の中に捕らえられた。

抱きしめられて表情は見えないけれど、私の顔の横で荒い息を繰り返す様子も、駆けてきてくれた様子も、心配してくれていることを表していた。

 

「………よかった」

 

小さな呟きが心底の安堵とともに吐き出されて、胸の奥を締め付けられた。

 

「ごめんなさい。心配かけて、今、帰ろうと思っていたところだったんです…」

「っ…どこに!?」

 

肩を掴まれて、月明かりに春草さんの顔が見えた。

ひどく狼狽した表情。

よほどの心配…心配以上の彼を傷つけるような状況だったことを理解した。

私は春草さんに自分の腕を回して抱きついた。

 

「鴎外さんのお屋敷に…」

「ほんと、に…………?」

 

ふっと力を抜いた春草さんの体の重みと布越しの温度を感じる。

 

「はい………迎えにきてくれてありがとうございます。帰りましょ。一緒に…」

「…………そう、だね」

 

そう言いながら、春草さんの腕は私の腰に回ってきて、一歩も動こうとしない。

そんな春草さんの腕の中、私も無理には動こうと思わなかった。

 

「芽衣」

 

しばらくして二人の間の温度が同じになったと感じていたら、名前を呼びながら春草さんが私の前髪に唇を寄せた。

大切に腕の中に抱き込まれた状態で、顔だけを上げてみる。

すると唇が重なった。

軽く触れて離れていく。

少し離れたらまたすぐに触れてきて反射的に目を閉じた。

 

「っ…」

 

軽い音を立てて、唇が離れる。

目を開けると、春草さんが私をそっと見つめている。

その視線は強くて何かを堪えるように、煩慮を含んでいる。

私と視線が合うと、また瞳を伏せながら顔を近づけてきた。

ついばむように唇を軽く吸われながらの口付けが混じり、春草さんと同じになったと思った体温は、いつの間にか熱に変わっていた。

 

「ん…ん………んっ」

 

顔が火照る。

背中に回した手も、立ったままの足も心臓と一緒に震えてきた。

 

「も、無理…」

「無理って何が…」

 

拗ねたような瞳が私を見下ろしてくる。

 

「頭が熱いです…」

「俺も」

「何も、考えられない」

「何も考えなくていいよ…」

 

そう唇を合わせながら囁かれる。

ぺろりと私の下唇を春草さんが舐めた。

 

「ぁ…」

 

ビクッと体が震えて、がくんと足が崩れた。

 

「大丈夫?」

 

たずねながら、私を支えて春草さんはまた口付ける。

 

「ん、本当、に、ん…もう、ダメです」

 

口付けの合間に必死に言葉にすれば、少しだけ口付けが止んだ。

 

「駄目じゃないでしょ。溶けそうな顔しておいて」

「………そんな」

「それに、止められない」

 

言葉とともに耳に誘惑の口付けが触れる。

 

「止めてほしかったら…昨晩、君から聞いてない言葉がある…それを言って」

「昨晩…」

「俺の告白に、君はちゃんと答えをくれていないだろう」

「ん……」

 

撫でるように指を絡めて、春草さんは私の手を持ち上げ手のひらに懇願する口付けを送る。

 

「君の曖昧な言葉は僕を惑わせるんだ。期待させて、そんな深い意味じゃないって逃げていくから、俺が惑わないはっきりした言葉を頂戴。このまま何も考えられなくなって。それで…嘘のない本音で、君が強請ってくれるまでやめない」

 

言葉の途中にも、また唇が重ねられた。

望むように長く触れて、わずかに触れたまま続きの言葉を紡ぐ。

 

「俺が好きだ、俺が欲しいから、俺から離れないって…言って」

 

私に強請れという春草さんの方が強請っているように、不安な表情を隠さない。

 

「ん………」

「ねぇ、言って」

「しゅん、そ、さん…まって」

 

手を突っぱねると、さらに抱きしめる腕が強くなる。

 

「んん…」

 

必死な様子に胸が疼く。

私は突っぱねようとしていた腕を、春草さんの肩に添えた。

寄せられる唇に、自分からも寄せた。

ぶつかるような口付けになってしまった。

春草さんは衝撃に少し驚いて目を見張った。その隙に私は声にする。

 

「春草さん。春草さんが好き。好きです…だから、春草さんの所に帰ろうってしてたんです。春草さん…あなたがいないと嫌。だから…離れません。本当に、好きです………ずっと、離さないで」

 

いくつもの口付けに必死でちゃんとした文章にはできなかった。

でも、これが本音。

私は、じっと私を見つめる春草さんを見つめて、また唇を寄せた。

目を閉じる瞬間に、春草さんが堪えるように嬉しそうな顔をしたのが見えて、私も嬉しくなった。

 

 

***

 

 

挑むような瞳で、芽衣が俺を見上げてくる。

 

「本当に、好きです………ずっと、離さないで」

 

その言葉と共に、背伸びして伸び上がった芽衣が俺に口付ける。

昨晩からもう知っていたはずなのに、改めて言葉にされると嬉しさに心の奥が締め上げられる感触に、どうしてか泣きだしたい気持ちになった。

 

「ふふっ…今日の春草さん…なんだかかわいいです」

 

目を閉じることも忘れていた俺に、芽衣ははにかんで笑みを落とし、そんなことを言った。

耳まで熱くなるのがわかる。

確かに、衝動を抑えることができなかったのは認めるけど、芽衣にからかわれるなんて、猫が悪戯を仕掛けるように、小さな嗜虐的な感情が胸に芽生えた。

 

「ずいぶん、余裕だね」

 

瞳を細めて、芽衣をみる。

芽衣は、マズイと顔にありありと描いて息をのんだ。

 

「だったら、覚悟しなよ…やめる理由なんかないんだから」

「っ…………」

 

触れてる指でわかる。芽衣は怯えているんじゃない。

 

触れるだけの口付けでクタクタになった芽衣。

どこまで耐えれるのだろう。

俺もどこまで我慢できるんだろう。

 

恋しい気持ちは抱いたばかり。

どうしていいかわからないことだらけ。

冷静な判断なんか出来ない。

その溢れる感情を、統制することも出来ない。

これから、どうなるのか予測もつかない。

 

だけど、ただわかっているのは、月が沈む朝まで、芽衣を抱きしめ続けることだけは絶対にやめない。

 

「今日は、俺を焦らせたんだから…朝まで離してあげない」

 

熱を隠さない瞳と息とで囁けば、芽衣は腕の中で俺の着物をしっかり掴んで、応えた。