明治東京恋伽 めいこい

芽衣ちゃんと春草さんのkissにからめた短いお話いくつか。

満月まであと幾らか…幾望の月の頃

 

本編とはあってません。

 

 

春草さん 鴎外さん どっちも好きです!

一推が選べない。

 

 

***【幾望が見えない朝】***

 

「春草、もう出るのかい」

 

玄関で外出の準備をしていると、二階から降りてきた鴎外さんに声をかけられた。

 

「また、今日も朝食を食べないつもりかい」

「えぇ」

 

玄関まで寄ってきた鴎外さんに俺は気のない返事をした。

どうしてといわれても答えられないのだ。

 

「ここのところ連日ではないか。夜も遅く帰ってきているようだし。食欲がない。体の具合が悪いというのなら僕に診せなさい。そうではないと言うとしても、そんなことをしていては体を壊してしまうよ」

「ご心配をおかけしてすいません…体は大丈夫です。それに学校でちゃんと食事はとってますから」

「体は…では、他に何か心配事があるということかい」

「…………」

「おまえの様子がおかしいのは、あの夜からだね。子リスちゃんを部屋まで連れて行った夜だ。さて、何があったのだろう?」

 

鴎外さんの探るような視線から逃れるように、靴紐に手をかける。

 

あの夜から…今は俺が芽衣を避けていた。

朝は早めに出て遅い時間まで学校に詰める。

実際、展示会の準備だってあるのだからやることはいくらだってあった。

忙殺されれば、いらないことを考えずにすむ。

 

「………もしや春草。子リスちゃんの寝込みでも襲ったのかい?」

 

(っ!?)

 

俺は、鴎外さんに背を向けながらびくりと体を揺らした。

 

「おや、まさか…おまえがねぇ」

 

鴎外さんはわずかな俺の反応を見逃してはくれなかった。

そうして俺を試すように言を継ぐ。

 

「それにしては、子リスちゃんの反応が薄いようだが、何をしたのだろう…何をしたとしても、子リスちゃんの婚約者兼保護者としては見逃せないが。しかし、おまえが女性に対してなぁ…何があったのか詳しく話してみなさい」

 

俺が芽衣に何かをしたと知ってのこの言葉。余裕のある様子にカッと頭に血が上った。

だけど、それとは反対に静かな声が出る。

 

「鴎外さん。そんなことを言っていていいんですか?」

「そんなこと、とは?」

「俺は…彼女に手を出しました」

 

腕を組んだ鴎外さんの片眉がピクリと振れた。

 

「おや、認めるのかい」

「嘘をついても仕方ないですし」

 

そして、まるでからかうように口角を上げている顔を見ると、止めることはできなかった。

 

「そうです。あの子の気持ちを無視して口付けました…鴎外さんがそんな風なんだったら、俺は我慢しません」

 

体ごと振り返って鴎外さんを見据えて宣言した。

 

「うん?子リスちゃんの気持ち…それはどういうことだい。勢いに任せてしまったということかい?おまえも若いのだから、そういうこともあるのかもしれない。だが、子リスちゃんのためを考えるならば………」

 

鴎外さんは俺に諭すように話す。

 

鴎外さんも芽衣のことは気に入っていると見えるのに、焦る様子は微塵もない。

芽衣はその程度の存在ということだとすれば、鴎外さんと芽衣を取り合うこと、鴎外さんから芽衣に気持ちを向けることはないんじゃないかっていう希望的な考えと同時に、芽衣の気持ちを思って、理不尽な苛立ちがつのってしまう。

また矛盾する感情だ。

 

時折見せる寂しそうな顔は見たくないし。

鴎外さんへの気持ちが折れたとしたら、きっと悲しむだろう。

それを見たくないと思った。

 

「そういうことじゃないです!気付いてないなんて事ありませんよね。あんなに、鴎外さんに気を許しているようですし、あの子は鴎外さんの事が………」

「あぁ」

 

琥珀色の瞳を細めて鴎外さんは、ひとつ頷く。

 

「芽衣が僕に懸想をしていると、おまえは言うのだね」

「………」

 

こんなことを改めて言わせるなんてひどい人だと思った。

 

何度も俺を煽ったのは鴎外さんだった。

この人が無意識にそうしたはずはない。

 

だとしたら…俺の気持ちも芽衣の気持ちも勘付いているだろうに。

それなのに、またこんな…一人だけ飄々とした高見にいるような態度をとる。

いつだって大人で余裕のある、この姿が鴎外さんだというのはわかってる。

だけど、鴎外さんに対してこんな敵対心を抱いたのは初めてだった。

 

「では、僕も子リスちゃんの思いに応えてやらねばね…」

 

長い指で鴎外さんは自分の唇を撫で、策をするような感情の読めない笑みを浮かべる。

その艶を含んだ仕草はどこまで本気なのだろうか。

まったく読めずに、苛立ちだけを更に煽り立てられ、俺は冷静さを失っていった。

 

「駄目です。そんな風に、俺が芽衣に口付けたと知って余裕ぶってるような貴方に彼女を渡したくありません。貴方ほど何も持っていませんが、俺は…、……全部を尽くしてもいい」

 

体が熱くなる。苦しくて、懇願するように眉が下がった。

その俺を見て、鴎外さんは微かに嬉しそうな顔をした………

 

「そうはいっても、尊重すべきは子リスちゃんの気持ちなのだろう………なぁ、子リスちゃん。春草はこう言っているけれど、どうなんだい」

 

鴎外さんは廊下を振り返って尋ねる…いつの間にか開いていたリビングの扉の影には芽衣の姿があった。

いきなり話しかけられた芽衣が驚いたような顔をして、鴎外さんと俺を見比べる。

 

「…………ぁ」

「…………っ」

 

見られてると思わなかった。

けれど、あんな大きな声で話していたのだから、気になった芽衣が顔を出してもおかしくない。

今まで自分は何を言っただろう。

 

「あ、の…」

「さぁ。子リスちゃん。おまえに好意を持つ男がふたり。おまえはどちらを選ぶのだい」

 

鴎外さんは、芽衣に向かって手を差し出すように尋ねる。

 

(そんなの、答えなんか聞かなくたってわかってる)

 

逃げ出したい衝動を抑えて、足に力を入れて向き合った。

すると芽衣は、戸惑うように遠慮がちに俺を見つめていた。

 

「春草、さん。あの………」

 

そのまっすぐな視線に今は耐えることができなかった。

 

「いいよ。言えば。俺に遠慮はいらないよ」

「遠慮…?」

「俺の気持ちは聞いてたんでしょ?だからって、俺に遠慮しなくていいよ。告白でもなんでも…すればいいよ…」

 

鴎外さんに。

とは言えなかった。

 

今の俺が鴎外さんに勝てることなんて何ひとつなかった。

俺は鴎外さんに傾いている芽衣の気持ちを引き寄せるほどの何かを持っていない。

諦めた気持ちで投げやりになってしまうのは、現実があまりにも辛かったせいだ。

 

「告白?」

 

訝しげに呟いた芽衣は眉を寄せ、みるみるうちに頰を紅潮させた。

そしてうっすら深藍に沈んだ瞳に涙を溜めて、きっと俺を睨んだ。

刺すような視線の下に芽衣の悲しみが見える。

 

「…………なんなんですか」

 

つかつかと歩いて芽衣は、俺の目の前でとまる。

殴りかかられそうな気迫に、鴎外さんは道を開け、俺も体を竦ませた。

 

「好きじゃない子にはしないって言ってたのに…………キスしたり。あれは事故じゃないんですよね。したかったからって…言ってたのに。なんなんですか」

 

芽衣は肩を震わせて強張らせた怒りを含んだ声を続ける。

 

「鴎外さんに渡さないとか、私が鴎外さんを好きとか…鴎外さんに告白しろってことですか?どっちなんですか?春草さんは私の気持ちの何を知ってるんですか…私は春草さんが、そうやって振り回すから、ドキドキしてどうしようもなくって、苦しくて、すごく、すごく春草さんの事が気になるのに………春草さんのこと…ほんと、わけがわかりません!!」

 

そうまくし立ててから、くるりと方向を変えると芽衣は俺の返事も聞かずに階段を駆け上がっていった。

その後ろ姿を、俺はただ呆然と見送った。

二階から乱暴に扉を閉める音が聞こえる。

 

「…なに、なの?」

 

ドクドクと早鐘を打つ胸を押さえる俺の横で、鴎外さんはあの晩と同じように、不出来な子供を見守るみたいに俺を見つめ微笑む。

 

「…………ほら、僕なんて目にも入っていないではないか。なぁ、春草。どういう事なのかわからないほどおまえは愚かなのかい」