明治東京恋伽 めいこい

芽衣ちゃんと春草さんのkissにからめた短いお話いくつか。

満月までもう少し…十日夜の月の頃

 

***【十日夜の月が昇り始める】***

 

眠る前に階下にいくと、リビングのソファに座る赤い頭が見えた。
何気に覗き込むと鴎外さんの膝の上で、赤いリボンの茶色い頭が寝息をたてていた。

 

「……。眠ってるんですか…?」
「そうなのだ。先ほどまで話していたのだが、その途中で呂律が回らなくなってきたかと思えばこの通り」

 

鴎外さんは、無邪気に寝顔を明るみに晒している芽衣のリボンを弄ぶように、そっと労わるように撫でる。

 

「その子。何考えているんでしょうか…」

 

無防備な子だってことは常々思っていたけれど、あまりにも無防備すぎる行為に呆れてしまう。

 

「はは…毎夜のレッスンの疲れが出たのだろうかな。今夜はこのまま寝かせてやろうかと先程から思案しているところだ」
「警戒心ってものがないとしか思えませんね」

 

鴎外さんは、愛しむように芽衣を見つめてクスっと笑みを落とす。

 

「こんなに気を許してくれるとは、嬉しいじゃないか」
「問題は、そういうことじゃないと思いますけど」
「ははは」

 

自然な動作で鴎外さんが芽衣の頬をくすぐると、芽衣はもにょもにょと鴎外さんを呼んだ。

 

「ううん…………お、がいさ、ん………」

 

それは寝言だったようで、芽衣は目を閉じたまま、またすぅすぅと安らかな寝息をたてている。

 

「おや、僕の夢を見ているのだろうか…何の夢だろう、なぁ、春草」
「はぁ…」

 

芽衣の甘えた様子も鴎外さんの甘やかしている様子も、当人たちが良いのなら他人事なのだから、放っておけばいいのだ。
だけど…。

 

「おいし、です…ん………、おかわり…おねが、します」

 

にへらと締まりなく笑った芽衣は心底幸せそうで、俺の心を知らない芽衣に苛立ちが増す。

 

「…牛鍋、だな」
「牛鍋、ですね…」
「ははっ。子リスちゃんは夢までわかりやすいのだなあ」
「夢の中でまで食い意地がはってるんだから」

 

苛立つ俺とは反対に、鴎外さんはそれさえ微笑ましいと更に瞳を優しくして微笑む。

 

(どうして、俺はこんなに苛立っているんだろう)

 

その様子から目をそらしたくなってしまうのはなぜなのだろう。それなのにそらせないのはどうしてなのか。

 

「おーい、子リスちゃん。『鴎外さん大好き』って言ってごらん。言えば明日は特上牛鍋食べ放題だよー」

 

膝の上の芽衣に鴎外さんはそんなことを吹き込む。

 

「『鴎外さん大好き』『鴎外さん大好き』『鴎外さん愛してる』」
「……っ。鴎外さんっ」
「なんだい春草?」
「変なこと吹き込まないでください」

 

つい鴎外さんを咎めるように呼ぶと、鴎外さんはいつもの悠然とした様子で首を傾いだ。

 

「変なこと…『鴎外さん大好き』?何の問題もないではないか。僕の婚約者が僕を愛してると言うのは当然なのだよ」
「偽の婚約者。ですよね」

 

そのはずだと指摘する必要はないのに。
俺には関係ないのに。

『鴎外さんに迷惑をかけるのはやめなよ』と芽衣に何度も言った。
この様子を見れば、鴎外さんは迷惑に思っていないのはわかる。
だから止める必要はないのに。止めてしまう理由。

 

「そういえばそうだったか。僕としてはこのまま、僕の婚約者でいてくれてもかまわないから、良いんではないだろうか。なぁ子リスちゃん。どうだい?」

 

鴎外さんは、いいことを思いついたというふうに芽衣の寝顔を覗き込んで尋ねる。それから挑発するように、ちらりと俺の方を見上げた。

『子リスちゃんは僕のものに…春草、おまえはどうする』そう言われた気がした。
それは想像なのだけど、どうしてか外堀を埋められていくような気分を味わう。

 

「………寝言に話しかけるのは良くないそうですよ」
「はて。そういえば昔からそう言うね。あれの根拠は何なのだろうね」

 

長い指を顎に添えて、鴎外さんは一瞬思考を飛ばす。

 

「ん…、くしゅん」
「あぁ。いけない。このままでは子リスちゃんが風邪をひいてしまう。そろそろ部屋に連れて行ってやろうか」
「俺が運びます」

 

芽衣を抱き上げようとする鴎外さんの間に立って、気が付いたらそう言っていた。

 

「うん。任せたよ」

 

鴎外さんは悠然とした笑みを浮かべて、あっさり芽衣を僕に託した。