めいこい

明治東京恋伽

春草さんと芽衣ちゃん

 

明治に来てしばらく…初月の頃

 

 

鴎芽←春

春芽←鴎

 

この三角関係…の、三角関係にみせかけた三角関係じゃない見守り感が好きです。

 

 

****【初月】****


ああでもない。こうでもない。
迷いに迷って何枚も描いた絵は、結局どうにも納得いかなかった。
重いため息をついて、俺は気分を変える為に階下に足を向けた。

 

まだ誰も帰っていない部屋のソファに腰掛けて一息いれる。
その間にも考えているのは、今描いている絵のことだった。

 

(いっそ、思い切って配置を変えてみるか…)

 

目の前に無い物を描いている時、目に映る物は全て邪魔で、目を閉じてソファの背もたれに頭を乗せ、脱力しながらまなうらで描きたい物を探る。
酷使した目は、閉じていればジンと熱を持って感じられた。
いつもこの時間は、苦しみと悦びと綯い交ぜにしたようで、自分の中で自分を問う静かな作業に全てを注ぎ込んできた。
上京してからは、特にそれだけに没頭してきた。なのに、玄関から聞こえたかすかな声に肘掛に置いた手がピクリと震えた。

 

『ただいまかえりました』
『帰ったよ』
『おかえりなさいまし、林太郎さん。芽衣さん』

 

(鴎外さんと、芽衣…)

 

目を閉じたまま起き上がろうかとするが、一日中部屋に籠って絵を描いていた体は思ったより疲れていたらしい。そういえば朝から何も食べずにいて腹も減っていることに、気がついた。
そうしている間に、部屋の前に足音が迫ってきた。

 

「春草。喜びたまえ。土産に饅頭を買ってきたよ…おや」

 

扉を開けた鴎外さんの一言とカサリと紙の擦れる音で、体をこわばらせた。

 

(饅頭…ということは…茶漬け………)

 

一気に食欲が失せて、俺は反射的に寝たふりをすることにした。

 

(鴎外さんが部屋を出た隙に、部屋に戻ろう…)

 

「あ…春草さん、眠ってるんですか?珍しい」
「おーい。春草。土産だよ。美味い饅頭茶漬けが食えるぞ。おーーーい」

 

ギシリとソファが軋んで隣に誰かが座ったのを感じた。
閉じた目の前で、何かが揺れる気配がある。顔の前で手でも振っているのだろうと当たりをつけて俺は固く目を開かなかった。

 

「鴎外さん、眠ってるのを起こしちゃかわいそうですよ…」
「うむ………本当に眠っているのだろうか」

 

探るような鴎外さんの声に、誤魔化しきれないかと諦めた時だった。

 

「しゅんーそーうーーー。ふぅー」

 

左耳が振動するほど近くで、鴎外さんの低い声が俺を呼んで、その後にふぅっと息を吹きかけたのだ。

 

「っ。………」

 

驚いて、俺は勢いよく飛び起きながら溺れた者のように、目の前にあったものをつかんで引っ張る。

 

「っ、きゃ」
「くっ!?」

 

飛び起きた先で、小さな悲鳴があがって、俺の上に何かがのしかかり、そうして柔らかい物が唇に触れた。
視界はいっぱいに広がる、驚きに丸まった榛色の瞳。
つかんでいるのは、矢絣模様の着物。

 

「おや…これは……」

 

俺がつかんだせいでバランスを崩した芽衣はソファの上に片膝を乗り上げ、俺に向かって倒れ込んでいる。

 

「………」
「………」

 

触れているのは………芽衣の唇?
一瞬では理解が及ばなくて、そのまま動けなかった。

 

「こら、春草。僕の目の前で何をしているのだ。いつまでひっついているんだ、はなれなさーーーい」

 

それが何かをはっきり確認する前に、鴎外さんによって芽衣は体勢を正され、俺から引き離された。
だけど、口元を抑えて呆然としている芽衣の様子から、たぶんさきほどの予想は外れていない。
偶然のこととは言え、触れた温もりは唇にありありと感触を残していて、多少動揺していた。
目の前の芽衣は、その何倍も動揺しているようで、大きなまま固定された瞳は次第に潤むように揺れて、最高級の胡粉みたいだと思った白い肌が頰から首筋まで全て真っ赤に染まっていく。

 

(……………っ)

 

その 幼気な様子を食い入るように見つめて、湧いた感情はいままで感じたことのない物だった。
胸の奥がきゅっと締め付けられるように切なくて、同時に、手を伸ばしてなぐさめて、なのに壊したい相反する欲求。

 

「大丈夫かい。子リスちゃん」

 

気遣うような鴎外さんの声に、ハッと我に返った。

 

(これは………)

 

「事故…だね。でも、まぁ…ごめ」
「っ…………ごめんなさいっ」

 

一応、謝ろうとしたのに一歩遅くて、芽衣の方が先に謝って部屋を飛び出しっていってしまった。

 

「子リスちゃん…」

 

腰を浮かしかけた鴎外さんは僕に視線を向けて大げさにため息をつく。

 

「おまえって子は、全く………」

 

その微かな笑みを含んだつぶやきは、熱く脈打つ俺の耳を素通りしていった。