明治東京恋伽 めいこい 鴎外さん&芽衣ちゃん。

 

明治残留EDの後。

芽衣ちゃんからの告白って………どうなってるのだろう。
チャーリーさん、どうして次の日に飛ばしちゃうのだろー。
っていつも思うんです。
あやふやなまま鴎外さんに翻弄されつづけるわけにはいきませんー。

と、いうおはなしです。

 

ネタバレ台詞(?)あるかもです。

あと、めいこいは ちょっと越えてもOK扱いになってます。

 

 

***

 

 

鴎外さんは、ときどき私を試しているときがある。
大人の鴎外さん。
優しくていつも寛大な鴎外さん。
ときどき子供みたいに一直線な鴎外さん。

 

 

 

明治に残るって決めてからしばらくたった昼下がり。
いつもの日々、フミさんのお手伝いが終わって、サンルームのソファでぼんやりくつろいでいると、平和すぎてちょっと眠くなっちゃう。

 

「ふわぁ」

 

あくびが漏れて、涙がにじんだ。

 

「ただいま、子リスちゃん」

 

早い帰宅の鴎外さんがサンルームに入ってきたので、私は気の抜けたまま、ふにゃと笑ってそれを迎えた。

 

「おかえりなさい、鴎外さん」
「うん?」

 

鴎外さんの笑顔が凍り付き、何か失敗したっけ。と考える。

 

(あーーー、旦那様って呼んで。って、アレかなぁ)

 

ついつい慣れなくて呼ぶことの出来ない「旦那さま」。
鴎外さんは、毎回丁寧にそこに突っ込みを入れてくる。
まだ結婚はしていないのだから、そう呼ばなきゃいけないわけはないんだけど、練習は早い方がいいというのが鴎外さんの言い分だ。
だけど、今日はそれとはちょっと違うっぽい。
痛々しいまでの表情で、私の肩を掴んでずいっと顔を覗き込んでくる。

 

「何があったというのだい………?」
「え………?」

 

鴎外さんの長い指が私の目じりをぬぐって、さっきのあくびの涙の残りを勘違いされたのだと気付いた。

 

「あ、いえ………」
「僕には言えないことなのかい?教えておくれ。何があったのか、おまえを不安にさせたものが何なのかっ………」

 

がばりと抱き付かれて、あんまりにも見当違いな理由が恥ずかしいけれど、こんなに心配されてしまっては慌てて否定しなければいけない。

 

「す、すいません。違うんです。………ちょっとあくびが」
「あ・く・び………?」

 

腕の間に空間を開けて私を見た鴎外さんが、ほっとしたように眦を落とした。
あんまりにも優しい微笑みだった。

 

「そうだったのか………僕の勘違いだったようだね。すまないね、おまえのことが大切すぎて、ね。どうにもなぁ………」

 

再びぎゅうっと抱きしめられてしまった。
ついでに、額に口づけが降って来る。

 

「ん………」

 

それが次は頬に触れて。
反対の頬にも触れた。
このままじゃ、まずいと私の中で警鐘が鳴る。

 

「お………鴎外さん?」
「なんだい。子リスちゃん。顎を上げて」

 

頬を挟まれて、妖しい瞳が近づいてくる。

 

「あ、あのっ」
「ん。僕はね、とても心配したのだよ………安心させておくれ」

 

やんわり隙間をもって回された腕なのに………ぜんぜん振りほどけない。
ああ、逃げられない。
そう思ったときに、扉が開く音がした。

 

「………っ!?」
「やぁ。ただいま、フミさん」
「おかえりなさいませ、林太郎さん」

 

一礼した後、うふふ、とフミさんは扉を戻していってしまった。

 

「おうがいさんっ」
「なんだい、芽衣………僕の婚約者どの。何か問題でも?」

いたたまれない私のテンパった抗議の声はとりあってもらえなかった。

 

 

***
 

 

夜になると、鴎外さんは自室にこもって執筆活動をする。
私はその傍らで、本を読んだりして時間をすごすことが多いのだけど、さきほど読んでいた雑誌を読み終えて、暇を持て余し始めていた。
原稿用紙にペンを走らせる鴎外さんの横顔は、文章の内容に左右されるのかどことなく物憂げに見えた。
明かりに揺れる瞳は琥珀の深い色。

 

「子リスちゃん、眠くなったのかい」

 

視線に気が付いたのか、鴎外さんが顔をあげた。

 

「そうですね、そろそろ部屋に戻ります………」

 

立ち上がって部屋へ戻ろうとすると、肩から羽織っていた着物を脱いだ鴎外さんが、いつのまにか私と扉の間にすべりこんでいた。私の手をさりげなく握ってはなさない。

 

「子リスちゃん。何度言えばわかるんだい」
「………はい」
「うん、素直な子は好きだよ」

 

観念した私が頷けば満足そうな笑みが返って来きた。


 

***

 


鴎外さんの腕に頭を預けて、ベッドに横になる。

 

「………」
「僕はね、少しでもおまえと離れているのが耐えがたいのだよ。こうやって腕の中にいないとき、おまえが悲しんでいないだろうか、何かに攫われてしまってはいないだろうか、心を囚われてはいないだろうかと心配で仕方ないのだよ。昼間は仕方なく離れているのだから、夜くらいは一緒にいたいと思うのは僕のワガママなのだろうか」
「………」

 

こうやって、部屋に戻らせてもらえない日々が続いている。
こんなに想われて幸せだと思う一方で、こんなに正直に言葉にされればどうしても照れてしまう。

 

「いつまでたっても、おまえは慣れないね」

 

溜息とともに心底困った顔で囁かれるた。
この気恥ずかしさは鴎外さんにはわかってもらえないらしい。

 

「いつか、慣れるんでしょうか………」
「ふふっ。心配する必要はない。おまえには僕が一から十まで教えてやるのだから………」

 

自信満々に言い切られると、そうなのかなと納得してしまう。
子どもにするみたいに、頭を撫でられる。

 

「………おやすみ、なさい」
「うん。ゆっくりお眠り」

 

ドキドキして落ち着かないのだけど、やがて幸せな温もりに安心しながら、私は眠りにつくのだった。


 

***

 


「ふふ………」

 

なんだかんだ言いながらもすぐに寝入った芽衣の寝顔を見ながら、瞳を細めて彼女を見た。

 

「本当に、おまえは可愛らしいなぁ」

 

腕の中で少しまるまるように僕の寝間着を握って眠る姿は、子供の様に安心しきっていて、僕をも安心させた。
満月の夜からこちら、それ以前の焦った様な不安げな表情は芽衣から消えていた。
代わりに、ときどき寂しそうに遠くを見つめる姿があった。
近々家に戻ると言っていたのを、搦めとるように懇願して、彼女は応えてはくれた。
だから、きっと………彼女の憂いの原因がそのあたりにあるのだろうという予測はついた。
だけど、だからこそ。
あるだけの愛情を注ぎこんで、彼女を惹きつけ続けなければならない。
この囲い………この腕に捉えてはみたけれど、それはまだ完璧ではない。
また、いつ手元を離れてしまうのか。
毎日気が気ではなかった。
このところ早く仕事を終え、朧の刻になる前に帰宅するように心がけている。
夜も、こうやって一人にはしない。
芽衣の不安を押し込めてしまおう。
僕ですべてを埋め尽くしてしまおう。
そうして、いつか僕の虜になってほしい。
そう、願いながら愛しい子リスを見つめて夜は更けていく。

 


***
 


ある夜、鹿鳴館の舞踏会に鴎外さんが招待されていた。
外国人の主賓のいる舞踏会はパートナー同伴でとのお達しがあったということで、私も着飾って同伴した。
暗い街並みの中に浮かび上がる煌びやかな灯を纏った洋館。
重厚な木材を使い、細部まで装飾を施されたこのレトロなこの洋館は、洋風建築に慣れている現代人の私からすればこの時代の人々とは違う見方で、現実離れしている。
そこに集う人々の華やかでボリュームのあるドレス。男の人のスーツも仕立てのよさそうなどこか特別な物に見える。
中でも、真っ白に金の縁取りと飾りをあしらった鴎外さんの軍服姿は、一際華やかで人の目を惹きつける。
背の高い立ち姿から自信が溢れて、素質からの優雅な気品が無骨さを感じさせず、本当に素敵だと思う。
今日の私は、現代にいたころには着たこともなかった裾の長いバッスルスタイルのドレス姿で、少し気後れしそうなスカーレットの色の裾がフワフワとついてくる。
鴎外さんにエスコートされて緊張しながら入口を進んで会場に通されれば、優雅な音楽にシャンデリアの煌めき。
そうして、美味しそうな料理が一瞬で私の目を奪った。

 

(きゃーーー)

 

心の中で、歓声をあげながら、探すのはお目当てのローストビーフ。
チャーリーさんに騙されてここに忍び込んだとき。
それから、例の美人コンテストのとき。
二度も、この美味しそうな獲物を逃している。
今日こそは!

声をあげなかったのは、一応鴎外さんの婚約者という社会的立場を考えてのことだった。

 

「ふふふ、まったく。おまえという子は」

 

目でターゲットを探していると、隣から鴎外さんが私を見下ろして微笑んでいた。

 

「?」
「いやはや、おまえの牛肉を探す目はなんと生き生きとしているのかと思ってね………キラキラをとおりこしてギラギラとしている。いつか、僕もおまえからそんな目で見てもらいたいものだ」
「………えーっと。あの」

 

なんと答えていいかわからなかった。
この言われようは女の子としてはどうなのかって思うけど、もう今更、私の牛肉好きを鴎外さんにこんな風に言われたっことは特別に恥ずかしかったりしない。
鴎外さんは、私がそんな風になるのをいつも微笑ましそうに感心して見ていて、女の子なのに………なんて言わないし、どちらかというと積極的に牛肉を与えてくれるのだ。
今だって、優雅な指先に誘われてついていけばお目当てのローストビーフが現れた。

 

(いつも夢に見るローストビーフっ!!美味しそうっ)

 

鴎外さんが給仕の人に声をかけてくれて、私は念願のローストビーフに舌鼓を打つことが出来た。
その素敵なピンク色と香味野菜や塩の存在を感じるジューシーなお肉はほっぺが落ちる幸せさだった。

 

「ふふふ。本当に、美味しそうに食べるではないか」
「美味しいです」

 

満面の笑みで鴎外さんを見上げると、鴎外さんは幸せそうに笑って、不意に私の腰を引き寄せて額に口づける。

 

「………!?」
「あはは」
「こんなとこで何するんですか!?」
「いやはや、おまえがあまりにも愛らしくて、つい」

 

真っ赤になる私を愉快そうに見て鴎外さんが笑い声をあげる。
そのとき斜め後ろから鴎外さんを呼ぶ声があった。
振り返ると、年配の紳士と私よりも少し年下の女の子が立っていた。
鴎外さんとにこやかに挨拶をする様子を見守っていると、今日の舞踏会の主催者のような人とその娘さんだとわかった。
娘さんは華子さんというのだと名乗った。
薄い緑のドレスの華子さんは、私と目が合うとおっとりと綺麗に微笑んでくれる。

 

「そちらはお噂の婚約者殿でしょうか」
「そうなんだよ」

 

鴎外さんにそっと背を押されて、私は練習した通りの挨拶を返した。
しばらく歓談かと思えば、その紳士の元に人が来て、何か困った表情で耳打ちをする。

 

「それは大変だ………森陸軍一等軍医殿、大変申し訳ないのだが、ドイツからのお客様が具合を悪くされているらしい。診ていただけないだろうか」
「ああ、勿論だ。芽衣、一緒に来てくれるかい」
「はい」
「あら………」

 

華子さんが呼び止めるような声を上げて、私は足をとめた。

 

「芽衣さん。病人のいらっしゃる所に行かれるよりも、よろしければ私とここでお話をいたしましょう。私、もう少し芽衣さんとお話してみたいです」
「あ………」

 

どうしようと鴎外さんを見ると、鴎外さんも頷いてくれた。

 

「そうだね。ここで待っていてくれるかい。芽衣」
「はい」

 


***

 


「お付き合いくださってありがとうございます」

 

華子さんはとても人懐っこい雰囲気で微笑んだので、私もそれに合わせるようににっこり笑って見せた。

 

「いいえ。同じくらいの年頃の女の子とお話が出来て嬉しいです」
「私もです。芽衣さんの婚約者の森様………ふふ、先ほど、父が声をかける前に見てしまいましたのよ。とても仲睦ましくらっしゃって。素敵でしたわ。森さま、お優しそうで素敵な方ですね」
「はい」

 

華子さんにそう言われて見られていたのはちょっと恥ずかしかったけど、素直に頷けた。

 

「私も婚約者がいますのよ。来年結婚いたしますの。まだ幾度かしかお会いしたことはないんですけど………とても優しい方でした」
「そうなんですか。おめでとうございます」
「芽衣さんも、ご結婚の日取りは決まっておいで?」
「あ………それは、まだ」
「そうなんですのね。でも、とても楽しみにしてますの。だから、今、色々は花嫁修業も頑張っておりますのよ」
「花嫁修業?」
「ええ、お茶にお花に………」

 

現代人の私の想像する花嫁修業とは並ぶ品目がずいぶんと違った。
お茶もお花も、芸事も………やったことない物ばかり。

なんとなく、その格差に不安になる。そのせいで後の会話は、ちょっとうわの空になってしまった。
しばらく話をして後、私は少し風に当たりたいからと庭に出ることにした。


 

***
 


「はぁ~」

 

肌寒い夜の庭はもともと人気は少なかったけれど、更に人のいない場所を求めて、池の方までやってきた。
その畔に、うっすら月の光がともったように浮き上がって見える人影が目についた。

 

「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい西洋奇術博士が贈る世紀の大マジックショーだよ〜!ここに取りい出したるなんの変哲もないこの箱!」

 

すごく聞き覚えのある声に、口上が聞こえて、私は駆け寄った。
そこには、あの派手な洋装に身を包み、掌ほどの箱を小さな子供に覗き込ませているチャーリーさんがいた。

 

「チャーリーさん!?」
「やぁやぁ。久しぶりだね芽衣ちゃん」

 

明るい表情で振り向いた彼はそう言うと作り物めいた仕草でお辞儀をした。

 

「どうして!帰ったんじゃなかったの!?」
「うん?」
「だって、一人で帰るって………あの満月の日に………」

 

確かに、彼はそう言っていたはずだ。

 

「そうだったっけ?」

 

なんて、チャーリーさんは首をかしげて見せる。

 

「え、だって………」
「うんうん。まぁいいじゃないか。こうやって再び会えた奇跡を大切にしようじゃないか」

 

確かに、帰るって言ってたはずだけど………もう会えないかと思っていたから、今、すごくホッとしてしまった。

 

「それにね。僕は君から離れることなんてできないんだよ」
「はぁ………」

 

だけど、その軽いノリについつい、避難するような目になってしまうのは仕方ないと思う。

 

「あぁ。その目。その冷たい蔑むような、するどい視線!!ああ、たまらないなぁ!!これこそ伝説の………」
「もういいから!」
「ははぁ。もう。言わせてもくれないなんて芽衣ちゃんったら。やっぱり、僕は君の側を離れるなんてできないなぁ。それに、僕はいつだって君の側にいるっていっただろう」

 

興奮したチャーリーさんには触らない方がいい。そう思って違うところを見れば、いつのまにかチャーリーさんのマジックを見ていた子供の姿はなくなっていた。

 

(邪魔、しちゃったかな?そもそも鹿鳴館に子供なんて珍しい)

 

「ところで、どうしたんだい芽衣ちゃん。こんなところで、鹿鳴館のパーティーに来ているってことは、鴎外さんも一緒なんだろ?あぁ。そのドレスすごく素敵だねぇ」
「うん。ありがとう。そうなんだけど、鴎外さんは病気の人がいるらしくって診にいってるの」
「そうなんだ。どう、明治の生活は?僕の言った通り鴎外さんは君を大事にしてくれているだろう」
「それはもちろん」
「うんうん。それはよかった」

 

チャーリーさんは細い目を微笑ませる。
予想外に見守るような温かい微笑みになんだか面食らってしまう。

 

「あぁ。でも、チャーリーさんっ!!一月もすれば私の記憶の混乱も収まるって言ってたのに。私ほとんど何も思い出さないんだけど、どうなってるの?」
「あれぇ。おっかしーなぁ。思い出さないの?」
「うん。ほとんど、まったく!!」

 

はぐらかされまいとして、その瞳を見つめて燕尾服の襟元を鷲掴みにして詰め寄った。

 

「あぁ、くるしぃ。苦しいよ芽衣ちゃん………さすがの僕でも、これはちょっと………」

なんて、チャーリーさんは少し恍惚とした表情を浮かべるから、私は慌てて距離をとった。

「………コホン。さすがの僕も危なかった、でもさ。芽衣ちゃん。それって必要かな?」
「え………」
「現代の記憶。それって必要かなぁ。君は現代よりも鴎外さんとの未来を選んだんだろう」
「それは………そう、だけど」

 

満月の夜に、私は現代に残してきた様々なものよりも鴎外さんを選んだ。
記憶がないから選べたのだろうかって思うことがある。
もし、記憶があったら選ぶことはより困難だったかもしれない。

 

「もし、記憶が戻って。そうしたら」
「帰りたくなるんじゃないかって心配なの?」
「ん………」

 

チャーリーさんは、それにははっきり答えなかった。
チャーリーさんはちょっと困ったみたいに笑顔をつくるから、なんとなく、私の考えは外れてるみたいだった。

 

「だけど、もう満月は過ぎちゃったよ。知ってるでしょ。帰りたいって言ったって帰してあげることはできないんだ。だから知らない方がいいんじゃない?」
「大丈夫、だよ。たぶん、今………もし、現代のことや家族の事を知っても………寂しくなったり懐かしくはなっちゃうかもしれないけど。家族の事、何も知らないのはつらいよ。………もし知ってしまっても、もう鴎外さんのもとから離れるなんて出来ないから。それに知らないままじゃこの気持ちすら、逃げ場がないせいなんじゃないかって不安になるの」

 

じっと真意の読めない細い瞳の奥を見つめる。

 

「だから、教えて。知ってるんでしょ。私の記憶が戻る方法。現代の事!!」

 

叫ぶように訴えたときだった。
空気が動いたと思ったら、ほのかな煙草とインクの香りを纏った腕に囲い込まれていた。

 

「芽衣!!!」

 

この香りの主が誰かは顔を見なくてもわかる。

 

「鴎外、さん」
「どこへ行こうというのだ」

 

絞り出すような低い声だった。

 

「芽衣。いけないよ。おまえをどこにもやらないよ。おまえが居なくなるなんて、もう無理なのだから」
「んん………鴎外さん」
「おまえの事を誰よりも必要としてるのは、この僕だ」
「………っ!!」

 

私をきつく抱きしめてくる腕が強くて、痛いくらいで、背中が鴎外さんの体に沿うようにしなった。

 

「うん。愛されてるなぁ。芽衣ちゃん………それに、君の気持ちもよくわかったよ。君の気持ち自信をもって。もし、知りたいのなら、君が現代から持ってきたもの………そう、例えばポケットの中を探してみればいい。そうすれば、きっといろんな事を思い出すだろうから。じゃあお嬢さん、幸せにね」

 

私に耳打ちをして、チャーリーさんは姿をふわりと消した。


 

***


駆け付けた鴎外さんに連れられて、そのまま屋敷に戻った私たちは、いつもなら顔を出すサンルームにも顔を出さず、二階の鴎外さんの部屋へと直行した。
部屋に入ると、ガチャと言う鍵の音が静かな部屋に響いた。

 

「芽衣………」

 

扉から一番奥の壁に、両手をそれぞれ鴎外さんの手で、体はその体に、足の間にも足を差し入れられて、動きを封じられて押し付けられた。

 

「んんっ………」

 

熱い唇に乱暴に口づけられ、苦しさにくぐもった声を上げた。

 

「芽衣、芽衣………」

 

合間に鴎外さんが私を呼ぶ。
さっきから、鴎外さんはずっと私を芽衣と呼ぶ。

長い事口づけられて、いつだったかも何度も口づけをされたけれど、こんなに狂おしい深い口づけは初めてで、私の目からポロポロ涙がこぼれていた。

 

「はぁっ………」
「っ………」

 

二人ともが息を上げて、やっと見つめ合う。

 

「芽衣………あぁ」

 

鴎外さんが小さく息をついた。

 

「………おまえを泣かせるのは本意ではないのだ」
「大丈夫………です」

 

苦しそうに眉を寄せる鴎外さんは、とても傷ついたような瞳をしていた。
いつも力強い琥珀の瞳が沈んでいる。

 

「いつか言っていたね。おまえは、この世とは違う場所からきたのかい」
「………」
「何か思い出したというのか?」

 

相変わらず抑えつけられた手首の力は緩めてもらえない。
前にも、こんな風に問い詰められたことがあった。とぼんやり思い返す。

 

「おまえは、僕の手の届かないところに帰ってしまうのかい?」

 

矢継ぎ早な質問が私を問い詰める。
あのときも、こんな風に鴎外さんは私を捕まえて離さなかった。

 

『もし、知りたいのなら、君が現代から持ってきたもの………そう、例えばポケットの中を探してみればいい。そうすれば、きっといろんな事を思い出すだろうから』

 

チャーリーさんの言葉を思い出す。
制服のポケット………そこに何があるんんだろう。
それで、私は何を思い出すのだろう。

鴎外さんは、私の記憶が戻ることを怖がっているようだ………私が居なくなると思ってる?
追い詰められているのは私なのに、鴎外さんの方が追い詰められたような顔をしている。

 

『現代の記憶。それって必要かなぁ。君は現代よりも鴎外さんとの未来を選んだんだろう』

 

そう。
記憶を取り戻したって、私だって、もう鴎外さんから離れることなんかできない。

 

「鴎外さん………」

 

だけど、やっぱり知りたくて。………それがこんなに鴎外さんを苦しめるなら、今は記憶がもどらなくていい。そう思った。

 

「何も、思い出して、ません………」
「何も………?。あのとき、おまえは誰かと話していただろう。それがおまえを連れ去ってしまうんではないかと思ったのだ。片時も目を離すんではなかった。そんな嘘でこの腕を離すことはできないよ」
「………話していました。だけど………何も………私、もう鴎外さんの側を離れたりしませんよ。ここしかないんです………私が居たい場所はここなんですよ」

 

じっと瞳を見つめて告げて、自由にならない手の代わりに、私はその赤い髪のかかる肩に自分の頭を摺り寄せた。
ゆっくり腕がほどかれて、私の腰にまわる。
私は、ほどかれた腕を鴎外さんの背中に伸ばした。

 

「もし、思い出しても、ずっとここにいます」
「本当かい?」
「はい」

 

鴎外さんは疑うように首をかしげて一度、視線を落とした。
ゆっくりと私を見つめなおして、まだ信じられないように眉根を寄せている。

 

「子リスちゃんおまえからそんなことを聞いたのは、初めてではないか?」
「そう、でしたか………でも、本当です」
「………あぁ。お前から、そう言ってくれるのをずっと待っていたよ」

 

その時の鴎外さんの微笑みは、あんまりにも嬉しさをにじませていて、心よりの純粋なものだった。

 

「あの、不安にさせていたら………ごめんなさい」
「あぁ。いいのだよ。いつかおまえが応えてくれると思っていたからね」
「………鴎外さん、大好きですよ」

 

改めて言うのは恥ずかしくて、肩口に顔を埋めて呟いた。
顔をあげれば、綺麗に微笑んだまま艶やかな視線で私を見る瞳と視線が絡んだ。

 

「こちらへおいで」

 

低く小さな声が私を誘って、差し出された手に手を重ねれば、ゆっくりとベッドまで導かれて、ふわりと組み敷かれていた。
降りてきた口づけもふわり優しい。

 

「………では、本当におまえは僕の物になるのだね」
「え………」

 

上から見下ろす、鴎外さんの意味ありげな微笑み。
いつものおやすみという時とは違うこの体勢。

 

「え。え………」
「いままで、ずっとお前の気持ちを待っていたのだよ。だから………」

 

口にされなかった続きがわかって、私は心臓が大きく震え始めた。
鴎外さんらしい自信にあふれた微笑み。
細くて綺麗な指先が私の髪をすいて、手の甲が頬を撫で上げる。

 

「子リスちゃん。この先は教えてはいないけれど、その赤い顔を見れば、言わずともわかったようだね」
「………っ」

 

少し意地悪な言い方。
特別な時だけの、声色。
私をからかう時や、何かを裏で考えているときの鴎外さんのクセだ。
何かを誘導されるように鴎外さんの望むように応えてしまう。
例え気づいて逆らったとしても………それに逆らって、何度返り討ちにされたことか。

 

「ほら、瞳を閉じて………」

 

金縛りにあったみたいに、私は鴎外さんから視線を外せなかった。
でも、そのときに気づく……いつも余裕な鴎外さんの瞳が、焦れったそうに深い瞬きをする。

 

「鴎外さん、大好きです」

 

そんな瞳を見たら、どうしても言いたくなった。
重なりそうだった唇が動きを止めて、私は自分から伸びあがって口づけた。

 

「子リスちゃん………おまえは、本当に」

 

困ったように吐息とともに吐き出される。
その反応がうれしくて、つい顔がゆるんでしまった。

 

「ちゃんとわかっているのかい。今から何をされるのか」
「っ…………はぃ」

 

なんとか頷く。

 

「それなのに、どうして笑っているんだろうか」
「………」

 

鴎外さんが好きだから。
だから………だけど、さすがにそこまで強気に答えることはできなかった。
心臓が今にも飛び出しそうに脈打ってる。
鴎外さんは、微かに整った眉をゆがめて………その秀麗な顔を甘く微笑ませた。
限りなく優しい仕草で私の頬から首筋鎖骨にまでするりと指を這わせた。

 

「………ふっ。ぅ」

 

その動きにぎゅっと目を閉じれば、瞼に誓うような唇が落とされた。

 

「おまえを泣かせるのは嫌なのだが………今から、どうしたって泣かせてしまいそうだ。それをわかっているかい………」

 

ゆっくりと囁きが私に吹き込まれた。
それに、私は戸惑いながら微笑んで答えた。