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『ただ、おまえをもう一度連れ帰って、あいつはおまえを受け入れないだろうね。あいつも頑固だから』
 
秋斉さんはそう言って、今まで通り働き続けるように言った。
 
「今日のおすすめは?」
 
店先に出された床几に座って、お茶を運んだ私に秋斉さんはたずねる。
 
あれから数日。
時間は様々だけど、秋斉さんは店にやってきては甘味を食べて帰る。
今日は午前中の早い時間の訪問だった。
店の中の席を進めても、秋斉さんはいつもここに座る。
 
「今日のおすすめは、叢雲羊羹です」
「じゃあ、それを三つ」
「一つはお土産にお包みすればいいんですね」
 
私は奥にそれを注文して、女将さんに声をかけると、秋斉さんのもとに戻って隣に座った。
忙しい時間じゃなければ、秋斉さんの相手をすることをお店の主人にも許可をもらっている。もちろん秋斉さんが許可をとってくれたのだけど。
注文の三つのうちの一つを私は手渡されて、いただきますと食べはじめた。
最初は、この時間が何なのか戸惑ったけれど、秋斉さんは柔和に笑って答えてはくれなかった。
三つのうち、お土産にする分は、どうやら慶喜さんに持っていっているらしい。
 
「美味しい?」
 
もくもくと羊羹を食べていると、隣から秋斉さんが尋ねてきた。
 
「はい、美味しいです」
「それはよかった」
 
そう言って、うっすら微笑む。
なんだか、この雰囲気がやけに平和すぎて。
あの日意気込んだ私は拍子抜けしてしまう。
 
「じゃあ、これも食べるといい」
「秋斉さんも食べてください。それに、こう毎日、お菓子をいただいていると、ちょっと食べすぎな気がします」
「そうかい?あぁ………」
 
そう言いながら、秋斉さんの指が私の頬に向かってのびてくる。
 
「………っ!?」
 
伸びてきた、指は耳のギリギリを掠めて私の髪に触れた。
纏めていた髪に刺した簪の牡丹の飾りに触れる微かな音がする。
 
「簪が、少しずれていた………」
「………。………ありがとうございます」
 
少し焦っている私を見て、秋斉さんがおかしそうに目元を緩める。
この笑い方が少しだけ慶喜さんが悪戯するときの顔に似ていると思った。
長い間、子供のころから一緒にいると言っていたから、自然と仕草が似てくるのかもしれない。
 
「何をされると思ったんだい?」
「丸くなったって頬をつねられるかと思って」
「女性にそんなこと言わないよ」
 
秋斉さんは珍しく、クスクスと笑みをこぼした。
 
(これ、絶対わざと………)
 
「秋斉さんってこんなに意地悪でしたっけ?」
「………ん?何もしてないけれど?」
 
悪びれない態度も、どこか誰かを彷彿とさせる。
口では勝てそうにない。
 
「………」
「それはそうと、揚羽。その簪の珊瑚の細工物。牡丹か………慶喜が贈った物かい?」
「はい……しばらく、つけていなかったんですけど、最近になってまたつけ始めました」
「そうか…………少しの間、ほんの半日ほど借りてもいいだろうか?」
「………」
 
この簪は、使ってはいなかったけれどとても大切なものだった。
何を無くしても、これだけは離したくなかった。だけど。
 
「はい」
 
秋斉さんが慶喜さんに贈られたものを貸してほしいというのだから、何か意味があるんだろう。
 
「ありがとう。それから、今日の夕刻にもう一度会おう。慶喜の屋敷の近くの四つ辻。わかるだろう」
「………はい………」
 
私は、今日何かが起こるのだということを察して緊張と期待に胸が締め付けられながら、静かに答えた。
 
 
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