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約束どおりに慶喜さんは私を誘いにきてくれた。
「………ぁあ」
私の姿を見た慶喜さんが、声にならない声を上げる。
今日は慶喜さんの用意してくれた着物の中でも目を引く大振袖を選んだ。
白い地が裾に従って朱鷺色の金に色を変える華やかなもの。
慶喜さんが直してくれた黒の着物を着ようかと思ったけれど、出かけるには向かないし、着る気持ちになれなかった。
「揚羽、すごく綺麗だね」
「ありがとうございます」
和やかに微笑みを交わす。
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その日は、病み上がりだからと屋敷の外に出ることはしなかった。
花の少ない時期の少し寂しい庭を進み、離れになった茶室に案内された。
人気がなくて屋敷の中にいるよりも静かにゆっくりと時間が流れているように感じる。
だけど、刻々と時は刻まれていく。
お茶を点ててもらった後。
「こっちおいで」
「はい」
差し出された手をとって慶喜さんに触れるくらい近くに寄る。
じっと近くからの視線を感じて見つめ返すと、慶喜さんは柔和に微笑んで片側に寄せるように結った私の髪を流れにそって指をすべらせた。
「揚羽の、この髪が好きだな」
神経の通ってない髪なのに、触れられた感触が強く伝わってくる。
「………少し。動かないで」
「はい」
大人しく従うと、慶喜さんが私の髪に何かをさし、手鏡をわたしてくれた。
それを覗き込むと私の髪で、深い赤と薄い色の入り混じった牡丹の簪が橙の灯にかすかに透けている。
「慶喜さん、これ………」
「いつか約束した贈り物。すごく似合う」
「ありがとう、ございます………」
その簪についた飾りを慶喜さんが指で揺らして弄ぶ。
「そんな風に喜んでくれる顔も好きだよ。照れてるのも、困った顔してるのだって、怒った顔に真剣な顔。それも俺の仕業だって思うと嬉しい。でも、やっぱりおまえの笑顔が好きなんだ」
そう言って微笑む慶喜さんの笑顔は綺麗だったけれど、私が好きな笑顔じゃなかった。
「ねぇ、おまえは?………聞きたいな」
甘えるような仕草に胸が疼く。
「………慶喜さんのこと好きです………………………全部。全部が…好きです」
「うん」
私の答を聞いて慶喜さんは小さく頷くと、顔を寄せ、触れる前に一瞬だけ躊躇ったようにしてから、やはり唇を重ね合わせた。
「俺の全部。あげられたらいいのに」
短い時間、離れがたそうに強く私のに重なって、薄く重なったまま呟かれる。
―――あげられたらいいのに、あげられない。あげたいんだ。
「それでも、私の全部をもらってくれればいいのに」
唇が離れて、額がまだ触れる距離の私のつぶやき。
―――もらってくれればいいのに。奪ってほしいのに。あげたいのに。
今だけの嘘なんていらない。
この気持ちだけは嘘じゃない。
このところ伝えることすら罪だというように口にできなかった想い。
「うん………ごめん」
慶喜さんは私をぎゅっと強く抱きしめてくる。
「ずっと、俺のでいて………」
「……はい」
甘い言葉、痛そうなくらいの切ない声が胸を締め付ける。
お互いの本音の部分。
二人とも辛い別れの予感を口にすることはできなくて、確かにある想いが口に乗る…それがこの後、お互いを傷つけるかもしれないのに、優しい嘘すらつけない。
お互いのありったけの気持ちを伝えあうことを止められなくて、夜は明けていった。
***
白み始めた空には、白い半分の月が浮かんでいる。
ついこの間、逢瀬だと浮かれた気持ちで揚羽と待ち合わせをした朝からすっかり違って見える朝の様子。
つぅっと、涙がいくつか滑り落ちていく。
いくつか滑り落ちた涙の隙間には、何も埋まることはなくて揚羽を愛しいと思う気持ちだけがいくつも生まれてあふれそうになっていった。
別れ際、眠った振りをして最後までつないでいた手。
スルリと抜け出していった温もりの気配は部屋にまだ残されたまま、それは幻だったかのように、気配を薄めていき、無機質なカメラがひとつ残った。
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