初雪1 からお読みくださいね
 
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(B)悪戯しない
 
粉のように湿度の低い雪は、塊にしようとしてもサラサラと指の間を零れ落ちてしまう。
それに少しだけむきになっていたのは確かだ。
ようやく一塊の雪玉をつくり、少し考えて細工をする。
童心にかえりつつ。
隣の〇〇が喜ぶだろうかと考えていた。
 
ふっと、横顔に熱心な視線のようなものを感じて。
目の端に注意をはらうと、唇を引き結んで、○○が視線を落ち着きなくしているのが見えた。
 
(ん……?)
 
視界の端では、〇〇が何を思っているのかまでは見て取れず、こっそり様子をうかがう。
と、〇〇がサラリとした雪をひとつつまみ上げ、我慢できないといった風に引き結んでいた唇の口角を上げるのが目に映った。
 
(ははっ……)
 
心の中で声を上げて笑う。
声に出さなかったのは、俺の悪戯心だ。
痛いほどの視線を耳裏あたりに感じる。
 
(そこか……)
 
よけいに雪の細工に熱中している風にしながら、注意深く〇〇の気配を窺い、ついと伸ばされた手が俺の耳朶に触れる前に絡めとった。
 
「ぅぁ……あっ。………………きゃっ」
 
〇〇が驚いて小さな悲鳴を上げ、少しバランスを崩しそうになるのを、両手を繋いで助け起こしてやる。
 
「あ、りがとうございます……」
 
律儀にも礼を言う〇〇。
もうその時には、俺の繕い顔も限界だった。
 
「ははっ」
 
こんどこそ声を上げて笑う。
 
「………」
 
拗ねたように〇〇は俺を見上げて「どうして?」という顔をしている。
その顔が可愛らしくて瞳を細めて微笑みながら、すでに次のことを考えてしまったせいで、きっと人の悪い笑みになっていただろう。
 
「どうしてわかったんですか……?」
「あんなに熱い目で見られればね」
 
これは本当のこと。
 
「そ、そんな熱い目って……」
「俺が雪に夢中で寂しくなったのかい?」
 
これは願望。
 
「そういうわけじゃないです……ただ、ちょっと出来心で」
 
〇〇は消え入りそうに恥ずかしそうに言う。
 
「出来心ね」
「あの、慶喜さん。そろそろ離してください」
 
両手を繋いだままだったのを、○○がこそばゆそうに揺らして訴える。
 
「ん?あぁ」
「…………っ。わっ」
 
左手はそのまま、右手だけ一度はなして指を絡めて繋ぎなおすと○○はまた小さな声をあげた。
より強く捕らえられた○○は微かに狼狽えている。
 
「け、慶喜さん?」
「悪戯をしておいて、仕置きがないと思ったのかい?」
「えっ……でも、悪戯。結局、失敗したのに……」
 
それに応えず、俺は微笑みながら○○に視線を合わせる。
 
「ご、ごめ……っ」
 
観念したように、謝って仕舞おうとする○○の額にこつんと合わせると、息をのんで言葉も呑み込んだ。
 
「さぁ、どんなのがいいだろうね」
「…………」
 
覚悟したように口を閉じて、間近で俺を見上げる○○の瞳がこれから起こることを少しだけ期待しているみたいにジリジリ揺れる。
怖いような、恥ずかしいような、楽しみなような。そんな風に○○の瞳は、とても雄弁だ。
 
酷いことをするつもりはもちろんない。
〇〇も。それはわかっているだろう。
なんとなく甘やかな気持ちになって、〇〇が愛しいという思いがこみあげてくる。
 
この手の中の存在を、より一層感じたくて膝裏と背に手を回すと横抱きに抱き上げた。
 
「えっ、えーーー」
 
〇〇が慌てて、足をばたつかせるのを均整をとりながら、わざと少しよろけて見せると、彼女は俺の首にぎゅっとつかまった。
 
「慶喜さん!降ろして、おろしてください!!重いですから!」
「ふふっ。大丈夫、重くはないけれど、暴れたら落とすかもしれないよ」
「……ぅ」
「逃がさないからね」
 
大人しくなった○○を覗き込むと、困ったように眉尻を下げていた。
 
「悪戯を仕掛けたことを後悔しているんだろう?」
「はい。だから許してくだ………………」
 
不意に○○が空を見上げ、俺もそれに倣って視線をあげると、鼻の頭に冷たいものが落ちてきて、すっと消えた。
 
「あっ」
「降ってきたね」
 
雪上がりの青い空は西の端から陰りはじめ、まだ青いままの頭上からもチラリチラリと雪を舞わせはじめていた。
 
そっと、○○を地面におろしてやり、二人で空を見上げる。
二人の間を落ちてきた雪は、〇〇の茄子紺の羽織の上に落ちた。
 
「わぁ」
 
それを見た○○が一際明るい声を上げた。
 
「どうしたんだい?」
「慶喜さん。見てください、これ、雪の結晶がはっきり見えます!!」
 
言われてみれば、その小さな破片は美しく雪華を咲かせていた。
次々に舞い落ちる雪華を袖で受けては○○は瞳を輝かせている。
 
「あ、慶喜さんにも!」
 
俺の着物に落ちたのを、○○は顔を近づけて熱心に観察していた。
もう久しく雪のひとつずつを注意して見た覚えはないけれど、感動した様子につられてそれを見れば確かに繊細で美しい。
 
「こんなに小さいのにちゃんと六角形をしているんですね。本物を見るのは初めてです。すごい……」
「本物?」
「はい、昔もらった髪飾りについてた飾りが雪の結晶の形で、そのとき興味をもって調べた本で見たんです……綺麗」
 
俺が○○の言葉にひっかかったのには気が付かず、彼女はひたすら雪を追って嬉しそうにしている。
 
誰にもらったのだろうか?
それは嫉妬から。
どこでそんな本をみたのだろうか?
これは不可解で。
 
「そう、本で……」
 
軽く……いや、しっかりと自覚する嫉妬は表に出さずに誘うよう問いかけた。
 
「そうです。雪がどうして六角形か知ってますか?」
「いや、知らないな」
「そのときの本で読んだんですけど、氷の分子が六角形なんですって、それの端っこがくっついてそうしてどんどん大きくなっていくから六角形になるそうですよ」
 
ただの雑談のように無邪気に話す○○の言葉は、さえずる歌のように聞こえた。
前々から、○○はこの世の事なのかわからないことを言う。
内容は様々で、おとぎ話や夢物語のような内容も多いけれど、異国の風習や、驚くような高度の知識だったり、今もそうだった。
雪の結晶の本などどこで見たのだろう。
図録を見たとしても、どこでそんな事を学んだのだろう。
 
「○○は、ときどき学者のようなことを言うね」
「……そうですか?」
 
雪から俺に視線を移した○○ははにかんで笑った。
 
「…とか、知ってるように言ったんですけど、その本を読んだときは子供だったので、どうして端っこにくっつくんだろう?とか、くっついて六角形のこういう形じゃなくて、こんな角のとがった形になるんだろう?っていうところまで理解できなかったんですよね」
 
言葉にしながら、指を六角形の形にしようとして四苦八苦している。
その様子も無邪気で後ろ暗さひとつもない。
それでは髪飾りは子供の頃……親にでも買い与えられたのだろうか?
 
「それに、調べた動機だって、飾りの結晶があんまりにも綺麗だったから、調べてみただけなんですよ」
 
そんな大層なものじゃないんですと、恥ずかしそうにする。
驚かせるような事を言いながら、純粋に少女のように可憐な姿は子供の頃の○○を想像させた。
きっと、好奇心旺盛に今のように瞳を輝かせていただろう。
 
「学ぼうという姿勢を恥ずかしがるものじゃない。それにお前が勤勉なのは俺がよく知っているよ」
「ふふ、ありがとうございます」
 
頭に触れて軽く撫でてやると嬉しそうに微笑む○○は温かい。
 
なのに、この繊細な雪のように触れれば消えてしまうんじゃないかという胸騒ぎがする。
それは、○○がこの世の事なのかわからないことを言うときに度々感じる気持ちだった。
出会った最初の頃には、こんな気持ちはなかったーーー突然あらわれた少女の事を警戒していたくらいだったのに。
 
○○は、どこから来たのか。
来たときと同じように、消えてしまうんじゃないか。
この触れている体は幻なんじゃないのか。
 
(こんなに温かいのに)
 
「慶喜さん?」
「ふぅ」
 
つい感傷的になってしまった。
○○が俺の腕に触れながら顔を覗き込んでいた。
 
「そんなに雪花模様が好きかい?」
「……そうですね?」
 
○○は俺を心配そうにうわの空で答える。
俺は気持ちを切り替えるように笑ってから、目を細めて姿を重ねながら○○を見つめた。

「雪華模様の着物…もいい。が、おまえにはもう少し華やかな柄が似合うだろうね。そうだ、華やかな着物にも合うような雪華の帯がいい。黒い地には深紫を織り込んで、銀糸。それか刺繍もいいだろうね」
 
顎の下に頭を置くように抱き込んで、温もりをかみしめる。
 
「この旅から帰ったらさ、そんな帯を贈らせて」
 
吐息混じりに囁く願いに、最後に付け足したのは、俺の独占欲。
 
「似合いの簪も一緒に買いに行こう」
 



初雪4(B)につづく