艶が 関係者ありません!

明治東京恋伽。
春草さん。


鴎外さんのお行儀悪いのは目をつぶってくださいね。

✳✳✳


住宅街に佇む目立った洋風建築の重厚な扉を開いて中に入る。
俺は、今この森鴎外邸に居候している。
ここの主人、鴎外さんに半ば強引に押し切られたのでそういうことになっているのだが。

『春草』
『なぁ。春草』
『素晴らしい出来ではないか、春草』
『おはよう、春草』

顔を合わせるとやたらと俺に構ってくる鴎外さんの存在は、最初どう対応していいものかわからなかった。
だけど、鴎外さんは仕事も、執筆業もその他にも多忙を極める。
四六時中その状態ではなかったし、かまわれることにも、しばらくすれば慣れた。

自由に絵を描く場所があり、眺めのいい庭もあり、三食にも不自由しない。画壇からも評価されない俺の絵を気に入ってくれていることも、過ぎた居候先である。

ただ、天才の名を欲しいままにする彼の考えるところ、彼の人となりを理解したとは未だに言えない。

「おかえりなさい、春草さん」

リビングの扉を開けると、少女の声が俺を出迎えた。
暖かい暖色の照明の中で芽衣が椅子から立ち上がる。

「ただいま」

言葉少なに返事を返す。

最近、鴎外さんはこの身元不明の胡散臭い少女を拾った。
いつも迎えてくれる彼女は今日はいつに増して嬉しそうな顔をしている。

彼女、芽衣は記憶喪失で帰るところも自分が何者かもわからないという。
嘘をついているようには見えないから、それは同情の余地があるとは思う。

(そのわりに悲壮感とかなさすぎるけどさ…)

ただ、鴎外さんも、何も同情だけで芽衣を拾ったわけじゃないとは思う。
そんなことをしていては、この家はとっくに満室になっているだろう。

俺を居候させた強引さ、そういえば芽衣を拾ってきたときも中々に有無を言わせなかったと俺はあの夜のことを思い出す。
何かが、鴎外さんの琴線に引っかかったことは間違いない。

決まった時間に所構わず行水をするだとか、饅頭茶漬けという俺には理解し難い食べ物を愛してやまないだとか、芽衣への鴎外さんの甘やかしか方。
鴎外さんの考える本当のところまではわからないが、特別な執着を感じる。

彼女は、鴎外さんが優しいから自分を拾ってくれたと思っているようだが、それで見ず知らず初対面の男の家に居候になることを決めた芽衣は図々しい娘だとも思ったりした。

なんだか、そんなことを考えていたら胸もとがモヤモヤしてきた。

目の前の彼女は「今夜の晩御飯は鴎外さんが買ってきてくれた特別な牛肉なんです」なんて大きな瞳をキラキラさせている。

(それでこの表情なのか…)

最初の頃、俺の前で萎縮していた芽衣はいつのまにか、俺が学校から帰ってくると俺の周りにまとわりつくようになっていた。

(子犬みたいだ)

「そう」

(なんだろう、このイライラは)
(そんなことで、こんなに嬉しそうに…)

別に、鴎外さんが決めたことだ。
居候の俺がとやかくいうことじゃない。

ただ…煩いな。と思う。
静かだった俺の生活は、なんだか騒がしくて。
目の前に広がる景色までが騒がしくなった…芽衣に侵食されていってる。
かき乱されている。

話半分に芽衣の相手をしているとすぐに夕食ができたと呼ばれてダイニングテーブルについた。
目の前には、芽衣が嬉々として語っていた鉄板の上で熱々に焼かれるビフテキとフォークとナイフが並ぶ。
テーブルには他に、野菜の煮物などの一般的な夕食のメニューも並べられている。
ただ、芽衣の前に置かれたのビフテキに添えられないナイフとフォーク。

「………おうがいさんんんっ」

そのナイフとフォークは鴎外さんの手の中に握られてる。
芽衣が悲しそうに眉を下げて涙目なのはそのせいだ。

「ほら、言ってごらん?」

好物を前に、お預け状態にされている。
ますます、子犬のようだと思う。
垂れ下がった耳が見えるようだ。

(何をやっているんだか………)

目の前で繰り広げられる光景に辟易として早々に切り上げようかと思う。
こんな状況の食卓、耐えられなくて当然だろう。
なのに、どうしてかここを立ち去りがたい。
鴎外さんと芽衣の二人の姿を見ていると、立ち去ってはいけないと足が止まる。

(なんだって………)

静かに怒りがフツフツわいてくる。

「………美味しいご飯をありがとうございます」
「うむ。その上目に見上げる顔は新しい発見だ、だがおしい…ほら?子リスちゃん?」
「………」
「ご主人様は?」
「………………………ごしゅじんさま………………」


鴎外さんに切り分けた肉を刺したフォークをちらつかされて、とうとう観念したらしい。
これで茶番は終わったかと心のなかでホッと一息ついた瞬間だった。

「………………………つ。うわぁ、おいしいぃい」

(はっ?!)

鴎外さんに従った芽衣はそのまま目の前のフォークにかじりついて、蕩けそうな顔をしている。

「ふふつ」

満足げに楽しそうに微笑んだ鴎外さんは、呆然とする俺の前でその様子に味をしめたようで二切れ目を切り分けた。
再び、芽衣の前に餌が差し出される。

「じゃあ、次はだね」
「えーーー。鴎外さんひどい。最初の約束だと、一回言ったらフォークかえしてくれるって言ってたのに…」

またもや、芽衣の表情が泣きそうなものにかわる。

「ふふふふ。かわいいおまえが悪いのだよ………さぁ、子リスちゃん。次は、そうだなあ『愛してる、鴎外さん』なんてのはどうだろう?」
「!?」
(!?)

芽衣と俺は同時に椅子から飛び上がりそうになった。

「子リスちゃん。おまえはさっき食べたビフテキの味に逆らえまい!さぁ、言いたまえ。言うのだよ?」
「うぅ………」

思考停止した俺の前で、芽衣は赤い唇を震わせている。

(この娘、言う気!?)

「おうがいさ……………………………………わふっ!?」
「春草?!」

俺は、無意識に自分の持っていたフォークを芽衣の口に放り込んでいた。
鴎外さんの焦った声が聞こえる中、

「おいしーーーー」

芽衣が無邪気に幸せそうな顔で俺を見上げてくる。
クリムゾンを溶かしたような頰の色が鮮やかに目に写る。

(………何その顔)

「君が来てから、夕飯が肉ばっかり。俺には重すぎるから、君、責任もって全部食べなよ」
「ふぁい〜」

俺は、どんどん肉を切り分けて芽衣の口に運ぶ。
その度、彼女は幸せそうに口を開ける。

「はっ。春草…ずるいではないか!」

我に返った鴎外さんも、肉を切り分け芽衣の口に運び始めた。





まったくひどい有様の夕食を終え、俺は部屋に戻って頭をかかえる。
胸がつかえて、夕食はほとんどノドをとおらなかった。

「まったく…だから嫌なんだ……………なんだって、君に俺の心をかき乱されされなくちゃいけなんだよ。煩わしいったらない」


苦悩した声は掠れて、暗い夜の部屋に染みついていく。



✳✳✳

春草さん何歳なのかな~
当時の学生さんの年齢調べたらわかるんだろうけど。調べてません。

若さがまぶしい。。。