生まれ育った家庭環境が複雑で、

自分よりも家族の気持ちを優先してきた。



基本的に家族の中の調整役で

家族の仲が壊れないように

うまく回るように

ずっと気を張って生活してきた。



子供ながらに

母と祖母のメンタルケアを

一生懸命やっていた気がする。



そうして私はずっと

家族を助ける役をやってきた。



その癖が夫と結婚してからも

子供が生まれてからも

抜けきれなくて



今度は夫と子供のことで

頭を悩ませる日々がやってきた。



家族は私にとって大切な存在で

だからこそ、

誰かが悲しんだり悩んだりしていると

自分までつらくなってしまう。



どうにかして元気にしたい

どうにかして悩みを解決したい



そう思ってしまって

私ができることをあれこれ考えて

どうにか相手を助けようとしてしまう。



でもそれが、自分を余計に苦しめていた。



ここ最近でやっとわかったこと

痛感したことは



他人のことは助けられないということ!



夫のことを助けようとしていたけれど

他人のことは助けられないのだ。



私は色んな人に助けられてきたけれど

それは助かりたいという

意思が自分にハッキリとあったから。



きっと夫は

自分で立ち上がりたい

人の手は借りずに

自分で解決したい人なんだと思う。



だから、そんな考えの人に

いくら助けるよ!助けたい!と

思って行動しても



相手はその手を取ってはくれない。



そのことが悲しくて

絶望感があったのだけど



そもそも

人から助けられたいと思った人が

人から助けられる経験をする。



助けたいと思っている人のまえには

助けられたい人が現れる。



そんなことに気付いて


あぁ、私はまた人を助けようとしてた!

でもそもそも

人のことは助けられない!



でもそれでいいんだ。



ということに何度も辿り着く。



私が問題を見てしまうと

問題が拡大していく。



助けたいと思えば思うほど

助けたくなるような状況になる。



本来、何も問題なんてない。



人はみんな生きたいように

生きているだけなのだから



本来はみんな幸せなはずなんだ。



私も家族のことが大切で

家族について悩みたかったから

悩んでいただけ。



悩むことが

相手を大切に思っていることのように

勘違いしていただけキョロキョロ



他人のことは変えられないし

助けられもしないけれど



そもそもそうする必要はなくて

自分がまず満たされていて

しあわせな状態でいればいいだけ。



自分の悩みを

家族の悩みで被せて

自分の悩みを

見ないようにしていたのかも。



自分ができることは

自分が楽しく毎日過ごすこと。



大切な家族のことは

悩んだり心配したりせずに

ただそばに居て寄り添うだけで十分。



相手のことは

心配するのではなくて

相手には何も問題はない

大丈夫だと思って過ごすこと。



それが必要だったんだなーと

痛感している日々。



もう家族の問題は見ない

というか、そもそも問題はない!

という意識で生きる



もう家族を助ける役を

するのはやめる!



問題として捉えている自分がいるだけで

それは問題ではなく

単にそうであるだけ。



それが分かると

とても楽になるーーよだれスター