こんにちは。
株式会社フレイバ・プロジェクツの髙木です。
GW明けから雨風の多い週となってまして、テンション下がり気味です。
さて、タイトルにもあります『車両と歩行者』、
前々から感じている事なのですが、日本社会を表していると思いませんか??
突然何を言っているの?って感じですが、
唐突にいうと、弱者の住みにくい社会という事です。
(無論レベル感ございます。主観ですのでご容赦を)
本来、人が人としてハッピーに生き続ける事を望み
経済が発展してきたと思っています。
そんな中での想定外なのは理解しているものの、弱者に立ち返る配慮を失った
日本社会をとても残念に思っている一人です。
要は危険だからという理由だけで車両を優先せざるを得ない、
人が妥協せざるを得ない、そんな環境ができてしまっているという事です。
これは日本社会の縮図を表していて、会社というほんの小さな枠組み、
ほんの小さなルール内で力を持ってしまった人達が、正否関わらず道筋を決めてしまう、
あるいは、要は俗にいうパワハラですね。そんな事が日常茶飯事起こってしまっている。
そんな意味合いです。
話は少し反れますが、一方ベトナムでは、バイクひしめく交通渋滞が有名ですが、
実は日本の道路よりもよっぽど渡りやすい。
なぜかというと、首都圏はある程度の低速度でまとまって走る事が常識になっており、
その中で人が抜け穴のように横断する事などが想定内なのです。
信号のない場所では、待っていても途絶える事が無いので横断する事はできません。
しかし人のペースで横断を開始してみましょう。人の流れに合わせて各ドライバーが
速度を調整し、渡り切れてしまう現象がそこにはあります。
(ベトナムといっても、共産主義の話はひとまず置いています)
話は戻りますが、権力=偉い。こうなっていませんか。むしろ逆でなくてはなりませんよね。
高見の見物精神でのマネジメントでは、どんどん不幸な世の中にしかならないですよ。
だってそこには利権が存在するんですもの。そこに寄りかかった自分本位のマネジメントなんて、
弱者のための何物でもありません。
たとえば、SNSで著名人との交友録をアップしてみたり、ある上層レイヤーの人たちで
お互いに褒め合ってみたりとか、阿保過ぎませんか?!!
それが何を生む?当事者たちの自己満です。それだけでは世の中ハッピーにはなりませんよね。
そんな力があるのになんで、そこまでして自分を誇示し続けようとするのでしょうか。
その時間を弱者側へ向けてみてもらえたら、どんなに救われる方がいる事でしょう。。
もちろん私もそんな憧れで、特に仲もよくないそういう方々を利用させてもらったりした事もありました。
でも結局、何も生まれませんでした。
少し内容が異なるもののこれに通じる事ですが、暴力には罰則があり、暴言は特にお咎めなし、
全く理解に苦しみます。
これは感覚値ですが、暴力により傷とは質が違いますが、暴言によるメンタル疲弊は
時には人としての本質を蝕みます。
相手の酷い暴言をきっかけに暴力に走ってしまう。どちらも悪いですが、実際はどちらが悪いのですか?
今の社会では、後者のみが検挙される。即ち良くないきっかけに過ぎないという評価軸が間違っています。
暴言を受け人生棒に振る人だって星の数ほどいます。
僕はとっても感受性の高い人間でして、もともと周囲を気にしすぎるあまり気を使いすぎ、
それが仇となって軽いいじめにもあってきました。それは主に、暴力でなくて暴言です。
それがトラウマで、現在も疎外感を持ち続ける人生を送っています。
それは弱い自分も悪いですが、そんな弱者に歩み寄る世の中であれば、そもそもそんな不幸は起こり得ない。
実際には、弱さは本質ではなく、その背景にある優しさの表れだと思っています。
そんなかけがえのない人達を強者で支え、そのポテンシャルでハッピーな世の中にしていきたいのです。
123億円の絵を買って美術展を開くのも大いに結構、それでハッピーになっている人もいると思いますが、
土台を引き上げたい想いがあります。不運にも明日生きるのも苦労されている方も多いと思うんです。
なんか、、精神的にへんな人みたいな感じになってしまってるのですが、決してそうではなく、
やはり心の奥底に秘めている想いを言語化していかなくては、何も伝わらないし生きてる意味が
薄らいでしまうと思ったんで、忌憚のない想いを吐露する場としています。