偶然という名の奇跡5
その4
「はふー。ご馳走様でした。おいしかったです」
「そりゃどうも」
それからものの十分ほどで食事を終えた岩崎は、満足そうにベッドに寝転んだ。
「食ったあとすぐに寝るな」
「いや、落ち着いてしまって。ようやくここにも慣れてきましたし」
そういえばさっきもそんなこと言っていたな。
「もう何度もうちには来ているだろう。慣れるも何もないと思うが」
確か、寝室にも入ったことがあったはずだ。俺が拒絶しているにもかかわらずな。
「いえ、確かにこの家にはずいぶんお世話になっているのですが、」
ここで言葉をつまらせた岩崎は、若干迷っているように見える。気のせいか、熱が高かったとき並に顔が赤い。
「何だ?」
「あ、あの、匂いが」
「におい?」
確かにスウェットのほうはずいぶん前に洗濯したきりでタンスの肥やしになっていたので、防虫剤の匂いがしっかりついてしまっているかもしれない。だが、そんなに気になるようなものではなかったはずだ。
「何の匂いだ?」
「そ、その・・・。成瀬さんの・・・」
俺の匂いだと?それはスウェットではなく布団のほうか。うーん、考えが及ばなかったね。確かにここんとこ天候に恵まれなかったから、洗濯も乾燥も出来ていない。俺の匂いとしっかり解るほど臭うのか。いや、こいつに関して俺は悪くないはずだ。うちには来客用の布団などないし、寝かせるといったらこいつしかない。だいたい、アポなしでやってきたお前にベッドを貸している優しい俺が、体臭のことでとやかく言われねばいかんのだ!
「あ、別に嫌と言っているわけでも、臭いと言っているわけでもありませんよ!」
言い訳を聞こうじゃないか。
「こうして、成瀬さんのスウェットを着て、成瀬さんのベッドで成瀬さんの布団に包まれていると、成瀬さんの匂いが私の周りに充満していて・・・」
意味が解らない。結局何が言いたいんだ?
「だ、だから何となく、な、成瀬さんと一緒にベッドインしているような気がして・・・」
俺は岩崎の頭を叩いた。
「な、何するんですか!女の子に!」
「やかましい!何が女の子だ。変な妄想もいい加減にしろ。それと、あんたの妄想に俺を巻き込むな。何が一緒にベッドインだ。高熱が出て頭に気味の悪い虫でも湧いたか?」
「わ、私だって本気でそんなこと思っていたわけじゃないですよ!ただ、そんな感じがすると、あくまで感覚を言葉で表現しただけで、だから、私は落ち着かないって・・・」
何を言い出すかと思えば、呆れるしかなかった。何というか、悪寒がする。寒気がして、鳥肌が立ったね。むしろ頭に来たくらいだ。そこであること思い出す。
「まあ、それは置いておいて。とりあえず元気になったようだな」
「はい。おかげ様で」
俺は岩崎が口を閉じる前に、もう一度頭を叩いた。
「な、何ですか!もう変なこと考えていませんよ!私はお礼を言っただけで」
「このバカ野郎」
何か言い途中だったようだったが、岩崎の口は開いただけにとどまり、言葉は出てこなかった。
「何考えてやがる。学校を休むほどの高熱出したやつが、雨の中外をうろうろするな」
「・・・・・・・・・」
「しかも雨の中、一時間もあんなところで寝てやがって、肺炎にでもなったらどうするんだ。今でも肺炎は怖い病気なんだぞ」
「すみません・・・」
「たかが風邪だって見くびっていると、痛い目見るぞ。今日は俺がたまたま早く帰ってきたからよかったものの、麻生あたりとどっかうろうろしていたら三十九度じゃすまなかったかもしれないんだぞ」
「・・・・・・・・・」
俺に説教されるなんて、一体どれだけこいつは間抜けなんだ。まだ何か言ってやろうかと思ったが、本当に申し訳なさそうにこうべをたれる岩崎を見て、開いた口からはため息しか出てこなかった。
「とにかく、こんな無茶は二度としないでくれ。俺に迷惑をかけたくないんだったらな」
「はい、すみません・・・」
今日岩崎がやった行為がどれほど危険だったか、一番理解しているのは岩崎自身だろう。だからこれ以上言うのは止めておく。というのは建前で、今の岩崎を見ていると、これ以上言いたくなかった。
岩崎は泣いていた。俺の説教が怖かったからではないだろう。おそらく俺の言葉が岩崎の何かに届いたのではないだろうか。
俺はもう一度ため息をつくと、岩崎にタオルと携帯電話を渡した。
「真嶋に連絡入れてやれ。そういえばお見舞いに行くとか言っていたから、かなり心配しているだろう」
「そ、それを先に言って下さい・・・」
しばらくしゃくりあげていて涙を流していた岩崎だったが、しっかりとした口調で真嶋と謝っていた。