偶然という名の奇跡 | orchestral chronicle

偶然という名の奇跡

その1 


担任の話では風邪らしい。朝のホームルームでそう言っていた。何でも本人から直々に連絡があったらしい。今時欠席の連絡をするやつがいるのか。今更ながら律儀なやつである。真面目が服を着ているみたいなやつだからな。仮に真面目が物理的なものとして存在していたとして、そいつに口をつけて足を付けたら、それはもう岩崎である。それが、俺の岩崎に対する印象である。悪いやつではないのだが、俺は岩崎ほど真面目じゃないので、いろいろと付き合わされると正直つらい。

 

仮病なんてことはないだろう。嘘をついてまで学校を休むとは思えないからな。むしろ逆によほどの高熱が出ているのだと思う。そうでなければ岩崎が欠席なんてするわけがない。今年の風邪はそれほど性質が悪いのか。俺も気をつけなければならないかもしれない。

 それにしても。

「・・・・・・・・・」

何とも静かだな。何度も言うが、俺はあまり仲のいい友人がいない。十年来の腐れ縁、麻生は別のクラスだ。つまり岩崎がいないと、俺の日常はこんなにも静かで穏やかなのだ。一年ほど前まではこれが本当に日常だったのだが、ここ最近は、これほど静かな日はほとんどない。何となく懐かしい気がするのは気のせいじゃないだろう。俺は満喫することにする。岩崎が風邪で欠席することなど、そうあることじゃない。現に、高校に入ってから初めてのことである。もちろんTCCは休業だ。久しぶりに早く帰ることができる。帰ってからやることを前倒しに出来るから、今日は早く寝ることができるだろう。

「・・・・・・」

 しかし、何だ、この違和感。胸の中にあるもやもや感は。気持ち悪いな。

「岩崎さん、大丈夫かな?」

 ふと、隣の席の住人真嶋綾香が呟く。その呟きはおそらく俺に向けてのものだろう。

「大丈夫だろ」

 根拠はないが、風邪程度に岩崎がやられるとは到底考えられない。寝込んでいる姿も想像できない。

「でも岩崎さんが欠席するなんて・・・。風邪、相当悪いんじゃないかな・・・。心配だなあ」

 何やら深刻そうに呟き、目を伏せる真嶋。こいつもつくづく真面目である。

「ねえ、成瀬も心配でしょ?」

 心配なんてするわけない。と、すぐに返事することができなかった。なぜ?もしかしたら、この胸の違和感。俺は岩崎を心配しているのか?

「心配、ねえ」

 口に出してみる。が、よく解らなかった。

「お見舞いとか行こうかな」

 真嶋が若干暴走し始めたところで、俺は思考を停止した。考えても解らないものは解らないのだ。こういうことは時間が解決してくれるはずだ。

「止めておけ。移されるぞ」

「あんた、本当に薄情者だね。いつも岩崎さんにお世話になってるでしょ?」

「迷惑をかけられている、の間違いだ」

「岩崎さんじゃなくて、あんたが病気になればよかったのに。岩崎さんに移されればいいのよ。そうすれば岩崎さんの病気も治るかもしれないしね」

「お断りだ」

 

あいつがかかった病気など、得体が知れない。何といってもあの岩崎を行動不能に追い込んだウイルスだ。俺が感染したら生死に関わるかもしれない。

 

と、ここで俺の危険探知能力が覚醒する。嫌な予感がする。現在俺の嫌な予感は、天上知らずな勢いで的中しまくっている。ノストラダムスなんて目じゃない。今となっては天気予報よりは確実に上であると断言できる。嬉しくないが、どうやらまたしても俺に悲劇が待っているようだ。今度は何だ?せめて三時間半の超巨編でないことを祈るぜ。


・・・・・・・・・・・・・・・・

「そうか、岩崎が風邪を」 

昼休み、俺は麻生のクラスに赴き、岩崎の欠席を伝えた。

「ま、当然だと思うが、今日のTCCは休業だ。俺も帰るつもりだから、放課後何か予定入れていいぞ」

 まあ放課後にでも伝えればよかったわけなのだが、情報の伝達はできるだけ早いほうがいい。そんなに手間というわけではないのだから、昼休みに来てやったのだ。

「それはいいんだが、俺は委員会の仕事があるんだよ」

 そういえばこいつは図書委員会に所属していたな。似合いもしないのに。まあ、女子と仲良くなれるかも、などという不純な動機でうかつに委員会などに入ってしまったことを嘆くんだな。言うまでもないが、俺は無所属である。俺がやらなくてもいいことを、率先してやるほど俺はできた人間でも偽善者でもない。

 昼休みなこともあって、麻生のクラスの連中は弁当を広げて食事の真っ最中というやつが多い。俺は麻生を廊下に呼び出したわけだが、ふと教室内を覗くと、一人の女子生徒と目が合う。そいつは図書委員会での麻生の相方であり、今年度の始めに一悶着あったときの関係者である。目が合ってしまったし一応挨拶らしきことをしておこうかな、といった感じで右手を軽く挙げ、適当に手を振ってくるそいつは、そっけない感じではあるが、始めたしゃべったときより格段にフレンドリーな対応をしてくれている。俺は苦笑いを返すだけにとどめておく。

「とにかく、そういうことだから」

 俺は無理矢理まとめにかかった。何となくこれ以上ここにいると話しかけられそうな気がしたからだ。

「了解。しかし岩崎が風邪ねえ」

 俺の気持ちを無視して(もちろん口には出していない)、麻生は呟いた。何だ、その意味

深なセリフは。

「ちょっと心配だよな。見舞いにでも行くか?」

「遠慮する」

 真嶋がそんなことを言っていたから、二人で行ってきたらどうだ?しかし、いくら岩崎とはいえ、風邪程度で大袈裟ではないだろうか。現在自宅療養しているのだ、すぐに治るだろうよ。無理して出てきているのなら話しは別だが、殊勝なことに欠席しているんだから平気だろ。そう、無理してなければな。

 授業が進み、俺の静かな日常が終わりに近づいてきたそのころ、文字通り暗雲が立ち込めてきた。今にも雨が降ってきそうな黒雲が、学校の真上を覆っている。嫌な天気だ。

「成瀬」

 突然声をかけられて、俺は窓の外から視線を移す。いつの間にやら始まっていたホームルームの最中、声をかけてきたのは真嶋だった。

「何だ?」

「さっき岩崎さんにメールを送ってみたんだけど、返事がないの」

「眠っているだけじゃないのか?」

「そうかもしれないけど、あたしやっぱり気になるんだ」

 こいつがこんなにも世話好きだったとは知らなかったね。岩崎が伝染したんじゃないか?

「だからあたし、お見舞いに行ってくる。成瀬も行かない?」

 どいつもこいつもそんなに岩崎が気になるのか?ご苦労なことだ。

「俺は遠慮する」


 俺の言葉に対して、真嶋は、


「そう・・・」

 と一言口にすると、それ以上何も言ってこなかった。

「お大事にと伝えておいてくれ」

 真嶋と話をしている間にホームルームは終わり、放課後となった。真嶋や三原・戸塚を始めとするクラスメートたちと適当に挨拶を交わし、教室を出て下駄箱に向かうと、そこから見る風景は雨模様だった。とうとう降ってきてしまったか。雲の様子や雨の強さから考えると、とてもじゃないがしばらく止みそうもない。仕方ない。雨宿りという選択肢は切り捨て、帰るとするか。雨の中歩くのは好きではないのだが。

 俺はかばんから折り畳み傘を取り出すと、自宅へ向かって歩き始めた。

 そこで俺の頭の中を嫌な予感が通り抜ける。またかよ、一体何だって言うんだ。何かを警告してくれるのはありがたいのだが、詳細を教えてくれないと、何の対策も解決策も思い浮かばないんだが。無闇に怯えさせるのは親切とは言えないぜ。

 一旦足を止めそうになったのだが、ここにいたって仕方がない。俺はため息をつきつつ、一路、家に向かって歩くのだった。

 ここで一つ解ったのは、どうやら嫌な予感の原因は学校ではなく、家のほうにあるみたいだ。珍しいパターンだな。どうでもいいが、あくまでも家のほうであって家自体に原因がないことを祈る。家に現在の俺の恐怖の対象があるならば逃げることができないからな。

しかし、俺の直感は当たるのだが、役に立っているのか、いまいち不明だな。

役に立っているのか不明なのは、俺の頭の上にある折り畳み傘も同様だ。持ち運びに便利とはいえ、何だってこんなに小さいのだ。これでは下半身はおろか、上半身すら守れていないではないか。すでに俺の制服のスラックスは雨が浸みてきていて、内側の生地が足にまとわりついてきている。気持ち悪いったらない。これだから雨は嫌いなのだ。折りたたみは小さいし、かと言って普通の傘を持っていくのは面倒だ。結局一日を通して雨が降らなかったことを考えると、何となく持っていくのを躊躇われるし、すっかり晴れてしまっているのに傘を持っている自分を想像するとちょっとした恐怖である。この辺りでようやく考え始める。今日は厄日なのではないか、と。