笑われてしまうかもしれないけれど、、、 | あずきのブログ

あずきのブログ

2020.09 自分の内面に向き合う丁寧な生活を。
2020.5.6
「自分を大切にすること・自分らしく生きること」

日々のこと、気づいたこと、つぶやきたいことを気ままに

2019.8.15
自分と向き合うために、ブログを活用中
「私を生きる」が、最近のテーマです。

きっと

人は

本来

光で溢れた存在で、

愛のかけらでできているのだと

思う。


そうは思いつつも、

はたして、

自分のどこに

光があるんだろう?

光なんて

もってるのか?

なんて

思ってしまうのは

私だけじゃないかもしれない。



今日、ふっと

頭をよぎったことがあって、

自分が光の存在だって、

愛のかけらなんだって、

自分で思えなかったとしても、

何かに感動したり、

心動かされたり、

きゅんとなったり、

美しいなぁとただただ思えたり、

理屈抜きに

心動く瞬間って

あるじゃないですか。

それって、

自分が光の存在であり、

愛のかけらだからこそ、

感じれることなんじゃないかなって。

そうなふうに思えたんです。

いろんなことに

反応できるのは、

つまり、

じぶんの中にも

その要素があるからじゃないかなって。


そう思えたら、

自分で何か生み出したり、

人を感動させたり、

すごいことしなくたって、

じつは、すでに光なんだって

思えてきませんか?



なんか、こういう風に

自分で思えたことって

なかったので、

ちょっと自分でもびっくりしてるんですけど、

ちょっと気がラクになりました。

実は、とっくに

ずっと前から

光だったんだって。




追記

実はこんなことを

考えたきっかけが

ありまして。


わたし、原田マハさんの

作品好きで、

時々読むんですが、

次の日が休みとか、

予定がない日でないと

読めなくて、

というのも、

彼女の作品を読んで

涙しないことがほぼないため、

夜に本を読んで、涙して寝た

次の日には、

顔はとんでもないことに

なってるんですね。

なんとか泣かずに読めたらいいのだけど、

作品が良すぎて、

感動してしまうことほぼ毎回。

それんなことを

考えていたときに、

先ほどの

光の存在の話と

つながったのです。

泣いてしまう=反応できる

ってことは、

じぶんの中にも、

そのストーリーを理解したり、

心情に、共感できる心が

あるからだって。


だから、

泣いてしまうのも

悪いことじゃないって

思えました。


極力、これからも、

休日前に

原田マハさんの作品に

触れたいと思います。