前回、取り上げさせてもらった 書籍『人生を狂わす名著50』に
狂う をテーマに
正直、これ読んだら
人生狂っちゃうよね」
と思う名著を選んでみた。
とあるように
人生を変えてしまうほどの力があるのが本。
人生狂う→人生のコースを変えてしまう、くらいに捉えてみよう
だとしたら、本ほどスリリングなものはない、ということになります。
考え方の軌道修正は程度に差はあるものの日常のどこかで行われます。ですが名著によるインパクトはどれほどのものか?
(例として、ある本を読みお酒を一切飲まなくなったという人の話を聞いたことがあります)
※
衝撃を受ける、という体験数を人生に増やす。
※
それにしても「狂う」には魅力があるようです。
(かくいう私もこの語に惹かれ書籍を購入した)
なぜ狂う。どう狂う。誰が狂う。どこで狂う。何に狂う。何が狂わす。何が狂っている。どちらが狂っている。→結局こうゆうことを期待しながら物語(作品)を読んでいるはず。
狂うとか常軌を外れるとか→世の作品群を見渡せば一目瞭然。実は狂うは大人気。
ただやけっぱちになってやっただけでは行為も結果も文学にならないでしょう。文学において「狂う」は手段になっているので、「ふつう」を問いなおすという目的がないと成り立たない。
そう、文学とは「ふつう」を問い直す学問かと思います →ふつうを問い直し、考え改めることが一番、人生のコースを変える。そういうことかと。
※
奇異を衒うものはおもしろいし、常軌を逸する表現も息を呑む。そういうものはマンガの特徴ですが、文学(や哲学)に近づけるには目的だけでなく手段にならないと成立しない気がします。
でもそれって一体どういうことなんだろう?
それは知らぬうち何か今ある規範から飛び出す。こういうことだろうか。
これにより、自分中で新秩序を生み出そうとしている?
まぁ、そんなものなのかなと。
なんにしても思想が行動を変えるほどになっていたらすごい思想です。
また人は何歳まで狂いたいと願うのだろうか。
いくつになっても狂うに快楽や解放を求めてしまう。
死ぬまで狂いたいと心のどこかで思うものか。
もっとも自由なものを狂っているとする/思ってしまう?
あらゆる想像を超えていったものを狂うとさえ?
(桜の季節になるとわたしなど少し狂った気がしてしまう)
これらは美意識や自由への憧憬に関係しているかもしれない。
そうなると当然、芸術にも関連してくるのでしょう。
文学は嘘(フィクション)のようで実は本当のこと(真理)が書かれている、と言います。嘘が書かれているわけではなく、(少なくとも作者の考える)伝えたい本当の本当のことを物語形式で書いている。
歌だって一種の秩序ある狂いじゃないかと。
ダンスだって一種の秩序ある狂いじゃないかと。
文学だって一種の秩序ある狂いじゃないかと。そう言える。
文章を書くという行為は理性のなせる業なので狂気を描いているのは理性ということになる。(文章である以上秩序あるものである)
それらは狂うまで取り入れてしまったかっこよさ。
そんなものに人は憧れてしまう。
あゝ!狂う学問なんて文学以外にないだろう。
狂うを手段にする学問なんて文学以外ないだろう!
(おわり)