(様々な自信の種類 続き)

 

 

  ※

 

 

 好きな気持ちは間違いないという自信

 

  (好きのサイン)

  ・つい感情的に肯定したり、応援したりする。

  ・好きなものをディスられると傷つく。

  ・恋をする。

 

 主観的な確信から起こる自信

 本能的なものを理由に支えられている

 

 反面、気持ちが冷めれば、自信も揺らぐ。

 (同じ感情は続きにくいのも事実)

 

 ある意味 →当てにならない自信?

 

 

 

    ※

 

 

 人間関係と自信の関係

 

 信頼は、自分一人では築けない。

 信頼の自信は、相手があってのもの。

 

 人間関係を結ぶのが上手な人。

 取り持つのが上手い人。

 →こういう自信もあると思う。

 

 お互いが深く信頼し合える友だち。

 信頼はお金で買えない。友だちもお金で買えない。

 

 友達がいるだけで自信になる。自信を通り越した安心(信?)を得る…

 

 

 友達とは言えないけれど、なんらかの利害関係で結ばれる信用関係。

 こういうものを構築するのが上手な人もいる。

 (ビジネスマン・政治家等…)

 

 そんな人は人間関係から得られる利益の大きさをよく知っているんだろう…

 

 

 

友だちをつくることが得意で自信がある、なんて人はなかなか聞かないけど。

人間関係の健全さは幸福につながっている。

 

コミュニケーション向上に関する指南書が毎月のように出版されているのは、それだけ世の中に上手な人間関係の持ち方を求めている人が多い証拠と言える。

 (本を書くくらいの人は自信があるから書くのだろうし)

 

 

 

   ※

 

筋トレすると自信になる。

日々の運動により自意識が変わってゆく。

 

 筋肉と自信の関係

 体力と自信の関係

 

筋トレするだけで何割かでも自信がつくのなら、やる価値は十分ある。

(ナルシストになるリスクがある。→またナルシストという歪な自信も存在するということが言える。エゴと自信は紙一重なのだろう。)

 

心と体は相関関係にあることから心の作用である自信も付随して生まれる。

 

 

 

 

   ※

 

 

生理的な確信から起こる自信

これらは自分が何者かに応えるときの確証(のひとつ)に役立つ。

 

 ・生理的に好き。フェチ。

 ・それがどこからくるのかわからないが、なぜかそれをわたしは好き。→自分の(個性の)認識

 

 

 ただし…

 

 ・子供の頃、嫌いだった食べ物が好きになった。

  (感覚由来の自信は 体質の変化で変わることもある)

 ・好きな異性のタイプが年齢により変わる。

 ・リベラル思考から保守思考に変節する。

 

など生理的な確信だからといって一生同じとは限らない。

 

 

 

    ※

 

生まれながらに持っている絶対感覚と自信

 

 ・手先が器用な人

 ・勘のよい人

 ・絶対音感のある人。音楽の才能がある人(90%以上遺伝らしい)

 ・オリエンテーション(方向感覚)が優れた人

 

など、動物的な感性に秀でた人は、なんだかんだいって強い。

 

 

 

   ※

 

 

”手ごたえ”から自信になる?

 

自信の前に”手ごたえ”がある。

そこから、”できる”という確証に近づいていく。

まずは”手ごたえ”から。
 

 


 

 

   ※

 

 

ここまでの内容の一部を概要すれば、…

 

自信は感覚として身についているかどうかで判断する方が信用度が高く不変的か。

 

感情とか気持ちは、所詮、気分の領域のもので安定的な意味で信用できない。

 

確かな実力の定着を欲する意味で。

 

しかし、当然反論もあるかと思う。

 

心や精神面にはとてつもないエネルギーを生み出すポジティブな面があるので。

 

気持ちが入らないと始まっていかないことはある。

 

 

 

 

 (さいごに)

 

 

これまで書いてきたことの他に言えることはまだ多くあるかと思います。

 

しかし、すでに長々と続けてきたのでいい加減ここらでまとめます。

 

結局、ここまで書いてきて言えることは…

 

 「自信」という一言で表せる自信はない、ということになります。

 

(以前読んだ本(マルクス・ガブリエルさん)の「心というたった一つの言葉で表せる心はない」の構文を借りたんですけどね)

 

なので、あまり「自信」というでっかく曖昧な概念に振り回されない方がよい、という持論に至りました。

 

 

 

  (理由として)

 

 ・概念とは集合的で曖昧なものだから。(「自信」という大きな像を心に描いてしまう)

 ・そして人は曖昧なものを強く求める傾向がある。其れゆえに妄信しやすい。

  それを妄信したら、現実と齟齬を起こすことになる。→結果、起こるべく失敗を防げない。

 ・また誇大妄想・過大評価しすぎて、よけい自信を無くす。(ないものをなくすというのも変ですが)

  実体のない「自信」像に負けてしまっては何も始まっていきません。

 

 

できるなら自信などという言葉は使わない方がよいのかもしれない…

 

使うとしたら、ある部門(ジャンル)についてのみの自信。あるジャンルの枠内で扱う。

人全体の意味で使うと惑わされる。

 

 

自信は、日々の物事に対する体験や一つ一つの実技によってつくられると考えた方がよい。

 

 ・昨日よりうまくできることが増えた。

 ・つくれる料理のレパトリーが増えた。

 ・あるシステムの仕組みを理解できるようになった。

 ・緊張はあったもののなんとかスピーチすることができた。

 ・一年前に比べ外国語が上達した。

 ・苦手だと思っていた人とそれなりにやりとりすることができた。

 ・新しい知識・技術が身に付いた。

 ・最初30分かかっていた仕事が10分かからずできるようになった。

 

  など。

 

他人と比べるのではなくまず自分の足下から見ていく。

 

人生で自分が対面する様々な物事への総合的なパフォーマンス評価が自信という概念になる。

 

だったら、やることは具体的な一つ一つの枠組みの中にある。

 

そうすれば自信についての理解も対処もしやすくなるのではないかと思います。

 

 

 

  (おわり)