(投稿忘れている間に、『マティス展』は終了しましたが、サッと簡単な内容で投稿してみます。)(8月初め頃、訪れました)
マティスってこんなに日本人に人気だったっけ…と思うほどの人、人…
アート鑑賞も結構大変な昨今
正直、音声ガイドがないと人の多さで説明書きも読みづらい💦
顔はわざと描いていないとのこと。
個人的なものに固定されることを嫌った。
最近、どこへ行っても混んでいて、久しぶりに訪れてみた美術館も…
美術館で十分に作品や作者を感じられないのはいかがなものか…
文化的なものからインスピレーションがもらえそう…という感じが好き。
商業的に成功していても、過剰になると複雑。
なので…
人に気をとられて、写真をあまり撮れなかったのも残念。
◇単純な原色◇
色からつくる世界を強調。
しかし(色との関係において)線についても生涯を通じて葛藤していたようです。
この時期は、キュービズムの影響でひとつの絵に視点がいくつもある。
三次元世界への認識にあえて平面的な認識という落差を与えたらおもしろい?
認識像というものがあるでしょうし。
個人的に…
認識はどのような割合で立体的、平面的なのか、という何気ない疑問が残ります…
◇誰よりも感覚的◇
その後の様々な分野のアーティストたちに多大な影響を与えた。
このあたりの時代は、切り絵に専念。
視覚的だけれど、音楽的。
バイオリンが趣味だったとか。
(感想)
マティスを鑑賞していると…
感覚は色と共にある。
感覚は色と共にあるほうがよい。
という感想に。
◇線と色の関係◇
デッサン(線)で思うように表現できたと思っても、色を塗るとその感覚が失われてしまうことを嘆く。そのジレンマの解決策として切り絵を思いつく。(音声ガイドより)
◇内面の感覚を重視する◇
直接、心に反映される色彩とでも呼ぶべきもの?
そういうものは確かに存在する、という実感?があるのでは。
写真の登場以来、写実主義は衰退の一途を辿っていたし、心理的な色彩が重視されたのは時代の要請ではあった。
この時代に成功した芸術家は皆、新しい時代の潮流にのっかった人たち(だよなと)
※
アーティストのバイオグラフィを聞くのは好き。
ギュスターヴ・モローの弟子だったのは知らなかった。
昔の画家の生涯は、波乱万丈のような長閑なような…
彼等を通じて時代の雰囲気を感じたり。
まわりにいた人たちの存在もひしひしと感じることができる。
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音声ガイドの出だしやバックグランドにクラシック音楽が流れるのは雰囲気があっていい。
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時期によって作風が何度もガラリと変わる。
作風が変わるとき、作者の内面の何かも変わったのでしょう。
どこから発意されたものか。
何かが変わったことでその人がどんな人になるかを決定する。
それは時系列なものを含む。
(何かが変わったことが彼を強く意識させる。)
作品を残し続けている人は、内面の変化を対象を通して確かめることができる。
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巨匠でさえ十数回以上作品に手を入れ修正している。(マティスの作品にはいくつかそういうものがあった)
醜いものから脱却したい気持ちが作品を更新させる?
「醜い」というのは単にきれいでないという意味ではなく、芸術として美しくないという意味。
芸術的に完璧に「かっこいい」ものになるまで。
岡本太郎が、「きれい」と「美しい」は違うと書いている。いやったらしさがなくなったものと…
己に正直に。
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こういう巨匠の修正姿勢は意識の上で活用できそう。
◇晩年、運命に導かれるよう南仏ヴァンスへ◇
人生の集大成として『ロザリオ礼拝堂』建設に着手。
映像・音声を含めた空間が再現されていた。(写真撮影は禁止)
晩年のマティスの言葉が壁に書かれていた。
今も続く探求の果てに、私が選んだのではなく、運命によって選ばれた仕事である。
マティス
最終的に、生涯の仕事を神に導かれたものとして受け入れた。
自由意志さえ何かの導きであったかのように読める。
自身の仕事についてのインスピレーション。
死期が近づいたときどう思うのだろう。”運命”を強く感じるのだろうか。
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この礼拝堂は、その後のアーティストや建築家に影響を与える。
(パッと思いつくところで、建築家の安藤忠雄や現代アーティスト吉岡徳仁とか)
(おわり)