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 たとえば、数億円の宝くじに当選した人が、使い道が分からず途方に暮れてしまうように、有り余る時間を突如手に入れた人も同様に使い道が分からず途方に暮れてしまうものではないでしょうか。

 

 

 また、急遽手に入った大金とは思わず無思慮に使ってしまいたくなるものですが、有り余る時間もまた(思わず)無思慮に使いたくなってしまうものでしょう。

 これはよくわかる心理で、ある意味での贅沢と言えます。そして、人は贅沢を感じたい生き物です。

 

 

 豊富にあるものを無思慮・無遠慮に使いまくりたくなる願望は否定しきれません。逆に”考える”というめんどくさい作業を放棄できるという快感があるとも言えます。
 

 

 

 とはいえ、そもそも人間の意思が関わっていない時間そのものにたいした意味は(人間にとっては)ないので、これを思慮なく褒めたたえてもしようのないことです。

 

 

 哲学者ソクラテスが富(お金)の評価について語った名言です。

 

金持ちがどんなにその富を自慢しているとしても、彼がその富をどう使うかが判るまで、彼をほめてはいけない。

 

 ソクラテス

 

 紀元前5世紀のギリシア世界を想像してしまいます。

 

 きっと胸糞悪いお金持ちがいっぱいいたんだろうなぁ~、裕福な家系に生まれただけの無能な政治家がいて~、趣味の悪いものに金をかけるのはまだしも、人として終わってるなど。

 

お金の使い方がまずいと頭が悪い人に思えます。

お金の使い方が醜いと醜い人に思えてきます。

 

税金の再分配についても言えそう。政府がどのように税金を使うかがわかるまで政府の良し悪しは判断できない…

 

 

いつの時代にも通じる真理ですね。

 

 そしてこれはフリータイムという富にも言えそうです。

 

 ある人があり余るフリータイムをいくら自慢しても、それをどう使うかが判るまで、その人(のフリータイム)を評価してはいけない。

 

 

 部分的にアレンジしましたが、多く被るところがありそうです。

 

 

 (つづく)