(ツライ労働と怠け休日の関係の比喩①)

 

 待望の休日を無下に扱い、価値のない過ごし方をするなら、キツイ労働と休日の関係は、”砂漠の旅”と”蜃気楼のオアシス”に喩えられるかもしれません。

 

 華やかな現実が目的地になくとも、道のりを歩むモチベーションにはなります。しかし到達しても、何ひとつ価値を見いだせられないなら、それは砂漠の蜃気楼に遭遇した経験と似たものになりそうです…

 

 (蜃気楼の中を過ごした自分も蜃気楼のように感じるかもしれません)

 

 また漠然とした妄想の中で描いた休日像を一人歩きさせているとも言えます。

 

 

 

 あまりよくない休日の在り方についての喩えですが、

 もうひとつ(比喩②)

 

 

 なぜか、日本人サラリーマン労働者を頭に浮かべたとき、

 

 目の前に垂らされた人参につられ、客車を引く馬車馬

 

 を連想してしまいました。

 

 

 少々、辛辣な響きに聞こえるかもしれません。

 しかし、外国人から見た日本の労働環境などこんなものではないだろうか。

 旅行では日本に行きたいけれど、仕事ではまっぴら御免という声が聞こえてきそうです。

 

 (欧米人からしたら、この人たちは何のために働いているのだろう…と思っている)

 

 

 

 

  Q. では、ニンジンをぶら下げていたのは誰だったのか?

  A. まぁ、「社会」でしょうか。

    もしくはなんらかの「社会システム」。(それは宗教上、取り決められた制度だったり、法律で制定化されたルールだったりする)(宗教と言ったのは、日曜日休みがキリスト教の習慣から来ているから。お正月やお盆も日本の宗教的な伝統に由来しますね。)

 

 

 本来、自由であるはずの個人の時間が、社会制度から付与された社会的な時間にすり替わっている、としたら…「んっ?」という反応にもなってしまいます。

 

 

 

 少なくとも、「何が前提でなんのために」の問いかけくらいは常に抱いていた方がよさそうです。

 

 

 

  (余談)

 社会(国と言い換えてもいい)全体が向上(&改善)されなくては、個人の幸福は達成されにくい。だから、まず国や社会が第一という考え方は好きですが、最終的に個人の生活が最低限保証され、且つ、その最低ラインが(ある程度高い)水準を維持できないなら、社会は役割を果たしていないとも言えます。

 

 社会のために個人がないがしろにされる、という落とし穴が(システム全体のそこらに)掘られていて、そこに労働者のほとんどが嵌っているとしたら、それは問題です。

 

 

 

 ほとんどの労働者が国や社会におおむね満足しているのなら、理想的な社会と言えますが、実際、そのような国がこの地上にあるのか?なるべく理想に近づいていこうとする意欲・調整力は必要だと思います。

 

 強い経済力、軍事力がなければ、いつか他国に滅ぼされてしまうことは歴史の必至です。この世から紛争はなくならない(現実主義的観測です)。経済力を高く維持しなければならないし、そのためには基本、働かなければならない。悩ましい。

 

 

 

 

 せめてニンジンをリアルな実感にしたい。

 

 

 

 

 

 加えて(比喩③)

 

 

 休日を戦時下の米の配給にしてしまっては、「生き延びる」為だけに精一杯な生活になってしまう。

 

 極端な話ですが、休日の供給のあり方が、国家総動員法下での米の配給のようになってしまうと、時間本来の持つ可能性をフルに活かすことができなくなります。

 

 

 疲れをとる以外の価値が増えることがない状態はイタイ…

 ただ生きていける(健康で死なない)ということだけでは、夢のない退屈な人生を送ることになりそうです。

 

 

「人はパンのみにて生きるにあらず」(ゲーテ)

 

 

 いろいろな意味で”余裕”が生まれないと休日本来のよさを引き出すことは難しいようです。

 

 

 結局、”時間貧乏”が、”自由貧乏”になってしまいそう…

 

 

 

 

 最後の(比喩④)

 

 

 心理的にでも(休日が)共産主義の分配制度的な意味合いになったら…

 

 

 

 

 共産主義とは、皆の平等を理想とします。

 

 そして、人は、平等に与えられるものに有難みを感じなくなります。

 

 他者との差異であるご褒美がなければモチベーションも上がりません。

 

 特に取り分が少ないとさらに堕落し、不平を言い出します。

 

 皆が清貧に生きるということはなかなかむつかしい。

 

 

 

 価値ある休日というものは、ただ待っていればやってくるというものでもありません。

 

 時間に価値を与えるのは人ですからね。

 

 

 

 (つづく)