休日を終日(ひねもす)台無しにしてしまうのは、ある意味、自然なことかもしれません。

 

 なぜかというと、哺乳動物の性質がそうだからです。

 

 身(+幼い我が子の身)に危険が及ばない、食料に不自由しない、快適なコンディションが損なわれないといった条件を満たしていれば、動物は遠慮なく怠けています。

 動物の端くれである人間が、それを引き継いでいないわけがありません。

 

 

 考えてみれば、いつ餌にされるかわからない弱肉強食の自然界において、サボっていられる環境は、それだけで稀な恩恵、貴重な体験と言えそうです。

 

 

 あえて言えば、それを怠け本能とでも言いましょうか。

 

 

   怠け本能

 

 よく人には三大本能があると言います。食欲、性欲、睡眠欲がそうです。しかし、それ以外にも、怠ける本能というものがあるんじゃないかと個人的に思っています。

 

(他(の本能)には母性本能、生存本能、戦闘本能、逃避本能…などを思い浮かべる…)

 

 

 

 1. (なので、)計画を立て、目標を達成しようとする精神(スピリット)は鼻から無い。

 2.   また当然の事ながら、社会への義務感もない。

    (ほぼすべての行動は、生存か繁殖に関わっている。)

 

 

 

 夏、一番涼しく快適な場所を探し当てると、あとは気の済むまで寝そべっている飼い猫の様子を観てとっても、特に罪悪感や後悔は見受けられません。(まぁ、飽きたらどこかの日陰で遊ぶかもしれませんが…)
 

 

 動物には、好奇心や気まぐれはあるようですが、人のように”今日のわたし”より”明日のわたし”を目指す、というような向上心はありません。

(ただ、勘が鋭く、生まれながらの運動能力や方向感覚を発揮し元気よく生きています…)

 

 

 

 これを①本能モード、動物モード、怠けモードなどと呼びましょう。

 

 

 そして、

 この本質が、休日にダラケてしまうもっとも大きな一因になっている気がします。(根源と言ってもいいかもしれません)


 

 

 

 これに対し、

 

 一方、人間の方はどうでしょうか。↓に上げたようなモードがあります。

 

 ・目標を掲げ努力する/ 向上心を持ち邁進する。

 ・人間だけが社会的義務や責任を果たそうとする。

 ・修行僧のごとく自己(他者)献身する。

 ・知的好奇心を発揮し、次々と知識を増やしていこうとする。

 ・健康で文化的な生活を望み少しでも生活レベルの質を上げようとする。

 

     ↑

  人間の精神には自己(や社会)を高めようとする性質がある。

 

 

 

 こちらは、

 ②社会モードとか 知性・精神性モード とでも呼びましょうか。

 

 

 

    (結論)

 

 人間はこの(①②)二つのモード(の範疇)を行ったり来たりする存在だと言えます。

(この二つの性質を持って、自分を人間だと確かめている節がある)

 

 ”人間”と”動物”との揺り戻しを日常で繰り返している。

 

 

 そして休日とは、”動物”へ還る格好のチャンスなのです。

 

 

 

 

 あくまで持説ですが、

 

 怠け心は本能的なところからくる/ある意味での生理現象である、とすることで、休日の過ごし方についての心の持ち方も少し変わるのではないかと思っています。

 

 (動物的観点からすれば、余裕のある時に体力を温存しておく、ということになるのでしょう)

 

 

 

 

 (補足)

 

 たしかに、リラックスして過ごす時間帯は必要です。人はありのままの自然状態に戻る必要があります。

 

 しかし、さすがに、「何もしない休日」を毎週毎週、糧に仕事している状態というのは、どこかで人間存在の半分をオフにしているような不健全な状態ととれなくもありません。

 

 自分という全存在を確かめたいから、「何かをしようとしたり」「何もしようとしなかったり」している。だからどちらにもベクトルは向くと言えないでしょうか。

 

 

 

(今回は、怠ける一因についてでした)

 

 

  (いつかつづき書きます)