休日とは待ち遠しいものです。
「休みなんていらない!」、「毎日働く方がいい!」という人は少数派でしょう。
やがてくる休日を心の拠り所にして働いている人のほうが圧倒的に多数派と言えそうです。
休日を夢想することさえも労働者のモチベーションに含まれるのかもしれません。
しかし、これにより仕事の重苦に耐えているのなら、”絶対必要な”おもい”とも言えます。
どちらにしても、…
どこまでいっても休日とは社会にとって必須となる存在のようです。
ところが… です。
そんなふうにして、
ようやくやってきた休日をあっさりと薄く過ごしてしまうことがあります。
拍子抜けするくらいあっけなく終えてしまう…
(ぼおっとしているうちに…)まさに蜃気楼のように消えてしまう。
(その場合、自分のことも幻のように感じてしまうだろうか?)
「前日まで(希望や)可能性に溢れていたのに、…」
「もっといろいろやれたはずなのに…」
貴重な休日を何でもない消耗品として消費してしまったわけです。
(個人的な提案ですが、…)
休日になったとき、心の中で万歳してみるのはどうでしょう。
実際、「休日、バンザーイ!」と。
そうすることで、”今、休日”という幸せをちゃんと意識できるようになるからです。
しかし、これはなぜなのでしょう。
- 休日への期待が大きすぎた?
- (自分でつくった)素晴らしい休日というイメージに勝手に踊らされていただけ?
- 休日への欲求が目標なく暴れていた?
そんなときよく、休日って何だろう?と思います。
- もっと有意義に過ごす余裕や計画はなかったか――?
- 休日という栄養を摂取して還元利用できなかったのか?
- 目的を達成するための集中力やモチベーションが散漫になった理由は何だったのか?
- そもそも体力が足りないのか?
もやもやした気持ちがのこってしまいます。
そもそも、そのように休日を意味なく過ごしてしまうのは、
① 自分なりの休日論がないからか?
② 「ズバリ、休日とは?」の問いに答える、ベスト・アンサーを用意できないからか?
などと(先の妄想の続きみたいなことを)考えてしまいます。
それならば、
- 感銘を受けるアンサー
- 休日の定義を了解できるもの
- 休日の理解が深まるもの
- 休日によって自分の多幸感が最大値を示すもの
②のアンサーはこのようなものであってほしい。
(アンサー自体が作品になっているものなら完璧です)
案外、休日について自分なりの考えを展開してこなかった。
休日という概念の定義をなおざりにしていたことが怠慢の理由かもしれません。
(つづく)