※
先日、NHKで、荻野目洋子さんがG(虫)のことを先輩と呼ぶ、と言っていた。
虫全般好きらしい。
人類が存在するはるか昔からいる先輩だから敬意を払う…
結局、害虫なので殺すらしいけど、「先輩が出た!」っていうのはおもしろいかもしれない。
※
生物が繁茂する季節であり、故に夥しい死が発生する。
夏は、もっとも生と死のコントラストが強い季節だと思う。
(道路に虫が死んでいたりするとふと思う)
お盆だとか、墓参りだとか、とかく死と結びついた行事があるのも頷ける。
※
英語に、”(Open up) a can of worm"という表現があるけれど、これは、
一つの問題に取り掛かると、別の問題がずるずる芋ずる式に出てきてしまうという意味。
ものを考えるときも、似たことが言える。
→事をややこしくする。状況を複雑にする。
釣り餌用の虫の入ったカンから。
※
夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
『枕草子』
秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入りはてて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず。
『枕草子』
※
心(情)はいつ生まれるのだろうか?
①虫に情はない。②魚に情けはない。③両生類(カエルなど)に情けはない。④爬虫類(トケゲなど)に情けはない。⑤哺乳類には心情がありそうだ。
あくまで推論だけど、心を形成する大きな一要因は知的活動ではないだろうか?心(高度な精神活動)を生むにもある程度の知能が必要なのでは…
(余談)
虫や魚、爬虫類は、餌を与えるからよってくるのだし、命の危険がないとわかったからのんびりしているだけで、哺乳類のような高度な温情は持ち併せていないと思うのですよ。
でも、日本人的な世の中のものの何にでも心がある、という感じ方(アニミズム)も(日本人なので)よくわかるのですが…。
※
(実際あってふと思ったこと)
見たこともない虫が飛んでくるとビックリする。
(分析)すると、
・ 次の動きに予測がつかないものは怖い。
・ それがなんの情報もない(グロテスクな)ものだと余計に怖い…
・ 得たいの知れないものが自由すぎることについて考えてしまう。虫に限らず人は(集団は)こういうものをすごく恐れる。
・ 感知能力だけを頼りに近づいてくる気味の悪さ
(余談)
哺乳動物の場合、相手方のパーソナルスペースを感じとっている。
(お互いに争いが起こらないための必要善としての縄張り意識ともいうか。)
相手のプライベイトにも気を遣うところがある。
ところが虫には全くそれがない。
いくら寄ってくるなウォーニング(警告)を発しても、まったく意に介さない。空気を読まない。
自由にこちらの私的領域に侵入横断してくる。
こちらが気づいていようがいまいが死を恐れていない様子も謎。
(こちらが一寸の虫にも五分の魂と情けをかけているというのに…)
※
虫の意識が他のもの(本能や欲求や感覚)に操られているような…、そんなところもまた怖い。
※
最後に荻野目洋子さんの虫の歌のリンクを。
(おわり)