若い頃、恥ずかしかったことが年を取ると恥ずかしくなくなる。
若い頃、恥ずかしくなかったことが年を取ると恥ずかしくなる。
長く生きているとこういう変化を感じるようになります。
(もちろん、死ぬまで変わらない「恥」もあるでしょうけれど。)
こうした恥の意識の変容は、どうして起こるのでしょう。
あくまで推測になります。
・ 鈍感になる/繊細になる
・ 世間体を気にしなくなる/するようになる
・ 社会的な意識が芽生える
・ 集団でいなくとも一人で自立して行動できるようになる。
・ 自分の意見をはっきり言えるようになる
・ ルックスより中身を見るようになる
・ ルックスより社会的地位や年収を見るようになる
・ 色気がなくなる(食い気が勝る?)
・ 年齢に合わなくなる
・ 面子にこだわるようになる
・ 体裁を繕う
・ 何かから吹っ切れる
・ 何かに囚われる
・ 道徳心が芽生える
・ 諦念
など…
あと経験や状況の変化によって(恥の意識は)変わります。
どちらにしても”恥の影響”は大きい…
何を恥とするかによって行動規範の取り決めも変わってくるでしょう。
少し分析すると
①「恥をかきたくない」
②「恥ずべき事はしない」
恥には①と②の二種類があるようです。英語で言うと①は、embarass、②がshameだと思います。
① 個人的・趣味的
② 社会的・道徳的
な違いだと思います。
あと、
何を恥とするか。どうして恥を感じるのか。その恥は適正か。その恥をどうしたいか。どう対処する。…
を検証しなおしてもよいでしょう。(恥の整理整頓?)
(同じ人でも年齢や環境などにより感じる恥の種類や量が変わり、振る舞いが変わることは
少なくありません。)
③ つまらないことを気にしない。
でないと、本当にこうありたいという自分になれないでしょうし、
後悔することにもなりかねません。
些細な事を恥ずかしがって、せっかくのチャンスを逃してしまってはもったいないですよね。
損したくはありません。
(余談)
人の”振る舞い”を決めるそもそもの要因は、案外、限定的で、”恥”もその中の一つと言えます。
(キリスト教圏では、もう一つ「原罪」の意識が社会形成に大きな影響を与えた…と思います)
ですので、今の自分が持つ”恥”というものをもう少し意識し分析してみることで、
今の自分の現在地を知ることができそうです。
(余談)
かつて日本社会は、恥の文化として海外に紹介されたことがありました。
江戸時代などでは、個人よりむしろ「家」を重視した価値観が社会全体に浸透していました。(文化人類学上、人類に共通した共同体の形成が見られます。また未開社会の部族(間婚姻)、中国の宗族(そうぞく)制度など世界にはいまだに継続されている社会構造があります。)
日本に話を戻すと、「お家」、「〇〇家」を守ることが第一とされ、家の名誉が損われることを怖れました。武家ならば、家の名誉のために切腹する気構えだったし、散り際は武士らしい死であることが重視されました。
ご先祖様まで含んだ家族主義か、見栄の張り合いと言うのか…家の灯を絶やさないようにしています。時代劇でもよく、末代までの恥などと言うのを聞きました。
ただ勘違いされては困りますが、別に昔の日本人の価値観がいいとか悪いとかいう話をしたいわけではありません。ここでの要点は、日本人は、昔から社会的にも個人的にも恥に対してものすごく敏感な国民だったということを書きたかっただけです。
今はさすがにそういう封建的な価値観は希釈されましたが、それでも新しい種類の恥が何らかの形で人の心を支配しているのも確かです。
思った以上に個人と集団の心理の核になっているだけに、恥を触媒にして自己を反省してみるのも一興ではないかと思います。
(おわり)