映画『鬼滅の刃』観てきました。

 

竈門炭治郎って日本人にしか生めない日本人らしい主人公。

 

精神の継承がテーマにありそう。

 

鬼との戦闘シーンもかなりよし。

 

☆☆☆☆★

 

 

 

 

 煉獄杏寿郎;  少し変わっているけれど、折れない心、強い信念を持ち、まっすぐで懐が深い兄貴的存在。鬼殺隊の中でも最強と呼ばれる柱のひとり。剣と呼吸の達人。

 

 情熱系、熱くるしい人というと今の時代、嫌われる傾向にありますが、煉獄杏寿郎の場合、極端に態度がハキハキしていて鬱陶しさを感じさせません。むしろすがすがしい。

 

 まぁ、もともと熱血系キャラは、アニメ、マンガの中では重宝されているっぽいけど。どうなのだろう。

 

アニメ詳しくないで、別キャラとそういう比較ができないのですが。(忸)

 

 

 

 個性の強いキャラクターを生み出すことがおもしろいマンガをつくる第一条件と聞きます。

 

たしかに「鬼滅の刃」の登場人物たちは個性強いです。

 

それくらいでないと大衆に晒される舞台には映えないのでしょう…

 

 

   ※

 

 今は、アニメやマンガのキャラが実人生の目指すべきロールモデルになったりするので、

 

アニメと言えど、人々(特に子供)の心の成長に影響を与えると考えるのは考えすぎでしょう

 

か。

 

『鬼滅の刃』(マンガ文化)を通して日本人が好む精神性、人間性が共有されるのかもしれま

 

せんし、

 

それはすでに日本を超えた話になっているのかもしれません。

 

すこし飛躍したかもしれませんが、これだけ流行ると…そんなことも想起してしまいます。

 

 

 既に、「キャプテン翼」を読んで、サッカーを始めたとか、「鉄腕アトム」を観てロボット工学の道を志した、という例はいくつもあります。(例が古いのが難笑い泣き

 

 マンガではありませんが、映画「スターウォーズ」を観て、宇宙飛行士になったという人もいます。

 

職業選択という意味だけではなく、性格形成や精神形成にもかかわるのではと。

 

あと文化共有の意味でも。外国人の方なら、文化理解もあるでしょう。

 

人類共通の倫理観と感受性を知ることができます。

 

 

   ※

 

 

 ネタバレすると不味いのですが、…

 

 戦闘シーンでは、主人公、竈門炭治郎が眠りの術をかけられる最中、想像以上の戦い方をするシーンがありました。

 

 

内容はふせますが。

 

”想像”だってつまらないものから素晴らしいものまでピンキリ。

 

 

想像を超える”想像”があり、それに出会うと高揚する。そのサプライズがあれば、脳はドーパミン大量放出で悦ぶ。

 

つまりエンターテイメントってこういうものをひきだすからくりを持っている。

 

 

だなと。

 

 

 

 鬼に術を掛けられ、夢を見せられるシーンがあります。

 

 煉獄杏寿郎の夢での回想シーン。

 

 幼い頃の彼を、母上が呼び、あることを諭すシーンがありました。

 

 「何故、自分が強く生まれたのか。その理由がわかりますか?」

 

 「弱いものを護るためです」と気丈な態度で母上は答えられた。

 

 母上は、しばらくすると病気で死んでしまいます。

 

(台詞は、思い出しながら書いているので正確ではないです)

 

 

 

 ここも少し飛躍するのですが…このシーンを観て思い出したのが、

 

江戸時代の学者、山鹿素行の思想でした。↓

 

 

 小林秀雄が彼の江戸時代の武士が支配する社会思想を講談してくれています。

 

小林秀雄って誰?となるかもしれませんが、日本ではじめての文芸批評家です。

 

武士は禄(給料)をもらっている。それは、社会(人々)に対して責任があるからだと。

 

武士はインテリだが、それは人々に、また天下に奉仕するための能力であり階級である。

 

一方で、(当時の人口の85%を形成する)百姓には責任がない。

 

だから、わりあい気楽に生きておればよい。

 

その代わり、百姓は朝から夕方まで汗水流し、田畑仕事に精を出さなければならない。

 

それでいて食うに窮することがあってはならない。

 

 

 

少なくともそんな社会でなくてはならない…みたいなニュアンスだと思います。

 

 

 

 

 こういう思想がもっとも浸透したのは日本ではないだろうか…と思っています。

 

 煉獄杏寿郎(と母上)は、こんな思想世界の中に生きているような気がしました。

 

 少なくとも、そういう考えを持った日本という社会の背景を思い起こしました。

 

 

 

 作者の吾峠呼世晴さんは、日本人の伝統の核の部分となる心理をよくご存じではないだろうか。

 

 

 

 西欧のノーブルオブリージュや中国の儒教思想も立派な考えですが、実際にはほとんど機能していなかったそうです。(それどころか理想と全く真逆の社会になっていた)

 

 

 日本は歴史を通じて、他国と比べても、かなりましな社会だったようです。

 

 ただ自然災害や飢饉、疫病流行時には、国内でも悲惨なことが繰り返されました。

 

それは当時の医療や農業技術、品種改良が進んでいない社会レベルでは当たり前のことです。

 

戦争の質(西欧・中国と日本の戦争の仕方の違い)も含めて、あくまで比べてみるとましだった

 

という話になります。(日本人は、市民を拉致、奴隷にしない。街から離れたところで軍隊同士

 

のみが衝突する。もちろん応仁の乱、大阪夏の陣など例外はある。)

 

 

 

 西欧ではできていなかったがゆえに反動であれらの歴史的な市民革命が起こったと思っています。その後も長く、自由と平等などの人権は、白人のみに与えらえた権利で有色人種には適用されませんでした。

 

(政治と歴史の話に逸れてきたのでまたアニメと日本人の特質の話に戻します)

 

(脱線しまくりえーん

 

 

 もちろん、アニメですが、生命の生を精神の意味での生が完全に凌駕している。

 

 日本人はこういうものに美徳を感じるのかもしれません。

 

 日本人はかつてこういう精神性を本当に持っていて、心震えさせるシンパがあった。

 

 (少なくとも、武士道精神には、入っていたのではないか。ある階級には特にですが。)

 

 それを一番、表現しやすいのは、アニメやマンガという表現ツール。

 

 アニメやマンガでそれを知らず知らず触発し、満たしているのではないかな…

 

 

 

 まぁ、よくわからなくなってきましたが…

 

 

 ただやはり『鬼滅の刃』には、肉体や血筋に拘らない「精神の継承」が重視されているような気がします。

 

 

 あと女性に人気なのが特徴のマンガですが、作者が女性というところも興味深いです。

 

 

 

 さて今回も、かなり自分勝手に意見を書いてしまいました。

 

 あくまで個人的な見解ですので。何わけのわからないこと書いてるんだくらいに笑い飛ばしていただけると幸いですしょぼん

 

 

 では。

 

 お読みいただきありがとうございました。

 

 

 (おわり)