『ヴィヨンの妻』作中ではないですが、他所で太宰が言った言葉を挙げてみます…
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の鍛錬の底に一つかみの砂金が残っているものだ。
太宰治
有名な言葉かと思います。(?)
本を読むとは、貴重な砂金の言葉を見つけること、という太宰。
ここにあるような「砂金の言葉」を意識してみれば、今手に取って読んでいる本の価値を識る
ことができそうです。
太宰の比喩に便乗して下手な比喩、
闇(人生の闇)に輝く言葉なんていうと、かっこいい妙薬みたいにも聞こえてきます。(?)
それに、言葉が精神をつくる面はありますから、やはり言葉は大切です。
純粋で切実なものは美しいし、それ故に…的な展開を思うのは文学に対する偏見でしょうか。
やはり精神の足しになるものを読んでみたいという願望はどこかにあります。
文学とは人間の濃縮、そして人生の優れた比喩です。
まぁ、それも文学に対する妄想かもしれません…
各自の感受性にお任せ致します。
ちなみに、
Q; 闇に輝く言葉と聞いて、何か思い浮かべる言葉はあるか?_という問。
わりといい問じゃないかと。
(真面目な話、個人的な悩みや葛藤というのは誰しもが持っているものです)
あと、
文学に求めるものはこういうものだろう…
自分で「文学」だな…、
と思う条件を書き出してみます。
・ 合理主義が入り込む隙間もないもの(が内包されている)。
・ 勘が働くもの。
・ 自分の勘と他人の勘がつながるもの。(それらのつながりが成立するよろこび、救い)
・ 精神の糧になるもの。
・ 精神の深みや広まりになるもの。
・ 現実では受け入れられないが、小説だからこそマイノリティの心を代弁し、主体として扱ってくれるもの。
・ 美しいものと醜いものの定義。持論。
・ 思想の台頭。若しくは、思想と思想の対立。
・ 生活圏への関心のみに収まらないもの。
・ 道徳を激しく揺さぶることによる感情の漏出。
・ 文学はある種、道徳の反面教師。結局、道徳について考えさせる。
・ 様々な視点から見た人間としての同族意識。
・ 人は人を表現するとき、物語ることを止め難い存在であることの確認――ができる。
・ …
・ …
まだまだあるでしょうし、独善が入っていることでしょう。
でも、ここらへんで〆ます。
ただわりあいに太宰作品は、これらの要望に応えてくれている気がします。
文学でしか受け止めてくれない部分が(文学には)あるような気がしています。
(おわり)