『マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学するⅡ』を購入。
でも、Ⅱだった。 Ⅰを読んでないけど、まぁ、いいか…(いいかげん)
読了。
・意志とは
・自由意志とは
・自由意志のパラドックス
・ホッブスとルソーの対立
・ヘーゲルの承認の闘争
近代から現在までの”個人と社会の関係”史を、哲学の文脈で読みたかったから◎
其処から独自の新実存主義を現代社会に展開。
私のような無知にとっては僥倖でした。
直ちに全SNSを停止すべきだ、という警告文(ウォーニング・メッセージ)は、ネットに依存する人々への痛烈な皮肉に。そしてSNS全盛時代に関わる(巻き込まれている)人々へのアンチテーゼに。そこから導き出される弁証法の結果とは…(そこが一番知りたいというところで、新実存主義を展開)
AIやアルゴリズム(自分より大きなもの)による支配に対し、あまりに無自覚的な現代に警鐘を鳴らす。
人工知能という名の知能はまったく存在しない。p.113
知能を、限られた時間の中で、ある特定の問題を解決する能力であると、定義してみましょう。p.111
問題すら発見できないものは、知的ではありえないことになります。p.112
もし、人間の思考が感覚だったら?
「感覚的に思考する」
私は自分の人生が夢ではないことを知っています。なぜなら、私には思考という感覚があるからです。p.129
人間の精神(ガイスト)が、モノや自然物とは疎外された存在であるが故に、AIと差別化が可能とも言える。
また、人間の意識のあり方は動物のそれとは次元が違う。動物のは、(意識のあり方が)一枚岩的であるがために、自己を概念化することができない。例えば、動物は、鏡に映った自分の姿を自分だとは認識できない。敵が現れたと思って、警戒・逃走・威嚇・攻撃したりする。
ここで動物には欠けている意識の応用能力を人間は持っていると言える。この知的能力(複層的意識能力?)が心的内面に反映されることで、人間は複雑な概念を形成することができるようになった。
あるイメージを対象にして自己意識と切り離し、別の自己意識として相対化することができる。またそれをさらに相対化するという繰り返しができる、ということ。
朝鮮半島にいるカササギという鳥が、鏡を理解できると聞いたことはある。一般的に賢いと言われる犬、カラスも鏡を理解することができない。
ただこれ以上難しいことを聞かれてもよくわからないのであとは、ラカンなどを読んでくれ、と無責任ーー、
故に、動物はいつも瞬間的、感覚的に生きている。それに対し、人間は(己を含めた)世界を際限なく概念化できる。(そこに言葉という名前をつけたのが人間の精神世界。故に”はじめに言葉ありき”)これが精神の形成に大きく貢献している。だから→「精神とは、概念に依存する現象の領域にあるもの。by ヘーゲル」になる。
…と思ったけれど、どうかな。(後半、本の感想から脱線しました…)
(おわり)