短歌

 

雨止みて傘閉じぬもの我ときみのみそもひとり何思ひしや

 

つくってはみたが、作者が描いている情景と読者が読んでいる情景にズレがでてるかもしれない。難しいですね。

 

街中でふと気づくと雨が止んでしばらくしていた。傘を差していたのは、物思いをしていた自分だけだったが、向こうにも同じように傘を差している女性(ひと)がいる。ひょっとしたら、あのひとも雨を忘れるほどの何かがあったのだろうか。

 

という意味合いというか、何気ない情景だったのですが。

 

(単に( ゚ ρ ゚ )ボーとしてただけかもしれませんが…)

 

短歌は、自意識が一番ストレートに許される詩、だと思うけど、どうなんだろう…

 

でも、恋をうたうなら、短歌って一番形式があってる気がする。

嘆きも。

 

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 

寺山修司

 

有名だけど、57577でまとめるのは結構大変じゃないだろうか。憂い系もあいそう。

 

まぁ、国なんて幻想かもしれないのだけれど。

 

いや、短歌においては、その幻想にも、感情が存分に入っている。他の詩よりも、直截的な表現で、許されている。きれいにシルエットとして固定されているし、同時に動いているようにも錯覚する。

 

と、書いたが、これも妄想かな…

 

 

ものを書くということは、自分を読むということ。自分の自分を読むということ。

主観的な書物はそうだと思う。詩とか文学は、そうだね。