やけっぱちではじめることって減ってる。これだけネットで情報調べられるなら、間違いのないスタートをしようとしがちだ。

 

やけっぱちではじめたことって、どんな結果になるか興味はあるんだけどね。

 

そもそもやけっぱちになれる前提があるわけで、結果が成功であろうと失敗であろうとある程度の自分の物語性ができるのにね。

 

 

 

 

コーヒー一杯の時間

なんたる発明!

 

お洒落なカフェで物思いに耽ったりするのは、贅沢なことなのだろうか。

人生の決断みたいなことするんだったら、すごい時間の発明だなとまたもの思ったりする。

 

 

 

 

つぶやくって難しい。

 

ていうか、つぶやこうとするから難しい。

 

いいもんのこそうとすると、苦痛が発生する。ほんとのつぶやきは、自然にでるものだろうけど、これがなかなかおもしろくはならない。

 

今まで聞いた本物のつぶやきで一番だったのは、酒屋さんからでてききたパンク風の若者カップルのだった。「特価のビールってうまいんだよね~」と女のほうが言った独り言であった。

(本物というのは、考えられていないという意味です)

 

 

 

悩んで考える癖のある人は死ぬまで悩んで考えてると思う。

癖ってそれほど強い。

 

悩んでいるというポーズ。

これは造形という意味で重要だろう。

 

どんな「見せるポーズ」をとっているか。

 

哲学者は哲学者という癖だと思う。

 

 

 

「理性に動揺を与える」

というのが最近のお気に入りの言葉。

 

 

 

音楽と旅とお金があれば幸せ。

 

 

 

そういえば、天気のいい日に目の網膜に陽を当ててやると鬱が治ると、知らないおじいさんに教えてもらったことがある。

 

青空を見上げるということは本当によいことなんだろう…

(直接、太陽を見てはいけませんよ)

 

 

 

頭がよくなるには限界があるけれど、心をやさしくする可能性には限界がないのでは。

 

 

(おわり)