『異邦人』カミュを購入。

 

今頃、今更という気持ちのままに読むわけですが…

まぁ、実際そういう本はたくさんありますね。

元来そんなに本を読むタイプではなかったのです。

今からでもいいから読んでみようかなって。

予見される本の内容と心の距離の折り合いが取れそうになると手に取るのか。(自分でも謎)

 

例の有名な言葉を知りながら作品を読むことになります。

 

 

読了。

 

愛を持たない主人公ムルソー。

こういう人物に対して(20世紀前半)キリスト教圏の社会はどんな反応をするのか。

両者が際立つ構成か。

 

犯罪予備軍から犯罪が出るという推測は正しいか。単なる後付けか。そもそも犯罪予備軍とはどんな認定をされるのか。

そんなことを思いながら読んでいました。

 

 

   ※

 

(読み心地メモ)

 

 

時間がその場その場の感覚でしか存在していない印象

 

感覚的な進行があるのみ、というように

 

アフリカのアルジェの環境と平行していく

 

行き当たりばったり的な生への触覚が主人公から伝わる

 

舞台は、仏植民政策時代のアフリカ、アルジェリア

 

 

 

   ※

 

 

(少し考える)

 

 

過去も未来も希薄になった人間は、どんな人間になるのだろうかと。「今」というものに結び付く人間の能力… より動物的・本能的なものを優先させる?もしくは機械的、習慣的なものに流れる?

 

過去も未来も希薄になった人間性の一部に、

 

人殺しの理由を、太陽のせいにする心理学があるのかもしれない。

いや、ここらへんが青臭いと批判されるところ?

(それとも…単なる文学的な取り合わせ?)

 

 

まぁ、キリスト教的に愛は神なので、愛がない=神がない(神の愛を受け入れない)になり、忌避されるのは想像できる。ムルソーはママンが死んでも何も感じなかった。若者の抗争の際、イスラム教徒の若者を殺すが、その後、4発も銃弾を撃ち込んでいる。

 

 

文学小説は、作品全体のテーマとしては、(人間に対して)深みのあるいい質問をつくるということを第一に優先させる。

たいていの場合、はっきりと結論付けない。

その意味では、カミュの『異邦人』も例外なくそうだった。

 

 

『異邦人』はカミュにとって処女作らしい。作家の処女作というのは、作家の個性的な内面が外にさらされる瞬間。作家の内面と外界が、はじめて出会う瑞々しさ。

 

 

 (追加)

 

新型コロナウイルス感染拡大の状況では、『異邦人』ではなく『ペスト』の方を購入するべきだったかも。でも、最近、売れているらしいので、はじめから完売していたかも。

 

(おわり)