神性や神秘性を信じ切っている人が感受する詩行は少なくなっている。日本では、絶滅したっぽい…
近代化以降、詩の趣も大きく変わった。科学と心理学が詩を変えたのだろう。
しかし、汎神論的なものにシンパする心情や自然・祖先崇拝、昨今のスピリチュアル・ブームといった社会現象を見る限り、詩から完全に神性や神秘性を取り除くこともできないのではないだろうか。
↓イスラム神秘主義詩人ルーミーの詩(英語訳)。
写真は、ロンドン、テート・モダンで撮影。
(魂は、時間とも場所とも縁のないところを旅する。肉体の方が魂から学ぶ、なんていいな)
「神の中への消滅」というスーフィズムの神秘体験は、
道元の「心身脱落」を、連想させられるけれど(=自分の中にもある”仏性”に全体が溶け込み仏と一体となること)、
偉い宗教者のいうことは、時代や地域が変わっても、大体、同じなのかも。
ですが…
少しググってみたら、なんと、
この二人は、同じ時代を生きていることが判明した(地域は違っても、時代はほぼ同じだった…)
偶然なのだろうか。宗教の発達のペースが、ペルシアと日本で同じ?
ルーミー:1207~1273年
道元: 1200~1253年
(ほぼかぶっていた)
方法は全然違うけれど、自意識を自然の秩序(神的な全体)へ溶かしていく発想などは同じじゃないかな。
道元は哲学的に、ルーミーは詩的に宗教(人智を超えた超越存在)にアプローチしたと言える。
ブラッド・ピットが、ルーミーの詩を入れ墨していたのは、少し前に話題になっていました。(英訳の詩には、意訳し過ぎの指摘もあるようですが…)
詩集を買わせる詩ももちろん凄いのですが、自分の肌にタトゥーを入れさせてしまう詩は、(ある意味、)もっと凄いのかもしれません(!?)
千年に一人の詩人なんて、ルーミーやシェークスピア級なんだろうな。
ひとつふたつルーミの詩を書きだしてみます。
恋の在り処
泣く以外にすることなんか何もない
あなたがいない なんて
まるで陽が沈んで光を失った夜の空のよう
あなたは少しも優しくはないのに
冷たくされればされるほど 恋人よ
いっそ私の心臓を抉り出し あなたに捧げましょうか
あなたがそう望むなら 王の中の王よ
このまま悲しみと 苦しみの中でもがき続けましょうか
それでも構わない あなたがくれた痛みだと思えば
(後略)
音楽の記憶 ルーミー
ある人は言う、私たちの耳を心地良くくすぐるナイもリュートも、
突き詰めればその旋律は、回転し続ける宇宙より受け取るのだと。
だが信じる者は、あらゆる定理と推理とを軽々と跳躍してしまう、
そして宇宙に響く音という音を、甘くするものは何なのかを知る。
(後略)
超一級の詩は、読んだあと言葉自体がまとまりをもって輝きだすような錯覚に襲われます。